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HARIMAU (=^・^=)

今日も大分は蒸し暑いなあ…。少しでも涼を、と思いまして、今朝のBGMはキューバン・ソン、ラテンのサルサの原型となった音楽ですね、それをかけています♪リズムが重層的ながらも軽やか、メロディは明るいんですが一抹の哀愁があり、歌詞は熱く切ない恋を唄ったものでして、中々結構ですよ。♪ 出て行くお前に深い悲しみを感じる 私はお前に知られぬ様 独り泣いている 私の人生の様に 漆黒の闇の様に 私は黒い涙を流す ♪、lagrimas neguras、黒い涙、というキューバ音楽のスタンダード・ナンバーの歌詞の一節であります。ただ、素晴らしい音楽と思うのですが、時と場合に関係無く、モヒートとか、クーバ・リブレとかダイキリ、キューバ所縁の、ラム・ベースの良く冷えたカクテルと、葉巻を吸いたくなるのが珠に傷でしょうか。そうそう、別府のとあるバーなんですが、そこのフローズン・ダイキリは格別の味でして、恐らく九州一じゃないかしら。久しく行ってませんが、今度お忍びで覗いてみようかな!?

閑話休題、昨日の拙ブログ、何だか評判が良く、業者の方からメールを頂いたり、或る職員の人から声を掛けられたりと、中々の反響でした。まあ、僕の両親の天真爛漫というか、奇矯な振る舞いについては、以前の拙ブログで幾度と無く触れております。勿論これからもちょいちょい出て来るかと思いますが、古い分の拙ブログもご覧頂ければ幸いです。

でも、僕の家系は、何だか変わり者が多く、これ、以前も紹介したかと思いますが、元議員、尼僧、占い師、神父、教授、医師、縁日の的屋、少女小説家、○○の○○○、お茶の先生、商社マン、大手建設会社、そして僕と、百花繚乱と言えば聞こえは良いんですが、てんでバラバラでありまして、滅多にありませんが、極々偶に親族が集まりますと、まあまとまりの無い事この上なく、皆さん強烈な個性の持ち主です。僕、密かに九州一の常識人で紳士、なんて自認していたんですが、飲み会の席でそれを言いましたら、大爆笑されたりして、思わず憮然としましたけれど、大変人の両親だったと思いますが、それでも心から感謝しているんです。

父の絶え間無い浮気で、夫婦喧嘩は日常茶飯事でしたけれど、僕の教育には、両親はとても時間とお金と熱意を注いでくれたと思います。本代は惜しむ事がありませんでしたし、当時はR指定なぞ無粋なものはありませんし、僕、街中の生まれでしたから、新作映画がかかるや否や、何でも連れて行って貰えました。例えば、「華麗なるギャッビー」なんて、1974年の封切でして、当時7歳の僕は、それを母と公開直後にスクリーンで観ているんですね。今思えば、この映画、アメリカ上流階級社会で繰り広げられる豪奢な生活、そして決して許されない禁断の愛、とかそういう内容でしょ!?それを幼稚園を卒園したばかり、小学1年生の子供に見せるんですから、今では考えられませんよね!?そして、ピアノに茶道に書道、野球に水泳にゴルフ、英会話に公文に算盤…。まあ僕、書道を習いに行って、「初日の出」がお手本なのに、「ドカベン」とか勝手に書いて、叩かれたりする素行の良くないガキでしたが、それでも愛してくれてたんでしょうね~。中学を卒業するまでに、九州・沖縄圏内は勿論の事、四国・広島・京都・神戸・奈良・東京・北海道、国外ではハワイに台湾に東南アジア全域と、僕は本当に恵まれていた、と感謝感激雨あられ、であります。お父さんお母さん、不肖の息子で、今更遅いですが、本当にありがとうございましたm(__)m。

さて、東南アジア周遊の家族旅行の写真は、今も僕のオフィスにあり、これは香港、これはタイ、などと懐かしく感じますが、マレーシアで撮ったものが出て来ました。マラッカやペナン島、ボルネオ島にクアラルンプールとありますが、僕、幼すぎた所為か、殆ど記憶が無いんですね。でも、マレーシアと言えば、僕達日本人が決して忘れてはならない、伝説の男がかっていました。その名はハリマオ、別名をマレーの虎、本名は谷豊さんです!

ハリマオの話に入る前に、マレーシアの歴史のおさらいを少しだけ。13世紀頃から、マラッカ王国、というマレー人の国が確かにあったのですが、ポルトガルに占領されてからはずっと、他国の占領下にありました。そのポルトガルをオランダが追い払い、隣国タイに侵略されそうになるんですね。そして、政治的には2世紀近くイングランドの植民地になり、経済面では、中国の華僑の支配下にある、謂わば二重の圧政下にあった訳です。

さて、谷豊さんことハリマオ--マレー語で虎の意だそうです。--は、元々は福岡に生を受けたんですが、父君は青雲の志が止み難かったのでしょう、一家を引き連れてマレーシアに移住、そこで床屋さんを営みます。現地でも暖かく受け入れられた谷一家でしたが、マレーシアに住む華僑からしてみれば、日本人の進出は、自分達が脅かされる様で面白くなかったのでしょう。反日暴動が勃発、谷家の理髪店は焼き討ちされ、未だ幼い妹さんは斬首され、さらし者にされる、という極悪非道な事件が起きます。中国人のメンタリティって、昔から変わりませんねえ…。さてその時、谷さんは一時帰国し、日本で就職していたのですが、その悲報を聞いた途端、単身マレーシアへと舞い戻るのです。ハリマオ、虎、と名前を変え、マレー人の長老衆や多くの友人達から慕われ大親分となり、中国人やイングランド人を襲い、奪い取った金や食糧を貧民にばら撒く、義賊の誕生でした。

ハリマオを慕って集まって来たマレー人はなんと3000人でありまして、彼は日本軍から、「イングランドと中国に支配されている、このマレーシアの地を救い、独立を手助けしないか」との提案を快諾します。イングランド軍自慢の要塞、ジットラ・ラインの工事には、ハリマオ自ら建設員として潜入、あらゆるデータを入手し、日本軍に全ての情報を渡すのでした。イングランド軍司令官は「少なくとも三か月は難攻不落である」と豪語していたそうですが、僅か2日で陥落、というスパイ映画顔負けのハリマオの活躍でした。

また、イングランド軍の資材や兵器の破壊に作戦の看破、敵の爆弾の解体、華僑の金塊を積んだ列車の爆破、日本軍は僅か半年余りで、東南アジア全域から欧米軍を追い払う事に成功しますが、その陰にハリマオの活躍があったと言えましょう。ハリマオは、哀れにもマラリアに罹患、31歳の短い生涯を閉じますが、彼は今も尚、靖国神社に祀られています。

靖国神社を否定する人も多いですけれど、お国の為に尽くした人に、感謝の念を捧げるのは、日本国民として当然の事です。微妙な問題が山積しているのも分かりますが、死者を悼む心だけは万国共通なのですから、そこら辺、日本政府が上手にアナウンスメントし、諸外国の理解を得ないとねえ…。ハリマオだって浮かばれませんよ。

よし、今日はこれから外回りでして、暑いですけれど、ハリマオに負けずに頑張って来ます!!
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