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☨ american sniper ☨

あ~、ホントに疲れた…。のっけから愚痴でスミマセン…。いや、僕ね、ここ暫く休みらしい休みが無い事に加え、色々と心労も重なり、身体もきつく、何だか心配になって血圧を測って貰いましたら、128-80だったので、そこは一安心致しました。今度の日曜日は、漸く待望のお休みが取れそうですから、春の海 ひねもすのたり のたりかな、思い切って20時間ぐらい、惰眠を貪ってやろうかしら。

さて、昨日は忙中閑あり、これまた久方振りに映画館に行く事が出来ました。観て来ましたよ、「アメリカン・スナイパー」!驚異の84歳、クリント・イーストウッド監督最新作でありまして、大変な傑作である事は間違いございません。劇場に入りますと、僕同様に独りで来た男性ばかりでして、まァ、カップル向けの sweet as sugar な映画じゃないのは皆さんお分かりでしょうから、それも致し方ありませんね。戦闘のシークエンスは誠に強烈、何時もながら演出も文句無し、主役を演じたブラッドリー・クーパー君も、20㌔近く筋肉を増やすという役作りでありました。彼は元々コミカルな役柄を得意としていましたけれど、鬼気迫る目線には、将に演技開眼という思いがしましたねえ。

ただ、本作は賛否両論、論争まで巻き起こっているらしく、「安直なヒーロー映画だ」とか、「アメリカの戦争を賛美している」という識者の意見も多いそうです。この連中、一体全体何処を観ていたのか、おツムの構造を疑いたくなりました。これ、戦闘のシークエンスだけを観ていれば、そう思うのかもしれませんが、とてもじゃないですが、明らかな反戦映画じゃありませんか。僕ね、これを観て戦争をしたくなる人なんて、そうそう居ないと思いますよ~。主人公は狙撃兵ですから、スコープ越しに敵を射殺する事を繰り返す訳です。リアルで緻密な描写なだけに、人が人を殺める事への不快感がひしひしと伝わって来ます。そして、主人公は、父親から、「神・国家・家族を守る人間であれ。そして、羊を守る番犬たれ。」と言われ、何の疑問も無く戦地に赴く訳ですが、そこでやっている事は、子供すら射殺する事な訳でして、自分の人格はドンドン壊れていくんですね。敵にも優秀なスナイパーがおり、自分の仲間達が射殺されていくのですけれど、主人公は単なる復習の鬼と化してしまい、そこには、大義も正義も何も無く、虚無と殺意だけでありました…。主人公は敵の狙撃兵に対し、非常に執着するのですけれど、でもそれはポジとネガ、裏返せば自分もまた、敵と全く同じ立場の同じスナイパーなんですよね。そのポジとネガ、陰陽で思い出しましたのが、映画「地獄の黙示録」です。これまた戦争映画の大傑作なんですが、劇中、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」を大音量でかけながら、米軍をベトナム村を攻撃する、有名なシークエンスがあります。これ、絵も良く俳優も良く、大変な迫力ですから、非常な爽快感があるんですね。でも、その後直ぐに、「エッ、爽快な気持ちになるという事は、自分も戦争に加担しているのでは!?」と思い、罪悪感に駆られるんですね。また、これまた大傑作の映画、「Uボート」は、観終ってからは多大な虚無感しか残らず、これまた反戦への思いが強く伝わって来ます。

映画全編を貫く、行き過ぎて、何処かねじ曲がった正義感、とでも呼べば良いのでしょうか、でもね、それこそが超大国アメリカの宿痾であり、不治の病じゃありませんか。尤もね、平和に穏やかに暮らしていたインディアン達を大量虐殺して出来上がった国な訳で、それは、アメリカ人が幾ら自己弁護しようと、決して許されない事であります。となりますと、自分を正当化する為には、己が絶対正しい、僕に反対する人は決して許さないゾ~、という極めて幼稚で危険な思想になるんじゃないですかね!?それは、ファシズムと何も変わらず、今の日本の総理にも、同じ匂いがプンプンします。

又、ラストの一連のシークエンスで、執拗に乱舞するアメリカの国旗、これもイーストウッド監督の大いなる皮肉にしか思えませんでした。主人公の廻りの人達も、少しづつ人格が壊れたり、戦争に懐疑的になりますし、主役が「アメリカを守るんだ」と言うと、奥さんが、「そんなものクソよ!」と一刀両断でしたもんね。この映画の何処が、アメリカ賛美なんだろ??そして、映画が終わりますと、エンド・ロールって流れるじゃありませんか。スタッフや協賛企業やロケ地などがクレジットされ、大体は何かしらの音楽が流れますよね。ところが本作は、ずっと無音でありまして、優れた作曲家でもあるイーストウッド監督の、強烈な意志を感じました。結論として、強烈なアメリカ批判であり、1人の兵士が心身共に摩耗する様を描いた、反戦映画の傑作と言えましょう。アッ、そうだ、観ている側も非常に消耗しますから、元気な時にご覧になった方が良いですよ~。

閑話休題、素人映画評論のコーナーはこれでお終いです。でもね、アメリカン・ウェイと言いますか、彼の国のやり方はもう限界、そう思えてなりません。リーマン・ブラザーズは記憶に新しい処ですけれど、デルタ航空に石油のテキサコ、通信のワールド・コム、車ではGMにクライスラー、エンロンにGE、何れもアメリカを代表する世界的な大企業でしたが、何れも破綻、或いは合併や国有化の歴史があります。また、これこそがアメリカの象徴とも言うべき、知らぬ者の無い、マクドナルドですら、全世界的な大不振ですよね。その理由として、決まりきったお仕着せのメニューでは無い、新興のバーガー・チェーンが台頭した事もあるでしょう。今、マクドナルドを猛追しているのが、シェイク・シャックでありまして、これ、元々は、2000年に公園で始めた屋台だったそうですが、天然の素材を活かし、お客さんのニーズに応える形のメニューが大人気の由、日本には来年上陸みたいですよ。今までのマクドナルドは、如何にもアメリカらしく、材料を安価に大量調達、世界中で同じ味を出していた訳ですが、それでは消費者の好みには、直ぐに対応出来ない訳ですね。フランスのマクドナルドでは、アメリカの本社から独立一歩手前の形で、地産地消の食材とメニューを大幅に取り入れ、不振から巻き返しつつあるそうです。夫々の国の文化や食習慣を活かした形でしか、幾ら天下のマクドナルドでも生き残れないという事ですね。となりますと、何れは各国のマクドナルドは解体、分裂の可能性すらあります。これって、アメリカン・スタイルはまるで昔の巨大な恐竜、世界のトレンドに付いて行けていない、という事の象徴の様に思えてなりません。かって見たフランス映画で、「アメリカ人は物を売れ。フランス人は恋をする。」という台詞がありましたが、ウン、そっちの方が粋ですよね♡

さて、仕事と映画に些か疲れまして、昨夜は布団にくるまって、永井荷風の小説を読んでおりました。どう見ても荷風先生とおぼしき主人公が、芸者さんと抜き差しならない仲になるんですね。「新橋の料亭のお椀に松茸が入っている頃に逢い染めて、もう日比谷の料理屋のお椀にも、松茸が入る頃になってしまった。」、という一節がありました。走りの頃の松茸は高価ですから、新橋の一流処の料亭でしか出ないと。けれども、暫くすれば、価格が下がり、日比谷の庶民的な料理屋でも松茸が出せる、という訳なんですね。芸者さんと荷風先生の間柄、その親しくなる時間の経過を、松茸で表しているんです。そして、馴れ初めの頃は、新橋の高い処でご飯を食べていたけれども、深い間柄になってからは、庶民的な店で逢引きをする、という按配であります。何とも思わせぶりで艶っぽいですし、僅か数行で其処まで表現出来るなんて、これこそが、粗野なアメリカと違った日本情緒ですよ!!

イスラム国に空爆を繰り返すよりも、この春の朧月夜に、着物姿も目に鮮やかな、色白の美人と、人肌燗で差しつ差されつ、鰆に蛍烏賊に白魚、三つ葉に筍に菜の花、桜海老にサヨリに蛤と、旬の物を美味しく頂く方が、僕、よっぽど良いと思うなあ…。
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