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学問のすゝめ 

おはようございます。どうやら台風は今、銚子沖の太平洋上を驀進中の由、もうすぐ低気圧に変わるそうですから、これでどうやら一安心ですね。大分も、風は強かったのですが、左程被害は無かった様でした。先程お茶を持って来てくれた子に依ると、別府も強風のみだった由です。と申しますのも、当院の職員旅行が昨日だったんですね。行き先は別府、大丈夫かなあと心配していたんですが、流石に露天風呂は無理だったでしょうが、スタッフが無事で何よりでした。

そのスタッフで思い出したのですが、つい先日、結婚式の招待状を持参されて、「主賓のご挨拶をお願いします」との由、大変光栄な事ですし、喜んでお受けしました。それはさておき、僕、最近の披露宴って長いな~、ってつくづく感じていたんですね。いつぞやでしたか、4時間を超した時は、目出度い席で恐縮ですけれど、正直しんどかったですし、親戚の席に居たお爺さんが目に入りましたけれど、宴もたけなわなのに船を漕いでいて、すっかり夢の中でしたもんね。でもね、少し歴史を振り返れば、これでも短くはなった方なんです。江戸期の名も無い庶民の日記に依れば、当時の婚礼ってやたらと長いんですよ。新郎は当日の朝10時に花嫁の家に行き、ご挨拶をして結納の品を収め、夕方5時まで宴会、そして自宅に戻って、20人程を呼んで夜の11時まで祝宴。翌日、夜の9時に花嫁が輿入れ、親族が集まり夜通し酒盛り、朝の5時にお開き。翌々日、お昼から女性客のみの宴会が夜遅くまで続き、新郎は近隣全てに丁重な挨拶廻り、というスケジュールだった様でして、いやァ、これは大変ですよね。

昨日一昨日からの拙ブログの続きの様になりますけれど、今の日本に最も必要なもの、迂遠の様に思えますけれど、教育改革しか無いのでは、というお話だったと思います。三部作と言うと大仰ですが、今日はその補足をしたいんですが、先の江戸期って、かなりの偉人や大人物が出ているんですね。以前の拙ブログでも折々に触れて来ましたけれど、殿様にだって図鑑を著したり数学に長けた才人が沢山居た訳でして、俳句や浮世絵にも、今なお世界中で評価の高い、飛び抜けた天才達がうようよいました。有名処では、和算の関孝和、洋学の佐久間象山、エレキテルの平賀源内、蘭学の高野長英、地図の伊能忠敬、慶應義塾の祖の福澤諭吉と、これまたまるでX-MEN、超人揃いですけれど、まだまだ沢山いらっしゃいます。

先ずは、語学の天才、新潟は佐渡島の農家生まれの司馬凌海でしょうか。この先生、その生涯の中で外遊歴は全く無いのですが、外国語を1度聞いただけで覚えてしまう、という天賦の才があった様でして、何と8か国語がペラペラだったそうです。ドイツ・英語・オランダ・フランス・ロシア・中国・ギリシャ・ラテンと、発音までが完璧な由、明治の初め、お雇い外国人が多数来日しましたけれど、皆一様に、司馬先生を日本人とは思っていなかったそうです。今の様に、CDで繰り返し言葉を聞いたり、教科書や文法書や辞書がある筈も無い訳で、「蛋白質」に「十二指腸」等々、現在使われている医学用語の多くは、この司馬先生の造語なんですね。

お次は、本邦初の天文学者、近江ですから滋賀県の産、代々鍛冶屋の家に生まれた、国友一貫斎であります。この国友、という家は、古くは戦国時代の初めからですから、今から500年近く前から鉄砲を造って来た一族なんですね。さて、一貫斎さんは、17歳で当主の座に就いたのですが、この人の凄さは、見た物を再現出来る能力です。幕府のお偉いさんから、オランダから伝わった、玩具の空気銃を見せて貰ったそうなんですね。地元の国友村に帰るや否や、殺傷力のある空気銃を完成させ、おまけにそれが20連発というんですから、オリジナルの物より数倍優れていた訳で、オランダ人もビックリですよね。そして、同じく幕府のお偉方から、望遠鏡を見せて貰ったそうなんですが、またもや国友村に戻るや否や、それより優れた物を完成させました。万年筆や照明器具まで作ったそうで、リアル・ドラえもんと言いますか、何かが欲しかったら、この人にそれを見せれば、遥かに高性能の物を作ってくれる気がしますけれど、彼の天体望遠鏡は60倍の倍率で、当時世界一の性能だったとか。今から200年近く前に、月や土星のスケッチを残していると言いますから、いやはや何とも、最敬礼するしかありませんよね。

続いて、福地桜痴さんに参りましょうか。この人は長崎のお医者さんの息子でして、幕末きっての文系の才人と言えるでしょう。ロシアに欧州にトルコにアメリカを国の外交官として歴訪、その経験を活かし、あらゆる分野で大活躍するんですね。本邦初の新聞を手掛け、ジャーナリストの先駆けとなり、戯曲にあらゆるジャンルの小説に評論に翻訳、文藝において八面六臂の大活躍でした。因みに、「社会」という言葉を造ったのは福地さんなんですね。

トリを務めるのはやはり彼でしょう、からくり儀右衛門、その人であります!儀右衛門さんは、久留米の鼈甲細工の家のご長男でして、今の小学校、昔の寺子屋に通っていた際、悪ガキ共から、筆や墨をしょっちゅう盗まれたそうなんですね。先生に訴えるなぞ下の下でして、儀右衛門さんは、「では、盗まれない筆箱を造れば良い」という訳で、精巧な鍵--何と、現代の金庫と同じ構造の鍵だったそうです!!--を付けたそうでして、これが9歳の時でした。16歳でからくり人形やオルゴールを自作、これに久留米の隣にある、佐賀藩が目を付けたんですね。佐賀藩の殿様は、以前の拙ブログでも触れました、これまた天才の鍋島閑叟でして、儀右衛門さんに無理難題を命じます。江戸の末期に、蒸気船と大砲と自転車を造れ、というんですが、何とこれを完成させてしまうんです。明治維新が成り、儀右衛門さんは東京の新政府に出仕、蒸気機関車と電信機を造る事になるのですが、芝浦の地に製作所を設けるんですね。この小さな製作所が、東京の芝浦の頭文字を取り、世界の「東芝」となるのです。

僕、この江戸期の教育システム、是非文部省に検討して欲しいんです。平成の今、人口が1億2000万で、小学校の数は2万2千あると言われています。江戸期の人口が3000万人、全国の寺子屋は1万6千との事でして、まあ、時代背景や生徒数も大きく違いますから、一概に比較は出来ません。でも、江戸期には、全国統一の指導要綱、といった教育マニュアルもありません。寺子屋の方が、より自由で、より肌理細やかな教育が出来たのではないでしょうか。また、日本全国津々浦々は300の藩で構成されていましたけれど、藩独自の藩校があり、松下村塾や慶應義塾の様な優れた私塾が沢山あり、今の平々凡々で没個性の大学教育よりも、余程優れた感があります。

今の日本は、原発に年金に特定秘密保護法に集団的自衛権にTPP、そしてアメリカからの自主独立と、問題は山積しています。もしかすると、僕の世代では日本再生は成らないかもしれません。次世代に希望を託し、真の意味での日本復興の為にも、寺子屋や私塾の再現を、僕、強く望みます!!

週末は久方振りに快晴の様ですね。いよいよ梅雨も明けるでしょうし、皆様、楽しいウィークエンドをお過ごし下さい。それではまた来週お会いしましょうm(__)m。
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