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ABANDONED PEOPLE

曇天で小雨ちらつく中、早朝から愛犬の散歩に出ていましたら、道端に傷ついた烏がいたんですよ。日頃は大人しい愛犬なのですが、彼女は猟犬の血を引いていますから、弱った生き物を見ると、野性に戻るんですかねえ。ゆっくり歩いていたのにいきなりのダッシュ、烏に猛然と襲い掛かりまして、僕、慌てて止めたんですね。それでも執拗にその烏を襲っていたんですが、頭上から鳴き声がしまして、5羽ぐらいは居たのかなあ、ガーガーとけたたましく啼いて、僕らを威嚇し始めました。早朝から、僕と愛犬VS烏軍団のバトルになるかと思い、昔取った杵柄、思わずファイティング・ポーズを取りかけたんです。そうしましたら、状況不利を察したのか、我が愛犬は、何事も無かったかの様に、トットット~、と道を変えまして、事無きを得ました。でも、感心したのは、烏と言えども、己の身体を張って仲間を守るんですね~。

閑話休題、僕、昨日のスポーツ・ニュースを見て、本当に驚いたのですが、ageless wonderと言うか、living legendかなあ、御年55歳になって、現役復帰をする野球選手が現れたんですよ。その人の名は、フリオ・フランコでありまして、プロ野球をお好きな方はピンと来るんじゃないかな、元千葉ロッテマリーンズの選手であります。1978年と言いますから、ドミニカ出身のフランコさんが20歳の時に、アメリカ大リーグのフィラデルフィア・フィリーズと契約する事に相成ります。以来35年ですか、間にブランクがあったとは言え、アメリカ・日本・韓国・メキシコ・ドミニカでプロ選手としてプレイ、打ったヒットは4229本というんですから、将にamazingと言えましょう。驚きましたのは、来日した際のフランコ選手は、アメリカでバリバリの一流選手でして、前年の成績は、打率3割1分9厘、本塁打20、打点98、ですから、ゴジラ松井選手の全盛期と左程変らない数字です。首位打者も獲得していますし、オールスターにも3回選出、何故日本に来るのか、とっても不思議でした。

さて、ロッテ在籍時のフランコ選手の雄姿は良く覚えていますけれど、常にベストを尽くし全力疾走でしたし、興味深いのは、バットのヘッド、即ち先端部分を投手に向けるという、非常に個性的なバッティング・フォームだったんですね。感化され易い、お調子者の僕ですから、早速バッティング・センターに赴き、そのフォームを試してみましたけれど、全く打てませんでした。と言うのも、バットの先端を投手に向けていますから、相当な速さのスイング・スピードが無ければ、打つ際に間に合わないんですよ~。こりゃ、余程の筋力が必要ですし、筋肉の柔軟性が無いと、打てる筈は無いなあ、と妙に感心した次第でした。さて、このフランコ選手、外国籍にしては稀有な事ですが、千葉ロッテでは主将も務めた程でして、かなりの人格者なんだろうなあ、とおぼろげには理解していたんですが、彼のインタビューを読む機会が偶々ありまして、やはりねえ、と膝を打ったんです。少しだけ、彼の語録を紹介しますね~。

俺は野球選手になる為にこの惑星に生まれて来た。それこそが情熱の源泉だ。野球を続ける為に、常に全力を尽くしている。人間は、生まれながらにして、自然に意識を高める能力を授かっているんだ。今、自分が取り組んでいる事に、とにかく集中しているんだ。(何故日本でプレイしたかと問われ)日本人は自分を律する事が出来る。年長者を敬う事もそうだ。日本人がどうやって生きて来たかについて、仏教や神道は勿論、多くの本を読んだ。日本人は敬意を持った人々だ。一所懸命働き、穏やかさがある。だから、日本でプレイするオファーを貰った時、喜んで受けたし、素晴らしい時間を過ごした。人生で最良の時間の1つだったよ。何かを上手くなりたければ、時間を費やして人より努力するしかない。それは日本人が教えてくれた。イチローが最高のバッターになる為にどれだけ努力を重ねて来たか、練習を繰り返すしか無いんだ。自分はベストであり続けたい、常に進歩を続けていたい、それこそが日本に来た理由だ。日本人はそうやって進歩して来たんだろう?

何だか耳に痛いお言葉ですし、フランコさん、それは少々日本人を買いかぶりすぎじゃないかな。非常に面映ゆいですが、本当に嬉しく、ありがたく感じます。thanks a lot,mr.franco!!

実はね、ここからが本題なんですが、僕、あんまり書きたくないんですよ…。仕方が無い、このフランコ選手の母国、ドミニカと日本には、実は浅からぬ縁があるんです。カリブ海の小島の国と、極東の日本、一見何の繋がりも無さそうですけれど、時は遡りまして、今から半世紀以上前の事です。1956年と言いますから、昭和31年当時、我が国は戦争が終わって10年が経ちましたが、焼野原からの復興は緒に就いたばかりでありまして、失業者が大量に溢れていたんですね。中国や南太平洋の島々や東南アジア等々から、引き揚げて来た兵隊さんや軍属、彼らは職が欲しくとも、工場にしても会社にしても空襲で焼け落ちていますから、如何しようも無い訳です。その数、凡そ600万人とも言われていますが、日本政府は、失業者対策と、戦争で地に落ちた日本の評判を、海外で貢献する事で取り戻すべく、直接戦火を交えなかった、中南米諸国に、移民を企画するんです。

ブラジルやペルーやパラグアイは勿論の事、ドミニカも手を挙げてくれたんですね。諸外国の中でも、ドミニカが最も条件が良く、希望者が殺到、最終的に1300人の日本人が、彼の地へと移住を決意します。日本政府が僕達国民に示した条件は、「東京ドーム4つ分の土地を無料で差し上げます。そして、その土地はとても豊かですし、気候も素晴らしい国ですから、カリブの楽園と言えるでしょう。」、との事でした。そりゃあね、戦争で負けて仕事も無い、という切羽詰まった状況で、この好条件、そりゃあ飛びつきますよね!?意気揚々とドミニカに渡ってからが、生き地獄の始まりでした。土地は約束した広さの3分の1の上に、岩だらけの荒涼とした荒れ地、そして所有権は認められず、水不足に塩害に悩まされる、という最悪の事態となりました。

実はこのカラクリ、ドミニカと日本の覚書が残っているんですね。ドミニカ側は、「土地は小さい上に痩せているし、所有権は認めないが構わないか」と提案しており、日本側はそれを了承した、との記録が残っています。つまり、日本政府と外務省は、痩せた使えない土地、と知っていながら、それを決して伝えず、国民を騙したんですね。裁判中も、国はその責任を中々認めず、日本政府がその非を認め、ドミニカに移住した人達に謝罪、1人辺り最高200万の和解金を払ったのは、小泉サンの時代、2006年の事でした。ドミニカに移られた人々は、とんでもない辛酸を味わったと思うのですが、半世紀後に200万貰ってもねえ…。これじゃあ、冒頭に触れた、烏だって仲間を助けるのに、日本政府は鳥類よりも貧しい心根の持ち主、という事になりませんか!?そして、日本を非常に高く評価して下さった、フランコ選手に合わせる顔がありませんよね。もう1つ、こういう悪しき前例があるんですから、日本政府が福島を始めとする、東北を切り捨てなければ良いのですが…。

賢明なる読者の皆さん、日本政府や官僚、そして大マスコミの言う事を、決して鵜呑みにしてはいけませんよ!!奴らは決して責任を取りませんし、疑ってかかった方が無難です。ご自身の眼で見て、考えて、判断を下す方が、間違いが無いと思います。僕、明日は急遽福岡に日帰りの出張となりました。明日の拙ブログを更新出来るかどうか分かりませんが、九州全域は大雨の様ですし、気を付けて行って参ります!!
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