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THE GATLING GUN

おはようございます!さて、僕、今日の午後から所用で佐賀に行く事になりまして、それまでに4つ用件を済ませねばならず、少々気が急いています。まあでも、忙しいというのも、それだけ自分が必要とされている訳で、そうしてプラス思考じゃなければ、毎日やってられませんよね!?僕、直ぐにネガティブになる方って、あまり良く分からないんですが、イジイジしていても、時間が勿体無いですし、テニスでも水泳でも何でも、動いて汗をかいて発散して、ビールでも飲んで寝ちまった方が良いですよ。世界のクロサワ、黒澤明監督は、晩年は中々撮影の機会に恵まれませんでしたけれど、口癖は「メシ喰って寝るだッ!!」だったそうでして、でもこれ、悩んでいる人には、あんまり参考にならなかったかなあ…。

さて、僕、残念でならないんですが、現在、「電王戦」と銘打ちまして、将棋の5番勝負が行われているんですね。興味深いのは、人間VSコンピューター、という対戦が行われている事なんです。何たることか、現時点で1勝3敗と人間の負け越しが決定しました。実はこの電王戦、過去2回行われているんですが、通算成績は、人間側の2勝7敗1分けでありまして、うう~ん、認めたくはありませんけれど、もうコンピュータ側に軍配が上がるのは否めません…。僕、全ての棋譜を並べた訳ではありませんから、結論を出すには未だ早い様にも思うのですけれど、考え込んでしまったのは、今回の第2戦、佐藤6段対やねうら王--ソフトの名前ですね。--の一局でした。佐藤6段は、「穴熊」と呼ばれる最も堅固な守り方で、自分の王様を囲い、中盤で、コンピューター側の桂馬を丸得したんですね。従来の考え方ですと、穴熊で桂得、という事であれば、まず間違い無く優勢、と判断したものなのですが、人間側は結局は負けてしまった訳で、こうなりますと、今までの価値観をコンピューターによって正された、という事になるのかなあ…。でも、今のスタイルでの対局ですと、人間側に喪う物が多過ぎてフェアでは無い感がありますので、そこは何とか是正出来ないかしら。そして、プラス思考が僕の長所でして、僕から見ても序盤は大した事はありませんし、なあに、谷川や羽生といった本当のトップ・クラスが出れば、コンピュータなんて吹っ飛ばしますよ!もう1つ、今後は、チェスの様に、人間とコンピュータが共存共栄する形になると思います。コンピュータそのものは、画期的な定跡を造り上げるのは不可能な訳で、そこは人間の仕事と思うんですね。人間の思いついた数々の新手を、それが果たして成立するか否か、コンピュータが検証、という共同研究の様な形になって行くと思われます。でも僕、勝手な言い分ですが、プロ棋士の強さを信じている人間ですので、所詮デカい計算機なぞ、50手で完勝してくれる事を願っています!

閑話休題、今日の夕刻には佐賀に着いている予定なんですが、どうもこの地は地味と言いますか、僕、九州人なのに、特に印象が無いんですよね~。日本で最も影が薄い県、という噂もどうやらある様でして、そうですねえ、お菓子のさが錦に小城羊羹、何度も潰れかかったというかほぼ潰れていた、サッカー・チームのサガン鳥栖、観光地である唐津に嬉野に伊万里、遠くから見ただけですが吉野ヶ里遺跡、極々稀に甲子園大会で思いもよらぬ大活躍をする県であり、重量フォワードを要する佐賀工ラグビー部、そして惜しくも早世した大学時代の友人の故郷、これぐらいしかパッと思い出しません。

でもね、この一見地味に思われる佐賀県ですが、江戸時代末期から明治維新にかけて、日本史を大きく動かした事をご存じでしょうか!?もしかしてもしかすると、佐賀の殿様が日本を牛耳っていた可能性もあった訳でして、その人の名は、鍋島閑叟--かんそう、と読みます--、と言います。この鍋島家9代藩主の閑叟さん、ホントに江戸時代の人なの、と問いたくなる程の先見性を持っていた方だったんですね。余りに先を行き過ぎていて、薩摩の島津斉彬公同様、同時代人からは嫉視と羨望と嫌悪でしか見て貰えなかったのは、日本にとって大変な不幸でした。

さてさて、この閑叟さん、ご自身の父君の殿様が大変な浪費家でして、贅を極めた生活を送っていましたから、佐賀藩の財政は破綻寸前だったんですね。父君が隠居して家督を譲ったのも、莫大な借金の後始末を押し付けた様なものでした。さて、閑叟さんが打った手は凄まじいものでした。役人の5分の4を解雇、借金は50年ローンで支払う事を商人に無理矢理認めさせ、年貢の取り立てを軽くし、国全体の経済が潤う事を狙い、徳川幕府には勿論内緒で密貿易を開始--現在欧州各地にある古伊万里等は、この頃のものでしょう。--し、莫大な利益を得て、見事大成功を収めるんですね。オイ、安部、閑叟公の本でも読んで、足りない頭をもう少し良くしたら!?そして、閑叟公は、「国を成すのは人也」という事で、またまた凄まじい手を打ちます。弘道館という藩校があったのですが、これを大拡充しまして、身分などは関係無く、有為な人材を集めたんですね。そして、部下達には、「毎日勉強して、何れかの分野で優秀な成績を残さねば、領地や給与を取り上げる」というお触れを出しました。まあ、究極の独裁と言いますか、受験戦争どころの騒ぎじゃありませんよね、勉強しなければ資産を取り上げるんですもん。佐賀県のお侍さん全員と、その他の階層のやる気のある人達が死にもの狂いで勉学に励んだ事は言うまでもありません。その結果、日本では、鹿児島と同様、或いは少々早かったのかな、最新式の大砲や銃器、蒸気船に帆船まで持つ事に相成ります。

当時の殆どのお侍さんは、火縄銃がやっと、重い鎧兜に身を包んでいた頃、佐賀藩では、連発式の銃にガトリング砲と呼ばれる機関銃、そして西洋でも最新型の大砲を持っているんですもんね~。どうやら、佐賀藩の侍40人で、他の藩1000人の戦闘力がある、と言われていたそうです。そして、閑叟公は、「徳川幕府と、薩摩・長州が血みどろの戦いを続けるだろう、その後に最新式装備の佐賀藩が日本を制覇する」と考えていた節がありましたが、天皇の権威には逆らえず、結局は新政府軍に協力、ここに明治維新の大業が成された訳です。尤も、閑叟公は、余りに先が見え過ぎていた為、各方面からかなり警戒されており、佐賀藩による日本統一は難しかったでしょうねえ…。と申しますのも、明治になったばかりの頃、「日本の弱点は資源の無さである。中国の満州、或いはオーストラリアの鉱山を開発すべきである」と発言した事は有名ですが、当時の権力者達も、今でも飛行機で10時間かかる豪州の開発なぞ、思いもよらなかったでしょうし、そのスケールの大きさには脱帽です。そして、閑叟公の育てた人材も多士済々です。早稲田大学の創始者で総理大臣を2度務めた大隈重信。司法大臣を務めた江藤新平。初代文部大臣の大木喬任。外務大臣、内務大臣を歴任した副島種臣。大蔵大臣の佐野常民。北海道開発の祖である島義勇。まあ、人材は綺羅星の如くでありまして、近代日本の礎が築かれる過程で、佐賀人の功績は非常に大きかった事は間違いありません。それも皆、閑叟公なくてはあり得なかった訳で、日本人なら、彼の墓に足を向けて眠れませんよ。僕、もし時間があれば、閑叟公の墓参にでも行って来ようかな!?あ、残念ながら、明日は未だ佐賀におりまして、拙ブログの更新は明後日金曜日になりそうです。それではまたお会いしましょう、では、行って参ります!
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