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♪ 土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た ♫

うう~ん、日本代表も精一杯頑張ったんでしょうが、これ、完敗であり惨敗と言っていいでしょうねえ…。3試合で0勝2敗1分、2得点6失点、どうも戦前の予想では、世界ベスト8だ、とマスコミは大騒ぎしていましたけれど、グループリーグ最下位なんですから、売らんが為に景気の良い記事を書いたり、テレビで大々的に盛り上げたんでしょうが、将に大外れ、みんな坊主にして詫びてはどうですか!?「自分達の攻撃的サッカーをすれば!」と解説者は連呼していましたけれど、相手があるんですから、そうそうこちらの都合通りにさせて貰える筈はありません。僕、今回のサッカーの大騒ぎで痛感しますのは、日本人のお目出度い国民性です。だって、皆さん2勝は出来る、という予想が殆どだったじゃないですか。敵を知り己を知れば百戦殆うからず、とは良く言ったもの、日本は自分の正確な実力も、相手の力も、心の底からは理解していなかったのではないでしょうか。戦略、戦術、体力、知力、技術、全てにおいて劣っていた、と言われても仕方が無く、自分が弱者と認識していれば、また違った作戦も選べたんじゃないかな!?何かねえ、大仰かもしれませんが、日本人のメンタリティって、第二次世界大戦の頃と、ちっとも変っていない様に思えてしまいます。「戦争なんてやってみないと分からない。日本は神の国だ、鬼畜米英火の玉だ!」と開戦し、300万人の死者を出して日本中が丸焦げにされ、大惨敗ですもんねえ…。

妙な例えかもしれませんが、ほら、ラテンの国々って、サッカーの強豪国が多いじゃないですか。イタリアにフランスにスペインに中南米、彼らって、何処ぞの病院スタッフにも似て、恋愛上手の男性が沢山居る様に思うんです。押しても駄目なら引いてみな、まさか、「誰かの様に素敵なお花が届いています…♡」「髪を切られて、お若くなられましたね…♡」「いつも、自分らしく頑張っている人が僕の好みかな…♡」、なんてクサい事は言わないにしても、相手の反応をじっくり見ながら、ワインを勧めたりオペラに誘ったりドライブしたりして、女性の気持ちを掴み、最後には上手く結ばれる、サッカーで言えばゴール、という事になりましょうか。どうも日本男児は、「好きだ好きだ」と連発し、相手の気持ちや都合も考えずにグイグイ迫って嫌われたりして、それでは、ゴールという好結果は出ませんよね。狩猟民族と農耕民族の違いなのかしら。

閑話休題、どうも納得が行かなかったのですが、朝の番組は、サッカー一色でありまして、僕、仮にもビジネスマンですからね、時事についてはざっと知っておきたいのですけれど、待てど暮らせどニュースが流れないんですね。サッカーを流すな、とは申しませんけれど、仕事に行く人も居るんですからね、敗因分析まで国営放送のトップ・ニュースでやる必要ってあるんでしょうか!?そのサッカーに埋もれてしまって残念なんですが、話は大きく変わりますけれど、日本史上最大の謎、と言われれば、これは僕の私見ですけれど、邪馬台国の在処、本能寺の変の真相、西南戦争勃発の理由、この3つだと思うんですね。これまた私見ですが、邪馬台国の所在地は、以前の拙ブログに書きましたけれど、僕の母方の本貫の地である、大分は宇佐で決定と言えます。西南戦争における、西郷さんの決起の理由は、大久保利通の陰湿な陰謀に引っ掛かったからでしょう。そして、最後に残った、本能寺の変ですが、信長公が何故謀反を起こされたのか、という謎ですよね。イエズス会が絡んでいた、光秀が天下を取りたかったからだ、怨恨だ、ノイローゼだ、いやいや秀吉が黒幕だ、朝廷あるいは足利義昭じゃないか、まあ諸説が入り乱れているんですね。僕、これまた拙ブログで書いたのですけれど、皆様ご存じの様に、右大臣信長公は、当時の常識を超越した天才であり、それを理解出来る人って居なかったと思うんですね。人は、理解出来ない者に恐怖を覚えますから、それで殺されたのでは、というのが僕の考えだったんですね。だって、信長公と言えば、今から400年前に、マントを着て西洋音楽を演奏させ、赤ワインを飲んでステーキを食べて、黒人の従者が居るんですよ!自分のお城は吹き抜けでツイン・タワーですし、おまけに自分は神だ、とか言い出しますもんね。この予想、間違いなし、と確信していたんですが、新聞各紙に依りますと、つい先日、岡山にある、私立の林原美術館から、本能寺の変当時の文書が大量に見つかり、世紀の大発見があったんですね。

当時、信長公は四国を攻め獲ろうと画策していたのですが、そこには長宗我部元親、という大変優秀な大名がいました。長宗我部氏は、四国全域に勢力を広げていたのですが、そこに信長が割って入り、それは認めない、という一触即発の状況だったんですね。長宗我部氏は苦渋の決断をし、自ら攻め取った阿波の国の保持だけを願い、本国土佐に撤退する旨の手紙が明智光秀の手元に届いたのが、本能寺の変の10日前だったそうです。ところが、信長公は、その阿波をも取り上げる方針で、既に四国攻めの大軍勢を用意していました。明智光秀は、信長公の忠実な部下だった訳ですが、長宗我部氏との外交交渉を長年任されていましたから、面子を潰される思いだったのでしょう、それで決起に踏み切ったのでは、という事なんですね。この真贋は未だ分かりませんけれど、僕、この長宗我部氏と、彼らの本拠地である、土佐の国、現在の高知県には、前々から興味がありまして、今日はそのお話を少しだけ綴ってみますね。

さて、長宗我部、ちょうそがべ、と読みますが、変わった苗字ですよね。実は、長宗我部氏が自称していますのは、我々のルーツは、古代中国の初代皇帝である、秦の国の始皇帝だ、と宣言しているんです。歴史の教科書を思い出して頂きたいのですが、ほら、蘇我氏っていましたよね。彼らもまた、中国や韓国から渡って来た渡来系の人々と言われていまして、大化の改新の政争に敗れ、地方へ逃げた訳です。牽強付会かもしれませんが、長宗我部、蘇我、同じく、そが、で良く似てますよね。さて、紀貫之の「土佐日記」で広く知られる様に、この高知県は、古来から辺境の地、そして遠流の地として有名でして、先の渡来系あり、流された犯罪者も居たでしょうし、恐らく源氏に敗れた平家の落ち武者どもも逃れて来たでしょう。そして、非常に興味深いのは、現在の高知県中村市を支配していたのは、一条氏なんですが、彼らのルーツは、何と位人臣を極めた関白でして、室町時代の応仁の乱を逃れ、遥々この高知県まで逃げて来た訳ですね。僕、両親と四国旅行をした際、この地で清遊しましたけれど、街並みは全て碁盤状でして、将に小京都の趣がありました。

さて、この高知県、高貴な方から外国の人、犯罪者に土着の民、西日本の平家の落ち武者に加え、関東の源氏系の領主が居た時代もありましたし、江戸期の藩主の山内家は名古屋の人です。もう1つ、長宗我部氏の採ったシステムに、一領具足、という物があります。これ、どういう事かと言いますと、普段はお百姓さんなんですが、動員が掛かると、田んぼや畑の傍に槍や刀を置いていまして、忽ちお侍さんへと早変わりする訳です。身分による差別も少なかったんだろう、と推測出来ますが、彼らの遠い遠い子孫が、彼の坂本竜馬と言われているんですね。まあ、多種多様な人達が土佐の国を構成していた訳で、日本史を見ていますと、坂本竜馬にしても自由民権運動にしても、三菱財閥の岩崎家にしてもクーデター未遂で死罪になった幸徳秋水までもが、ここ高知の出身なんですから、歴史と風土って、本当に面白いなあ、と痛感しますよね。そうそう、これ、有名なお話なんですが、高知県では、例えば、音楽のヒット・チャートが全く違うそうなんです。他県では、1位がサザンオールスターズ、2位がユーミン、だとしますよね。ところが、高知では、1位のサザンは同じでも、2位にはスターリン--一部で熱狂的なファンが居る、パンク・ロック・バンドです。--がいきなりランク・インしたりするとか。勿論、他県でのスターリンは、ベスト50にも入っていないんですね。

昨日の夕刻は院外の方をお招きして、とても熱い講義を受けて、幹部職員一同、大変な刺激を受けましたけれど、その方がおっしゃるには、衣食住が人を造る、との由でして、僕、全く同感ですけれど、蛇足ながら1つ付け加えると、高知県の特異な成り立ちを考えれば、その地ならではの、歴史と風土も関係性がある様に思えてなりません。よおし、今年は夏休みを貰いまして、親友のMさんやS君、久しく会ってない友人のT・Mさん、そして夜のガイドとして当院O事務部長や他院の知り合いの強者どもにも奮ってご参加して頂き、皆で土佐の国に行こうかしら。高知は先の例の様に、様々な処の血が入っている所為か、通称「はちきん」と呼ばれる気の強い美人が大層多いそうですから、豪快な皿鉢料理を前に、皆で豪勢に夜を徹して宴会でもしましょうか!?さあ皆で飲むぜよ、日本の夜明けは近いぜよ、なんちゃって!?
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