FC2ブログ

THE GOSPEL ACCORDING TO LUKE

おはようございますm(__)m。さて、今日は午前中から外回りでして、別府方面に行く予定です。10時には病院を出ますので、少々気が急いていますが、こういう時こそ忙中閑あり、温かいエスプレッソでも飲んで、気を落ち着かせないといけませんね。さて、朝、テレビニュースを見ておりましたら、消費税についての映像が出ていました。被災地である東北でも買い物ラッシュだった旨を伝えていましたが、僕ね、どうも釈然としません。東北復興を謳うのならば、被災者の生活が落ち着くまで、消費税は止めたら良いのに。せめて、東北在住者だけでも3年間は消費税をかけない、とすれば、この地の経済は随分潤うと思うんですがね。聖書にもありますけれど、古来よりみつぎとり、今ならば財務省の連中は、忌み嫌われて来ました。僕、クリスチャンでは全くありませんし、キリスト教は寧ろ嫌いですけれど、この世界最大のベストセラーは、やはり含蓄に溢れた言葉が多いんです、ちょっと引用してみましょうね。新約聖書、ルカによる福音書第18章であります。

二人祈らんとして殿に登りしが、その一人はパリサイ人、一人は税史なりき。パリサイの人立ちて自らかく祈れり、神よ、我は他の人の如く奪い、不義、姦淫せず、またこの税史の如くに有らざるを謝す、我七日間に二次断食し又全て獲るものの十分の一を捧げたり。税史は遥かに立ちて天をも仰ぎ見ずその胸を打ちて、「神よ、罪人なる我を憐みたまえ」と曰えり。

この後も記述が続くのですが、内村鑑三先生のお弟子さんであり、日本を代表する宗教家、藤井武先生のお言葉をそのまま引用しますね。「これに反し、憐れむべきは税史であった。素養の深きものあるなく、徳行の誇るべきものあるなく、宗教的義務の励行あるなく、却って平常の生活を顧みれば顧みる程、慙愧の念に堪えざるものが多かった。彼はかって貧しき村人を責むるに荒らかなる言葉と不親切なる態度をもってしたることを思い起こしたであろう。金銭勘定に淡泊ならずして不義の財を手にしたることをも思い起こしたであろう。怠慢、冷酷、利己、その他あらゆる罪悪の追想に、そぞろ胸痛み足の歩みもとかく渋りがちであった。」まあ、完膚無きまでに痛烈に攻撃されていますが、この文を書かれた藤井先生は元々官僚でして、内務省のご出身でした。内務省というのは、戦前にあったもので、今は無くなりましたが、そうですねえ、現在ならば省庁を5つぐらい併せたぐらいの絶大な権限を誇ったんですね。何せ内政に関する事全てを管轄するんですから。その内務省上がりの方が書かれたんですから、説得力があると思いませんか!?まあ、税務署の連中に教養を求めるのが無理と言うものですが、せめて聖書ぐらいは読んで、己の在り方を考えた方が良いんじゃない!?

閑話休題、理研の小保方さんの問題で、世間は随分と喧しい様です。昨日の理研の公式見解が発表されましたが、彼女がデータを捏造し改竄していた、という結論の様でした。でもね、僕、これは酷過ぎると思うんですよ。理系の素養の無い田夫野人の僕ですけれど、文系とは言え、大学院に籍を置いていた事もありますし、反論させて貰います。

大体、論文を発表する際、研究員単独で提出するなど、あり得ない事です。僕、かって「台湾青年」という雑誌に4度程連載を持たせて頂いた事があります。「日華平和条約の歴史的政治的意義」というタイトルの続き物だったのですが、これが掲載されるまでには、僕の指導教官であるC教授に何度も目を通して頂きましたし、「台湾青年」誌の編集長、M先生と何度電話やFAXのやり取りをしたか分かりません。両先生のご指導の下、推敲に推敲を重ね、漸くこの拙い論文が日の目を見たんですね。ましてや理研でしょ!?日本唯一の自然科学研究所であり、湯川秀樹に朝永振一郎といったノーベル章受賞者を産んだこの組織ですよ。小保方さんが、海外の研究者と共に論文を発表する際、ダブルどころかトリプル、いやいやクアドラブル、クィンティプル、四重五重のチェックが入る筈です。又、理研は独立行政法人であり、国の正式な研究機関な訳で、ここが出す論文には、所長の承認印が入らない筈がありません。つまり、小保方さんの論文に不備があった--残念ながら、細かなミスはありそうですね。--としても、多くの共同研究者や理研全体の責任でしょう。どうも、トカゲのしっぽ切りで済ませようとする姿勢がみえみえでありまして、何時から日本人はこんな詰まらない輩になったんだろう、と哀しくなりました。

昔の侍達は、戦に負け、退却する際こそ自分の出番であるとし、自らの身を棄てて、殿様を逃がすのが栄誉である、という考え方でした。かって、織田信長公が、北陸の地において朝倉氏を攻めた際、背後に位置する義弟の浅井氏のいきなりの離反に合い、散々な敗戦となりました。その危機を救ったのが、豊臣秀吉公と徳川家康公でありまして、両名の手勢を合わせ、小城に籠り、信長公を逃がす時間を稼いだんですね。敵を撃退してから、密かに小城を棄て、闇に紛れて脱出を果たしたのです。そして、史上最も有名なのが、薩摩の島津氏のお家芸、ステガマリ、であります。関ヶ原の戦の際の事です。西軍に属していた島津氏は敗戦の憂き目に合ったのですが、廻りは全て敵だらけ、10万を超す敵兵に囲まれました。島津氏は僅か1600、ではどうして脱出するか、という事になりますが、目的は只1つ、関ヶ原は岐阜県に位置しますが、兎に角殿様を鹿児島まで無事に帰す、であります。

このステガマリ、という作戦は、逃げるにあたり、狭い道に点々と兵を置くんですね。彼らは火縄銃と槍を持ち、道路に胡坐をかいて座っています。座っていれば敵から見えずらいですし、自分は動いていませんから、射撃もし易いですもんね。当然敵の騎馬隊が襲って来る訳ですが、座っている薩摩隼人の狙いはただ1つ、敵の指揮官のみでありまして、狙撃してから槍で突っ込む、というものでした。死なないまでも、指揮官が撃たれては、進撃速度は当然鈍りますよね。これを延々と数十㌔に渡って繰り返す訳です。島津勢を執拗に追ったのは、松平・本田・井伊といった徳川家中でも指折りの戦上手ばかりでしたが、この3大将は何れも重傷を負いました。島津の殿様は、無事に鹿児島へと生還しますが、当初1600だった兵達のうち、生存者は80名だったのです。

組織を守ろう、というのならば、この薩摩隼人程の心意気が欲しいですし、今の理研のやっている事は醜い限りと言えましょう。仮にも小保方さんは、その理研のホープとして散々持ち上げて利用したじゃないですか。ここで守ってあげなくてどうするの!?か弱い大和撫子1人を守れない様では、世界に冠たる武士道を重んじる、日本男児の名が泣きますよ!僕、何の力もありませんけれど、小保方さん、決して負けないで下さいね!やせ蛙 負けるなたかし これにあり、よし、ではこれから外回りに行って来ます! 
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

しもごおり

Author:しもごおり
OSHブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR