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♡ ティ・アーモ・ホスピタル ♡

その人も 付き添ふ人も 花冷えに、いやあ、寒の戻りと言いますけれど、随分と風が冷たいですねえ…。この花冷え、日本酒の温度を表す言葉でもありまして、ちょいと洒落た居酒屋なぞに行きますと、壁に貼ってあったりします。お酒の温度の、5℃が雪冷え、10℃が花冷え、15℃が涼冷え、30℃になりますと日向燗、40℃がぬる燗だそうです。僕、常飲していますのは、やっぱり黒松剣菱ですから、今日の仕事が終わりましたら、これの35℃、人肌燗でゆっくりやって、旅の疲れを癒そうと思っています。

そうだそうだ、ご挨拶の順序が逆になって申し訳ありません、僕、昨日の午後、大分に無事戻って参りました。日曜の午後にこちらを出まして2泊3日、博多を中心に色々と動いて来ました。僕、何度行っても博多周辺の地理に疎く、迷う事頻りであります。大名って殿様かよ~、赤坂って東京じゃないよね、薬院って薬屋さんなの等々、頼りないばかりですが、当院O事務部長なぞになりますと、「ここから阪急です…」「このフロアのエレベーターの裏にスタバがあります…」「そこの警固公園を左に入って次を右に行って下さい…」等々、タクシーの運転手さんより詳しかったりしますからねえ。何故そんなに福岡に詳しいのか、不思議でなりませんけれど、ともあれ、今回は、Yさんを筆頭に、博多に不慣れな僕を色々とアテンドして下さった皆様方には、ただただ感謝しかありません。本当にありがとうございましたm(__)m。大分にお越しの際は、今度は僕が恩返しする番でして、是非お気軽にお申し付け下さいね!

さて、本日4月8日は、当院の創立記念日でありまして、僕、先程、職員の皆様の前で、ご挨拶をして来ました。今年で59周年、もう半世紀を過ぎた訳で、僕の曽祖父の蜷木稔が、昭和31年の今日、ここ下郡の地に、37床の病院として開設致しました。それが今では384床となり、小さいですが関連施設も増えました。僕で5代目の理事長となり、若輩者かつ未熟者ではありますが、患者様の為、社会の為、先人の為、職員の為、この病院を益々発展させて行かなければと、日々努力と研鑽を重ねている次第です。という訳で、今日は少々お堅い話になりますけれど、今後の当院の将来像について、綴らせて頂ければと思います。読者の皆様が、この話にお付き合い頂ければ幸いです。

かっての精神科病院は、所謂社会的入院、なるべくは隔離させ、退院させない、という考え方が主流でした。僕、それっておかしな事と前々から思っていましたし、社会復帰の手助けをするのが、当院の役割と思っています。ただ、悲しい事ですが、患者様に対する偏見があり、退院後、就労の機会や住居にも困る方も多いんですね。という訳で、グループホームや共同住宅を設立、少しでもリワーク、社会復帰のお手伝いをする様に取り組んでいるんです。

僕、前々から夢がありまして、今のオフィス部分がある処を管理棟と呼んでいるんですが、ここも随分と老朽化して来ましたし、近々のうちに、思い切って建て替えをしたいんですよ。お蔭様で外来患者様は増加の一方で、駐車場部分や外来も変えたいですしねえ…。かと言って、従来通りの精神科病院の建物では、ちっとも面白くありませんし、社会復帰のイメージも沸きません。

という事になりますと、外来のエントランスや病院の入り口の敷地部分は全て芝生、裸足で歩ける様にし、駐車場は地下、そしてね、当院の廻りは水路がありますから、これを上手く引き込みまして、大噴水を造ります。椰子の木を植え、病院の施設の管理棟部分は全て木製、南国のコテージ調としましょうか。そして、うちは温泉が豊富に出ますから、大きなバス・タブを造りまして、誰でも入れる様にすると。海外に良くあるのですけれど、大きな鉄板を幾つか置き、バーベキューもご自由に。お子様が遊べる様に遊具も点在させ、バスケット・コートを造り、人々が楽しく集える空間というんですか、ちょっとしたリゾート風にしたいんですよね。スタッフは皆、アロハにしようかしら。アニマル・セラピーも音楽療法も箱庭療法も良し、兎に角、全ては患者様の社会復帰の為、であります!あっ、お米を作ったり、養蜂や酪農も楽しいかも。将来は、「下郡病院特産米」が出来て、僕、お酒も好きですから、酒蔵もやっちゃうかな!?そうだ、国内の最先端病院の視察は、夏頃を考えていますけれど、海外にもスタッフを派遣しなくては。かかりつけ医で国全体の医療費が激減したキューバ。精神科医療で有名な、イングランドやイタリアやアメリカ。忘れちゃいけません、福祉と言えば、何と言っても北欧モデルと呼ばれる、スウェーデン・ノルウェー・デンマークですよね。ここら辺の国々に、スタッフを派遣して、勉強して来て貰おうかな。病院名の変更もありですよね。「下郡病院」なんて平凡ですし、僕、当初は、西郷隆盛先生の言葉、敬天愛人をお借りして、「敬愛病院」にしたかったんですよ~。その提案をしたのは随分昔、僕が未だ20代でしたから、意見が全く通りませんでしたけれど、将来はそれもありかもしれません。今、思い出したんですが、父は何故か、「病院名はイタリア語にしようぜ」と言い出した事があります。「おい、たかし、イタリア語で『愛』は何だ?」と言われ、「確か、ティ・アーモですか?」と答えたんです。そうしましたら、理事会で、「ティ・アーモ・ホスピタルはどうだろう?」と提案し、思い切り却下されて良かったです。大体、ホスピタルだけ英語じゃん…、そして、ティ・アーモって、エクザイルの歌じゃないんだから…。ツッコむ気力もありませんでした。

愛知県の小牧市ですか、そこの施設では、患者様がワイナリーを建設、ワインの販売もされているそうでして、うん、そのアイディア、素晴らしいと思います!当院でもね、漸くですが、患者様の手による、喫茶店を試験的に始めた処でありまして、前途はまだまだ遼遠なんですが、こういう当院発信の、社会復帰のシステムをドンドン造って行かなくては!僕、何時かは海外で小さなワイナリーを購入、余った葡萄の葉っぱでエスカルゴの養殖をし、煙草畑では葉巻の生産も手掛けたいと思っていたんですが、当院の敷地内でやるのも悪くないかもしれませんね。そうそう、当院の発信による、フェイスブックやツイッターやFMラジオ局もしたいですねえ。曾爺さんの時代は、何でも院内で養豚を手掛けた事があったそうなんです。その数なんと200頭を超え、病院から出る残飯の処理、飼育による患者様の社会復帰、そして育てた豚を売る、という一石三鳥のアイディアだったそうで、これ、結局は最後はどうなったんだろ?

上記のアイディア以外にも、まだまだ沢山ありますし、とても全部は書ききれませんけれど、何処まで実行に移せるのか、先ずは先立つ物も必要ですし、地域の皆様は勿論の事、スタッフの理解も当然必要です。まだ今は夢の段階なんですが、これが少しでも実現出来たら良いなあ!?

俗に、「財産を残すは下、事業を残すは中、人材を残すは上」と申します。僕、欲張りですから、お金は兎も角として、事業と人材は、当院に残し、何時の日か此処を去りたい、そう思っています。読者の皆様、今後とも、大分下郡病院をご贔屓の程、何卒宜しくお願い致しますm(__)m。
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