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いや~、それにしても自転車通勤の辛い季節です…。漕いでいる時間は精々20分前後だと思うのですけれど、病院に着く頃には、太腿やふくらはぎが痺れた様に冷え切ってしまいまして、往生します。安部政治を評して、「あんべえ悪く、しんぞう悪い」と地口でからかわれている様ですが、冬季の自転車通勤は、寒くて寒くて「雨降りの太鼓」、即ちドンと鳴らない、どうにもならない、なんつって…。駄洒落は兎も角としまして、所謂ズボン下、通称パッチですか、最近では高性能のヒート・テックとか、ああいう類の物を穿けば、少しは暖かいんでしょうが、何かおっさんの様で抵抗があるんですよね~。親友のMさんも、当院のO事務部長も、どうやら穿く気はさらさらなさそうですから、僕も我慢しようっと。でもね、以前広告で見て大変驚き、かつ爆笑しましたのは、「エベレスト登山隊ご用達の袖シャツ&ズボン下」なんです。日焼けした屈強な山男達が、エベレストや氷河を背に、純白のシャツとズボン下のみでズラリと勢揃いしておりまして、非常に強いインパクトと説得力がありました。確かに暖かいんでしょうし、食指が動いたんですが、僕が住むのはアルプスやヒマラヤでは無く、九州の暖国の大分ですもんね、流石に断念しました。高浜虚子に、襟巻の 狐の顔は 別にあり、という句があります。高価なシルバー・フォックスのマフラーをしていても、その心は狐の様に狡猾だ、という上流階級のご婦人方へのシニカルな句なんですが、僕、カシミアとは申しませんが、タオル地でも良いから、どなたかプレゼントしてくれませんかねえ!?首元も寒くて寒くて…。マフラーの 毛玉が多く くしゃみ止まらず、ううん、字余りの上に、いつにも増して酷い出来で失礼しました…。

閑話休題、最近の拙ブログの話題は、中東の事ばかりで恐縮なんですが、今朝の読売新聞に依れば、「イスラム国は、思想統制を益々強め、図書館や書店を襲撃、奪った本を焼却する動きを加速している。西洋の思想・文学などを害悪とみなす、イスラム国による言論・思想統制がさらに強まっていきそうだ。」との由でした。僕、すぐさま感じましたのは、ははァ、こんな暴挙に及ぶ様では、驕る平家は久しからず、月満つれば即ち虧く、の諺通り、イスラム国の天下も長くない、という事でした。書物を焼く行為を、焚書--ふんしょ、と読みます--と言うのですが、これって、特定の思想意外を一切認めないという、狭量かつ料簡の狭い行為でありまして、こういう事をする国家って、世界史を紐解き調べてみれば、必ずや滅びてしまうんですよ。

さてさて、時代は遡りまして、紀元前の中国に、秦、という国がありました。この秦、万里の長城を造った始皇帝で有名ですけれど、中国初の統一国家でありまして、この国の思想は所謂「法家」というものだったんですね。厳しい法律で人民を縛りつける事こそ、国を治める唯一の手段である、という考え方でした。これを紀元前の国でやろうってんですから、今とは違って昔の中国人は頭が良かったんだなあ、そしてその革新性に感心しますけれど、まァ、上手く行く筈がありませんよね。大体、古代の人達に、「法律」という概念があったかどうかすら怪しいものです。この法家に対抗する考え方が、「儒家」或いは「儒教」と言いまして、法律よりも人情や仁義や徳を以って国を収めよう、とする思想です。法家の信奉者である始皇帝は、この儒家が許せなかったのでしょう。儒教を信じる学者達を一網打尽にひっ捕らえ、皆を生き埋めにしたんですね…。そして、儒教の教えを書いた本は皆、焼き捨ててしまいます。これを焚書坑儒、と呼ぶのですが、その極端過ぎる政治が仇になったのでしょう、秦の国は、僅か15年で滅びてしまうのでした。

そして、ナチス・ドイツも全く同様の行為を行っています。ドイツ的では無い、と判断された、詩人のハイネや児童文学のケストナー、小説家のマンにレマルク、その他にも多くの書物が火の中へと消えました。「汚れた書物を火によって洗い清める」というスローガンだったそうですが、自分と合わないと判断すると燃やしちゃうなんて、乱暴過ぎますよね。でもね、ビジネス・シーンにおいても、こういう自説を決して曲げない人って、実は意外と多くいるんです。口八丁手八丁、己のあらゆるコネクションを使って手を変え品を変え、自分の主張を通そうとする人。a wolf in sheep's clothing、訳せば羊の皮をかぶった狼ですか、他者を上手く利用し、自分はその陰に隠れ、人から己の意向を言わせるご仁。口では分かったと言いながら、自分の主張は決して言わず、サボタージュという形で抵抗を示すタイプ。嘘を付く積もりは無いんでしょうが、己の利害やその時の感情に左右され朝令暮改、そんな事をしていては、誰からも信用されません。まあ、地球の人口が70億人、色んな人がいるなあ、と感心しますけれど、この手の腹黒い偽善者って、小智はあっても大智が無いと申しますか、周囲の人達には、その狭量さや姑息さや狡猾さって、全てバレてるんですけどね~。知らぬは本人ばかりなり、そういう人を見るのって辛いばかりですし、少なくとも僕、同席する事すら不快です。

話がズレて恐縮ですが、話題を戻しまして、人の表現の自由を奪うなぞもっての外、決して許されない大罪と思いますし、ましてや本を焼くなぞ天に唾する行為、だからこそ、焚書を行う国は滅びてしまう、僕、そう確信していますから、イスラム国の寿命も長くはないでしょう。大体ね、物事に規制を掛けたり、お上が絡んでくると、途端に色褪せ詰まらなくなります。例えば映画にしても、僕の幼い頃なんて、R指定もPG指定もありませんで何でも見放題、でも、CGも無く特撮技術も稚拙だった、70年代当時の方が、歴史に残る作品が圧倒的に多いのは厳然たる事実です。

小説だってそうですよ。今は、様々な条例が出来、青少年保護育成条例でしたっけ、Hな本を自治体が取り締まれる様です。でもね、そんな条例なぞ無い昔の書物、書店に行けば誰でも入手出来ますが、谷崎にせよ永井荷風にせよ、こちらの方が表現として数十倍優れているのは勿論の事ですし、そしてよっぽど助平ですよ!?

永井荷風は芸者衆やカッフェーの女給にお手伝いさんが専門ですけれど、谷崎なんて殆ど変態の域ですよ。足フェチにレズビアンにスワッピング、刺青趣味にSMに近親相姦、ハーレムに老人の性に女体崇拝って、これを明治時代から書いているんですもん、こちらを焚書にした方が良いんじゃないかしら!?ってこれはあくまで冗談ですよ。だってね、例えば代表作の1つの「春琴抄」にしても、絶世の美女ながら盲目の三味線の師匠と、忠実極まりない男弟子の2人が主人公なんですね。この師匠、トラブルに巻き込まれ、醜い火傷を負います。師匠は弟子に、「ただれた顔の傷の跡を見せたくない」と、今までは恋人同士の様に仲睦まじかったのに、一切近付けなくなります。そこで弟子は或る決心をするんですね。「美しいままのアナタだけを覚えておきます!」という訳で、自ら両目を突き失明、そして師匠に仕える、という何ともはや、凄まじい小説と思いませんか!?

何はともあれ、先の「春琴抄」の様な反社会的?小説を読めるのも、建前上は言論の自由のあるこの国に住めるからでありまして、皆様も同様なお考えと思いますが、僕、イスラム国に生まれなくて本当に良かったです!よし、午後からは大きい仕事が控えていますから、これから用事を済ませて、早めにお昼を摂って来ます。今日のおかずは何かな~♡♡
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