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復活の日

何処まで続くぬかるみぞ、これは軍歌の一節ですけれど、いや、ここ大分は連日の鬱陶しい天気が続きまして、ジメジメした毎日です。雲間より 稲妻の尾の 現れぬ、僕、これはあくまで個人的好みですが、気候も人柄も陰気なのはどうも苦手、裏表無く本音で喋る人や、からりと晴れたピーカンが一番ですよね。何を考えているのか分からないのは、どうにも困ります。それはさておき、天候同様に、嫌なニュースばかりでして、こういう事には余り触れたくありません。この湿気を忘れる為にも、早速涼しい話と参りましょう。

COMNAPという29か国から成る、南極観測の国際組織があるそうでして、僕、不勉強で知らなかったのですが、ここの議長に、白石和行さんという日本人の大学教授が選出されたそうです。これ、日本では初の快挙だそうで、今現在、テニスの錦織選手がNYで大奮闘中ですけれど、同胞が異郷の地で活躍するって、本当に誇らしい事ですよね。

南極に話を戻しましょう。皆様ご存じかと思いますが、先ずは基礎データを整理しますと、この地はオーストラリアの倍の面積と言いますからかなりの広さ、そして-93℃という考えられない気温を計測していますし、生き物も植物も殆どおりません。僕、かってタスマニア島に行った事がありますけれど、ここは一応南極海に面しておりまして、それでも極地からは2000㌔離れているんですが、まあその風の強烈な事、酷い時は港で眼を開けてられなかったですもんね。そして、地球ってダイナミックだなあ、とほとほと感心しますのは、この南極、数億年前は赤道上に位置していたそうで、熱帯雨林があり、恐竜も闊歩していたんでしょ。南極点の近くには、その痕跡が残されているそうでして、生き物の歴史は、悠久の太古から連綿と続いていたんですね~。そして、これまた人間のバイタリティに圧倒されますけれど、最初に南極大陸に上陸したのは、アザラシを追った漁師さんだったそうで、これが1821年ですから、日本では未だ江戸時代の終わり頃の事でありました。

それから40年後、秋田の地で、白瀬矗(なお)という男の子が生まれます。彼こそが日本人初の、南極大陸の地を踏んだ人なのですが、余りにも知られていません。どの道においても、先駆者とは理解され難いものでして、彼こそが日本の探検家の鼻祖とも言えるのですが、明治の御代の日本において、単なる道楽者としか理解されなかったんですね。さて、白瀬さんは子供の頃から海外雄飛の強い希望があり、幼い頃から探検家を志したと言います。その夢を叶える為に、先ず陸軍に入隊、中尉まで昇進しました。軍務として千島列島や樺太にも渡り、探検のキャリアを積むのですが、北極や南極等、極地への夢は棄てきれなかったんですね。陸軍を辞め、南極探検の費用を議会に建議しますが、極々僅かな3万円、今に換算すれば3000万?ぐらいかなあ、それしか得られませんでした。そこで国民にそれをお願いした処、意気に感ずとはこの事でありまして、何と14万円、現在の1億4000万円が集まったんですね。白瀬さんは意気揚々と南極への航路を目指すのですが、日本人にとって、何せ初めての事です。漁船として使われていた、中古の木造の帆船に蒸気機関を付ける、という粗末な船に乗り、3か月の航海を経て、先ずはニュージーランドに到着します。

好事魔多しと申しますか、元々資金が不足していましたから、金の切れ目が縁の切れ目、毎日の様に野宿が続き、隊員同士は不和となり、探検用に用意した樺太犬は病死、それでもその約1年後の明治45年、白瀬隊は南極の地を踏む事に成功します。南極点に達する事は出来ませんでしたが、僕、明治の時代に、凄い男が居たものだ、と感動します。帰国後の白瀬さんは、心無い人達から、酷い中傷や誹謗を受けた上、莫大な借金を背負わされ、淋しく亡くなります。

それでも、白瀬さんの生涯は、決して無駄ではありませんでした。彼のその精神は今なお生き続けているんです。時は流れて幾星霜、白瀬さんの弟のお孫さんの京子さん、彼女は、日本女性として初の、ヨットによる世界一周に成功しました。そして、白瀬さんは莫大な借財を返す為、日本全国津々浦々を講演で行脚、20年をかけて完済したんですね。涙がこぼれる思いがしますけれど、京都で講演をした際、その会場にはある少年が居ました。その子の名は西堀栄三郎、彼は白瀬さんの話を聞き、強烈な刺激を受けたそうで、探検家を志します。学問にも際立った才があり、京都帝大を卒業後、理学博士となり東芝の重役を務め、母校京大の教授となり、アインシュタインとも仲良しというんですからこれまた吃驚ですが、少年の日の夢を見事に叶えまして、第一次南極観測隊に参加、越冬隊長となるんですね。熱意は伝染し、その熱さが分かる人にのみ繋がれて行くんでしょうか。その西堀さんがこよなく愛し、物心両面で面倒を見たのが、彼の大冒険家、国民栄誉賞の植村直己さん、そして、史上初の世界一周単独ヨットレース優勝者、多田雄幸さんがいらっしゃいます。

多田さんの弟子筋が、史上最年少で無寄港世界一周の偉業を成し遂げた、ヨットマンの白石康次郎さん。そして、その盟友で共著も出している、七大陸最高峰の最年少登頂のアルピニスト、野口健さん。因みに、野口さんは、どうしようもない不良少年だったそうですが、植村さんの本に出会い、眼からうろこが落ち、登山家を目指したそうなんです。

白瀬さんは困窮のまま、陋屋で亡くなられましたが、彼の気高い意志は、半世紀が経っても、優秀な後輩達がそれを受け継いでいると言えましょう。オッ、吉報が入りました!!錦織選手、全米オープンで日本人としては96年ぶりのベスト4、素晴らしい大快挙ですね!錦織選手は病み上がりの上に体格で劣り、テニス・プレイヤーとしては左程若くなく、おまけに日本人に不向きな球速が落ちないハード・コートでしょ。いや、ただただ拍手であります!遠くNYに向かってスタンディング・オベーションを贈りまして、僕も辛い事が多い時もありますが、負けずに頑張らなくちゃ!
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