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6番レフト佐野、背番号9

あの忌まわしい大震災と原発の人災から早3年ですか…。僕、何も出来ない己の無力さを痛感していますが、せめてもの鎮魂として、モーツァルトのレクイエム、バレンボエム指揮のパリ管弦楽団のバージョンを朝から流しっぱなしにしています。ここに、多くの犠牲者の皆様方のご冥福を祈り、謹んで哀悼の意を表します。どうか、皆様の魂が安らかに眠る事を心から祈っています。そして、危険極まりない原発を、何時の日にか、この地震国から無くす事をお約束したい、僕、そう決心しています。

僕ね、震災復興の遅さには、唖然茫然愕然なんです。今日の朝日新聞に依りますと、今も尚、26万7千人の方々が避難生活を強いられ、仮設住宅には10万4千世帯が暮らしているそうじゃありませんか。政府は、災害公営住宅を建設中だそうですが、未だ1388戸しか完成していない由、幾らなんでもtoo lateですし、意図的なsabotageなんですか!?東京新聞に依れば、福島県の避難者向け住宅3700戸が完成するのは、2016年春という事で、被災者の方々はさぞ大変でしょうねえ…。そして、この原発の人災による避難生活の長期化で、ストレスや持病が悪化して亡くなられた方は、少なくとも1048人だそうです。去年1年で259人がお亡くなりになりました。

そして、こういう時って、いやらしい話かもしれませんが、地獄の沙汰も金次第という訳で、やっぱりキャッシュはどうしても必要になりますよね。世界各国から100億単位で浄財を頂いた筈で、その行方もよく分かりせんけれど、日本国も、新たに復興予算を造りましたよね。そうしましたら、被災した自治体では、その予算を使う職員が足らず、3兆円もの巨額が手つかずのままだそうです。仕方無く、基金という形で積み上げているそうですが、ならば、先の災害公営住宅を大至急造れば良いと思うのですが、如何でしょうか?家一軒の値段、まあ地価もコミですと、それこそピンキリでしょうが、2000万あれば大丈夫でしょ!?なら、1億で5軒が建つとすれば、えーとえーと、電卓を叩きまして、10億で50軒、100億で500軒、1兆で5万軒ですよね。ならば、現在仮設住宅で暮らされている世帯は10万4千、との事ですから、何だ、2兆1000億で建てられるじゃありませんか。3兆残っているなら、充分可能ですし、大体その為のお金でしょ!?何をもたもたしているのか、その理由を明らかにして欲しいですよ、全く!僕、愚図や女々しい奴は大嫌いです。お金が無いなら未だしも、資金は唸る程あるじゃないですか。こんな悠長な仕事をしていたら、民間企業じゃ倒産ですよ!

僕、これまで拙ブログにおいて、東北再建の為のアイディアを幾つか提言して来ました。カジノに病院船、宗教甲子園大会、そして超低金利融資と土地の無償賃貸で企業を呼び込め、自然エネルギーでの発電等々、それなりに検討の余地はあると確信していますが、縦割り行政の弊害故か、電力会社の利権か、はたまた自民・民主両党の頑迷固陋な無能さなのか、それは分かりませんけれど、こんな事では、決して犠牲者は浮かばれませんよ…。

閑話休題、少しは明るく元気の出る話題にしませんと、それこそ東北の方々に申し訳が立ちません。最近は、我が愛しのタイガースネタばかりで大変恐縮なんですが、僕の大好きだったいぶし銀、佐野仙好選手のお話を。

佐野選手は、現在は阪神の関東地区担当スカウトとなられ、ドラフト会議の際に、テレビでその姿を拝見する事がありますけれど、もう齢60を過ぎましたから、最近の若いタイガース・ファンはご存じ無いんじゃないかしら。さて、その佐野選手は、群馬の産でして、高校時代は甲子園に1度出場するも、1回戦負けですから、左程脚光を浴びたプレイヤーではありませんでした。彼の才能が花開いたのは、中央大学に進学してからでありまして、1年生でいきなり首位打者に輝き、日米大学野球にも日本代表として選出されるなど、順風満帆の学生生活だったんですね。大学卒業後は、阪神のドラフト1位として入団、三塁手のレギュラーは確約していたかに見えました。ところが、同期入団の同じポジションのテスト生に、とんでもない逸材が隠れていたのです。それは、以前の拙ブログでもご紹介しました、ミスター・タイガース、掛布選手だったんですね。両人は数年間に渡り、凄まじいレギュラー争いを繰り返しましたが、凱歌を上げたのは、テスト生の掛布選手でした。大学野球のスターだった佐野選手は、さぞ辛かっただろうと思いますが、外野手にコンバートされ苦節5年、漸くレフトのレギュラーの座を掴みます。好事魔多し、人生万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し、レギュラーを掴んだばかりの春、4月29日の大洋ホエールズとの試合で、惨劇が起こりました。

試合は阪神1点のリードで迎えた9回裏、大洋の打者が放った大飛球が、レフト佐野選手の頭上を襲います。やっとの思いで掴んだレギュラー・ポジション、そしてタイトなゲーム展開、この打球を取ろうと必死だったのでしょう、佐野選手は、見事なフライング・キャッチで捕球しました。ところが、勢い余って、外野フェンスに頭から突っ込んでしまったんですね。昭和50年代当時の球場の環境って、それはそれはお粗末な物でしたから、外野フェンスはコンクリートが剝き出しでして、意識を失い、泡を吹き白目を剥き痙攣が続いた佐野選手は、担架で運ばれたのですが、打球は決して手放さなかったと言います。

頭蓋骨陥没骨折に脳挫傷、1週間の意識不明という、命に係わる大変な重症でしたが、長く辛い闘病生活とリハビリを経て、佐野選手は奇跡の復活、甲子園のグラウンドに立ち、見事な本塁打をかっ飛ばします。ところが、此処からも佐野選手の苦難は続くんです。強打の外国人選手の獲得により、レフトのポジションを追われ、不慣れな1塁の守備に付いたり、大学時代の同期のスター選手達と比較されたり、勿論チーム・メイトのライバル、掛布選手の存在もありましたから、並みの神経では、とてもプレイヤーを続けられなかったと思うんですね。

佐野選手は、寡黙で武骨で目立たず、残した数字では掛布選手に及びませんでしたけれど、ここ一番の局面での勝負強さは、今でも僕の脳裏に焼き付いている程、強烈な印象を残しています。死線を切り抜けて来た男の凄味、とでも言うんですかね、ポーカーフェイスで、狙い球を決めたら、ど真ん中でも平然と見逃す勝負師でして、僕、全盛期の巨人のエース、槙原投手の高めの釣り球を、見事に外野席まで運んだ満塁本塁打なんて、強烈に覚えてますもん。そして、今は無いのですが、かって「勝利打点王」というタイトルがあったんですね。並み居る強打者を退けて、初代の勝利打点王に輝いたのは、佐野選手でありまして、苦難をはねのけた、不屈の男に相応しい栄冠でした。

僕、東北の復興の協力を惜しむ者ではありません。かって当院でも何度か寄付をしましたが、それ以上に何かが出来ないか、検討する積もりです。どうか、佐野選手の不撓不屈の心で、みちのく再建を成し遂げて下さい!!!
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