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目黒の秋刀魚 >゜))彡

おはようございます。皆様、週末は如何お過ごしでしたか!?僕、日曜は他の映画にしようと思っていたのですが、またまたX-MENを観てしまいまして、我ながら進歩が無いなあ、と苦笑しきりでした。でも、前回観た際には、辻褄が合わない様に感じた処もありましたけれど、再見すると、ああ成程ね、随分ややこしい話ではあるけれど、筋は通っていました。また、エンド・ロール後のおまけのシークエンスでも、新たな発見があったりして結果オーライ、再見出来て良かったです。

良い気持ちで部屋に戻って来まして、カラスカァと啼いて夜が明けて、朝のテレビ・ニュースを見ていましたら、僕、呆れ果ててしまいましたよ。厚顔無恥に夜郎自大に身の程知らずとは、将にこの男の為に或る様な言葉ですけれど、民主党の元党首である、前原誠司クンがテレビに出ていまして、「橋下さんの党と、将来的に合流する可能性は100㌫」、とのたまっていました。でもね~、このご仁、かって「言うだけ番長」と揶揄されていましたが、彼のコメントを調べてみましたら、2012年9月3日、BS朝日のテレビ番組に出演、こうおっしゃっていました。「橋下人気で色んな人が維新にすり寄っている。ブームだけで良いのか。本当に怖い事だ。」ですって。巧言令色鮮なし仁、言葉巧みな者には誠意のある人間は少ない、という意ですけれど、そっくりそのまま前原センセイに当てはまる様に感じます。当時とは状況が異なったからだ、という理屈なんでしょうが、こんなヒト、果たして信用出来ますか!?とても日本の国政を託す訳にはいきません。僕、約束や言葉って、本当に大事だと思うんですよ。前原って、「橋下チャンって、何か人気あるけど~、信用出来ないし~。」と言っていたのが、「橋下チャン最高~♡一緒に政治しよ♡好き好き❤」でしょ。こんな奴、誰がまともに取り合うのか、皆さんに聞いてみたいですよ!?まあ、僕ならば、約束もまともに守れず、直ぐに前言を翻し、右顧左眄する様な女性は、真っ平ご免ですね~。

僕、たとえ酒席であろうとも、一旦自分の口から出た言葉は、必ず守る、というのがモットーなんですね。父方のご先祖様は、関東の北条氏の下でゲリラ戦を指揮していた山賊あがりの侍大将、母方は宇佐神宮の神官でして、決して毛並みの良い武士の家系ではありませんけれど、僕、気持ちだけはもののふですよ!!アッ、ももクロのファンという意味ではありませんよ、念の為。もののふ、それは僕の親友のMさんですが、昔のお侍さんは、一度出した言葉は既に約束となり、違えた場合は切腹なんですね。言霊、という言葉があるぐらいで、それだけ言葉という物は重いんです。そうそう、未だ幼い頃、僕は全く親の言う事を聞かず、燥いで遊び廻っていたそうですが、母から、「お口はチャック、手はお膝!!」と怒鳴られ、しょっちゅうビンタされてましたもんね。前原クンも、「お口はチャック」しておいた方が良いですよ。老婆心ながら、民主党から離党とか分裂する、という大事は、正式に決まってから言うべきですし、そうじゃなければ、もう殆ど無いであろう、国民からの信用が、マイナス以下になりますよ!?

閑話休題、水無月になりますと、そろそろ全国でお祭りの季節になるんですね。昨日の日曜日、古都金沢では「第63回百万石祭り」が開催され、2500人の大名行列が駅前を練り歩いた由、いやはやなんとも、壮観だったでしょうね。この金沢、NHK大河ドラマ「利家とまつ」で有名ですけれど、先の前原と大きく異なりまして、昔の江戸期の殿様の政治って、志村けんの様なバカ殿も確かに居ましたけれど、中々捨てたものじゃないんですよ。という事で、今日は、昔の所謂賢公について、少し綴ってみましょう。

さてこの金沢は旧加賀藩でありまして、ここは百万石、という大領土を持ち、藩祖である前田利家公は、武に長けた大名として知られていましたから、何時刃向って来るのか、徳川幕府は非常に恐れていたんですね。前田家は、その警戒を逸らす為、「我が家はそんな戦争なんて考えてませんよ。」という訳で、勿論、内治には力を注ぎながら、その余力を文化面に注いだのは有名な逸話ですよね。そこから生まれたのが、兼六園や九谷焼や友禅に蒔絵に銀細工、という訳です。中でも、第五代藩主の綱紀公が、最も世評の高い殿様と思います。彼の施政は、特筆すべきものでして、浮浪者や貧者の為に2000人を収容出来る施設を建造、美術工芸を推奨、そして、日本一の図書館を建て、学問を奨励したんですね。本草学と言うと、中国伝来の薬草、漢方薬に関する学問ですけれど、それに関する学術書を多く出版、綱紀公は多くの人々の命をも救った訳ですね。

綱紀公だけではありません。例えば、久留米藩の有馬家の第七代藩主、頼徸公の趣味は、何と数学でした。参勤交代の籠の中でも、数学の問題をずっと解いていたそうです。彼の領内は飢饉や火災にしばしばあっていたそうですが、私費を投じて避難民を救い、特大の火の見櫓を造り、防災では全国一、と呼ばれたそうです。その多忙な中、数学書を40数冊出版、数学者の育成にもあたった、というのですから、大した殿様ですよね。因みに、そのご子孫にあたる、第15代当主の頼寧公は明治の生まれなんですが、やはり血筋なんですかね、関東大震災の際に、多額の私費を投じて、都内に被災民向けの宿泊施設や無料診療所、恵まれない子供達向けの学校等を多く建設しています。大変情愛に富んだ方だった様ですが、それは女性方にも向けられていたそうで、色々と親切に面倒をみた芸者衆は数知れず、だそうです。

話が逸れましたけれど、世界初の雪の結晶図を本にまとめた、茨城の土井利位公もいらっしゃいます。江戸期の風俗全般に興味を持ち、今ならば文化人類学とか、エッセイとかブログの類になるのかな、それを20年間に渡り300冊弱!にまとめた、長崎の松浦静山公。雪深い秋田の地において、西洋画に取り組んだ佐竹義敦公。本邦初の世界の地理の本を手掛けた、京都は丹波の国の朽木昌綱公。そして、精密極まりない昆虫図鑑全4巻を著した、三重の増山正賢公。僕、予備知識皆無で、上野の国立博物館で、正賢公の昆虫の絵を見た事があるのですが、殿様が描いた物とは夢にも思いませんでした。当時の一流の絵師によるもの--何でも、正賢公の絵について、南画の巨匠、大分は岡藩、竹田の生まれ、田能村竹田が絶賛したそうです。--と思い込んでいましたし、もうね、正確なデッサン力と色鮮やかな色彩感覚には、腰を抜かす程驚いたものです。勿論、今ご紹介した諸侯は、皆さん、ご自身の領地を愛し、慈しみ、内政に力を注いだ事は間違いありません。その余力というか趣味の一環であり、余技として、様々な大業を成し遂げた訳ですね。

今日のお話の冒頭に紹介した、前原某とは随分違いまして、当時の殿様達に、今の日本の政治を是非お願いしたい、と夢想するのは僕だけでしょうか!?彼らならきっと、先ずは原発の収束に全力を注ぐと思うんですがね…。よおし、今日は午後から色々と外出の予定ですが、頑張って来ます!今週も拙ブログをご贔屓の程、宜しくお願い致しますm(__)m。
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