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ぎらりと光るダイヤのような日

何だか、首や背中に強い張りがありまして、浅い夢ばかり見て、あんまり眠れませんでした、トホホ…。今日は夕刻から歓送迎会があるのに~。仕方が無いので、早めに愛犬の散歩を済ませ、一風呂浴びて、こうしてPCの前に座りまして、拙ブログを更新している次第です。

さて、先週末の博多出張、それなりにビジネスの成果もあり、痒い処に手が届くようなアテンドも受け、美味しい物も食べられて、良い事ずくめだったのですが、唯一の心残りは、大型書店に寄る時間が無かった事です。博多の駅ビルにある丸善、天神にあるジュンク堂、時間に余裕があれば、是非どちらかに寄る積もりだったのですが、結構スケジュールがタイトでして、とても無理だったんですね、残念…。僕、出張でもプライベートでも、立ち寄ったその地で、書店なり古書店に寄るのが楽しみの1つなんです。良い書店が在るか否か、これ、その街の文化的成熟度を表す尺度と思いますし、地方で良書を見つけるなぞ、旅の楽しみの1つですよ。また、所謂郷土本、鹿児島ですと、やはり明治維新関連、特に西郷南州翁の本はとても充実しています。暫く前ですけれど、広島の繁華街で、「永井荷風伝」「成瀬巳喜男フィルモグラフィ」を見つけた時は、長年探し求めていただけに、随分感動したものでした。

でも、何と言っても、東京には敵いません。古書ならば、世界一の蔵書を誇る神田神保町、書店ならば、八重洲ブックセンターか渋谷のブックファースト、でしょうか。八重洲ブックセンターはやはり老舗、少々ビルや棚は古いですけれど、長年通い続けているだけに、何階に何があるのか、記憶していますから便利です。また、東京駅が近いですから、買ってそのまま新幹線に乗り込めますもんね。そして、通常の大型書店ですと、フロア毎に会計を済ませないといけないのが煩わしいんですが、渋谷のブックファーストは、1階のレジでまとめて精算が出来るのは嬉しい限りです。でも僕、嬉しくなっちゃって、ついつい買い込みまして、カゴ2つ分ぐらいになり、渋谷は坂の街ですから、両手に大量の本を抱えて、道玄坂辺りをヒイヒイ言いながら、駅まで行くのが常なんです。

昨日のお昼休みに、暫し書店を覗いていましたら、岩波文庫より、「谷川俊太郎選 茨木のり子詩集」が出ていまして、これは絶妙のカップリング、即購入、昨日はあまり眠れませんでしたから、耽読してしまいました。僕、茨木さんの詩集は数冊所有していまして、前々から拙ブログでご紹介したいな~、と思っていたんです。おまけに、選者は谷川さん、僕、詩の世界は詳しくありませんけれど、この方は現代日本を代表する偉大な詩人なんですね。まず、谷川さんの紹介から行きますと、「鉄腕アトム」の作詞家というのが一番分かり易いかな。数多くの校歌を手掛け、沢山の映画やドラマの脚本を書き、絵本や翻訳本も数知れません。そうそう、スヌーピーって漫画があるじゃないですか。あの翻訳を手掛けたのも谷川さんです。私生活でもやはり精力的で、3度結婚した豪の者であります、って、これは余計なウンチクでしたね。本業である詩の世界でも、やはり群を抜いています。「わらべうた」なる詩集がありますけれど、おならを題材にした詩がありまして、いもくってぶ くりくってぼ、という調子で続きまして、最後は、ふたりでぴょ、ですって。並みのセンスじゃありませんよね。「二十億年の孤独」という詩があり、人類は小さな球の上で 眠り起きそして働き ときどき火星に仲間を欲しがったりする、なんて、この感覚に脱帽です。

さて、その谷川さんが推奨する女流詩人の茨木のり子さんですが、彼女は裕福な家に育ち、薬学部に入学、ところが時は戦中でして、空襲に襲われ飢餓との戦い、という青春時代を送ります。優秀なドクターである素敵なご主人とご結婚されてから詩に目覚め、80歳で独りで無くなるまで、ひたすら書き続けた方なんですね。茨木さんの詩を、アメリカのピート・シーガーという、大物フォーク歌手が英訳し、ヒット・ソングを飛ばしたぐらいなんです。「自分の感受性ぐらい」「倚りかからず」「ぎらりと光るダイヤのような日」、素晴らしい詩ばかりでして、大変失礼ですが、お年を召している、とはとても感じられない、瑞々しいビビットな感性でして、僕の様な凡人は、ただ感服するばかりです。夫々の詩のさわりだけご紹介しますね。

ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて~中略~
駄目な事の一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい自分で守れ ばかものよ

もはやいかなる権威にも倚りかかりたくはない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
じぶんの二本足のみで立っていて 何不都合のことやある
倚りかかるとすれば それは椅子の背もたれだけ

〈本当に生きた日〉は人によって 確かにちがう
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり 未明のスクラムであったりするのだ

良いところに生まれたお嬢さんの筈なのに、この強さは何処から来るんだろう、未明にぼんやりと考えていましたら、僕、フリーダ・カーロの絵が脳裏に鮮やかに浮かびました。フリーダさんは茨木さんとほぼ同世代ですけれど、メキシコの極貧の家庭に育ち、難病を抱えて、大変な苦労をされたんですね。幼少時から寝たきり生活、でもそれが絵の才能を開花させたんですから、人生分かりませんよね。そう言えば、今も僕のオフィスの壁に掛かっていますけれど、母も、癌に侵されてからは、ずっとお花の絵を描いていましたっけ。

さて、フリーダさんは病も癒え、21歳上の画家と結婚する事に相成ります。まあこの旦那が悪い奴でして、壁画の専門家で、それなりの才能はあったのですが、とんでもない女たらしでして、多くの女性とベッドを共にし、産ませた子供は数知れず、と言われています。フリーダさんは、それでも愛していたのですが、或る日、旦那さんと自分の妹が関係を持った事を知ります。それまでも、ビビッドでエヴァーグリーン、非常に克明な自画像--だって、ご自身の絵なのに、眉毛は繋がり、髭まで生えているのを描いてるんですよ!--で知られていましたが、その妹さんの事件を、「ちょっとした刺し傷」というタイトルで絵にしたんですね。ベッドの上で女性が腹を刺されており、それを男性が冷たく見下ろしている、という構図なのですが、額縁まで点々と赤が、そう、鮮血が飛び散っています。人間の負の感情、嫉妬であり憤怒であり、喪失であり離反であり、激情であり悲哀であり、フリーダさんの思いの全てが描かれています。通常ですと、こういうネガティブな物は正視に耐えませんけれど、己の全てをさらけ出している所為なのか、マイナスが突き抜けてしまい、プラスに昇華したというのかなあ、僕には、何とも言えず美しく感じました。フリーダさんの絵は、或る時はダリの様なシュールリアリズムであり、メキシコの先住民、インディオの血を引く彼女だけあって、土着的な魅力もあり、美しい多面体の様です。

茨木さんとフリーダさん、生まれた地も環境も作風も大きく異なりますけれど、その赤裸々な感性、ビビッドで清冽、そして女性の強さ、という共通項があるかと思います。さて、何だか今日は、柄にも無く、アーティスティックなブログになりました。「元始、女性は太陽であった」と、優れた作家であり女性運動家の平塚らいてう先生がいみじくもおっしゃいました。所詮は柔弱者の男の僕なぞ、とても女性の強さには叶いません。今日は長い1日になりそうですけれど、当院の強く美しいお姉様方に負けない様、頑張って来ます!
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