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RAISE THE TITANIC!

まずは、韓国の珍島沖で沈没した客船の犠牲者の皆様に、謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りします。本当に残念な事故ですし、1人でも多くの方が助かる事を、心より願っています。でもね、今は情報が錯綜していて、真実は藪の中ですけれど、どうもhuman errorの可能性が高そうです…。船長や乗組員が、沈没の途端に遁走したのは間違い無い様ですし、最も問題なのは、日本から古い船を購入、それを大改造してしまった事でしょう。定員を100人以上増やすわ、総重量も200㌧以上になっていた、というんでしょう。所謂トップ・ヘビー、重心が高くなってしまった訳で、船が揺れた際の復元力に問題が出るのは理の当然です。我が国は諸外国に較べ、安全基準は大層厳しく、「日本の船ならば、船齢より10年は長く使える」と良く言われるんですね。

これ、船だけではありません。僕、外国は結構行きましたけれど、行った先では、成るべく電車に乗る様にしているんですよ。まあ、単なる鉄道好き、という事もあるのですけれど、やはり生活に密着した乗り物ですから、その国その地方の雰囲気が最も良く分かるんですね。両親と共に行った東南アジア各国、そうですねえ、タイにインドネシアにマレーシアで列車に乗りましたら、車体に「キハ」とか「モハ」とか「クハ」とか、「ウハウハ」で「モテモテ」(これは冗談です)とか書かれてまして、遠路遥々赤道直下の国まで来て、日本の電車に乗るなんて、何だか感慨深いものがありました。市電と言えば霧の街サンフランシスコ、僕、あの坂道を登って来る路面電車に乗った際は、何だか映画の登場人物になった様で感動しましたねえ。実はサンフランシスコの空港から市街までの電車は、殆どが日本製だったんですよ。「TOKYU」とか書いてましたもんね~。僕がかって語学学校に通っていました、オーストラリア第2の街メルボルン、ここでは路面電車か鉄道を利用して通学していたのですけれど、「HITACHI TRAIN」と車体にさり気無く書かれてあって、国威高揚と言いますか、何だか誇らしい気持ちがしたものです。

インドやネパールでは流石にありませんでしたが、台湾では何処もかしこも日本製車両ばかりでしたし、印象深いのはフィリピン鉄道です。首都マニラを出まして、南の終着駅、レガスピーまでの長旅でしたが、車中、モンキーバナナや生春巻きを食したり、未成年ながらサン・ミゲル・ビールを飲んだりして、ほろ酔い気分の父との小旅行と相成りました。トンネルを抜けたら密林だった、ではちっとも文学的ではありませんけれど、所謂バンブー・トロリーと呼ばれるトロッコを沢山見かけました。これ、竹で造られた人力のトロッコでして、線路上を行くのですが、動力は運転手さんが走りながら地面を蹴る、という到ってprimitiveなものなんですが、かなりの利用者があり、時刻表まであるんですから、立派な交通手段であります。何だか浮世離れした風景でして、終着駅のレガスピは、日本海軍の司令部が置かれた程の海の要衝、元々はスペイン人のコンキスタドール--探検家ですね--達が入植した街ですし、米軍の駐留後、フィリピンの人達が開拓した処ですから、多国籍なムードに満ち溢れ、椰子の実が成っている処で、バール--スペイン風居酒屋ですね--が点在し、ピンチョスとアングラス--鰻の稚魚のオリーブ・オイル煮ですね--に良く冷えた白ワイン、そして太平洋に面した海も素晴らしく、exoticで素敵でした。

話を戻しまして、幾ら日本製の船が優れているからといって、元々のフォルムを大きく変える程、いじくってしまえば、そりゃ危険極まりないですよね。too much paint sink a ship、というイングランド海軍の旧い言い伝えがありまして、その船の性能を向上させようと、余りに重装備にしてしまうと、沈んでしまう、という意なんです。ともあれ、一刻も早い救助活動が必要でしょうし、韓国側は日本の救援の申し込みを断ったそうですが、面子とか歴史的経緯とは、別の事柄と思うんですがね…。ここは日本政府も、親切の押し売りになるかもしれませんが、救援の再提案をしてはどうでしょうか!?

こういう際、必要となるのはやはり、所謂frogman、深海にも潜れる潜水士の存在だと思うんです。日本の海上自衛隊員の皆さんは有資格者も多く、いざという際に備えて、日夜訓練に励んでいる訳ですが、潜水病、という血管を塞ぐ病気になり易いんですよね。もし罹患した際は、高圧酸素のタンクに入って、酸素を吸うしかないんです。このタンク、結構場所を取りますし、昔はかなり高額なものでしたから、民間には殆ど無く、国公立や大学病院に設置されている事が多いんですね。ところが、僕の生家は救急病院だったのですが、民間にも関わらず、その高圧酸素の機械があったんですよ。時折使う程度で、潜水病の患者様なんて、そうはいらっしゃいませんでしたけれど、昭和50年代に、民間でその機械があったのは、本当に稀有な病院だったんじゃないかなあ。

僕の親父は、大変女性が好きで、私生活には難がありましたし、経営センスはゼロでしたけれど、患者様の治療に関しては大したものでした。大体、高圧の機械なんて、その専門病院じゃなければまずペイしない訳でして、それでも、患者様の事を考えれば、あった方が良いんですよね。僕の母は、4つの会社の経営をしていましたから、根っからの事業家でして、2人はぶつかってばかりでした。あついあついと 言われた仲も 三月せぬ間に あきが来る、切れてくれなら 切れてもやろう 遭わぬ昔に して返せ、喧嘩したとき この子をご覧 仲の良い時 出来た子だ、なんてえ古い都々逸がありますが、本当に揉めに揉めた両親でしたねえ。僕、園児の時に、母と共に屋根を伝って逃げた--父の浮気が原因でした--記憶を手始めに、或る朝なんて、長い階段に沢山の植木鉢が壊れて散乱してましたもん。驚いて母の顔を見ましたら、「泥棒が入ったのよ」なんて澄ましてましたが、うち、病院で、何重も鍵がかかってるんですよ…。当直の人も居る訳ですし、大体、警察呼べよ、と思いましたが、朝から父の姿が見えず、案の定浮気がバレて、随分早朝から診察をしていました…って、朝の6時前から、患者様も職員も来てませんよね。

閑話休題、でもね、どの業界も大変でしょうが、病院は他業種と違った運営の難しさがあります。ほら、例えば自動車産業ですと、売れれば増産体制に入るとか、利益が減ればリストラとか、宣伝費を増やすとか、割と分かり易い目安があると思うんです。病院は、利益を上げつつ、国の定めで人員配置は厳しく決められていますし、そして何より、高度な医療を提供すべく、日々の勉強は不可欠なんです。あ、地域の皆様にも愛されなければ、患者様が来てくれませんよね。相反する要素を、上手にバランスを取りつつ、運営せねばなりません。即ち、利益に走るだけでは問題外ですし、高度な医療機器を揃えるだけでも駄目です。要はhospitalityとhard workとmanagementの共存共栄なんですね。当院は多士済々、素晴らしい人材が沢山揃っていますけれど、少々自画自賛させて貰いますと、難しい両親に囲まれて育った所為か、バランスを取る事にかけては、僕、割と長けている気がします。まあ、いつまで当院に寄与出来るのか、そればかりは分かりませんけれど、精一杯頑張る所存です!

何だか今日は完全なad lib、improvisationと申しますか、jazzの即興演奏の趣で、思いつくままに綴ってみました。まとまりが無くて恐縮です。さて、明後日あたりから、お天気は下り坂の由ですが、皆様、楽しい週末をお過ごし下さい!僕は、映画に行って来る積もりです!それではごきげんようさようなら、又来週お会いしましょう!
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