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丸に十の字

こんにちわ!どうも年末の週明けの月曜日となりますと、不意の来客や打ち合わせも入ったりして、ブログの更新がすっかり遅れてしまい、大変申し訳ございません。さて皆様、週末は如何お過ごしでしたか!?僕、ウィーク・エンドは、映画に行こうか小旅行に出ようか、毎週の様に悩むのですが、何時も寒さに挫けてしまいまして、暖かい部屋でぬくぬくぼんやり、読書にも飽くと途端に手持無沙汰ですから、思わず熱燗を一本つけたりして、こりゃ外に出られませんよね…。

さて、お蔭様で、拙ブログの総拍手数が23万を突破しまして、書き始めて3年目ですか、思いも寄らぬご支持を頂いている様でして、とても嬉しい事ですし、感謝感激雨あられ、この場を借りて厚く御礼申し上げますm(__)m。本当にありがとうございますm(__)m。この3年間の間にも、本当に色々な事がありました。多くの人達に支えられて、仕事をやってこれましたし、出会いがあれば別れもあり、一期一会に合縁奇縁、全ての皆様方には、ただただ感謝の言葉しかございません。僕の出会った全ての方々が、幸せであります様に。そして、人生に偶然は無く、全て必然であり、己が切り開くものです。おやおや、今日は何だか、法事の際の生臭坊主のお説教の様ですね、抹香臭くなりますから、ここら辺で止めておきましょうか。

昨日は読書とDVD鑑賞とネットを検索している内に終わってしまい、平々凡々、穏やかな休日だったのですが、血沸き肉躍るニュースを見つけまして、皆様に是非ご報告したいと思います。

中学2年生の清宮幸太郎君と言う少年がおりまして、実は彼、調布リトルシニアを、少年野球の世界チャンピオンチームに導いた子なんですね。14歳ながら183㌢100㌔の巨躯、投げては不動のエース、打っては主砲、とんでもない逸材であります。世界選手権を争った5試合中、投げては失点1、打っては12打数8安打、3本塁打なんですから、♪カーイカイカイ、カーイカイカイ 愉快痛快 怪物君♪ですね。古い喩でスミマセン…。さて僕、彼の存在は前々から知ってはいたのですが、早速、YOU TUBEで確認しましたら、立派な体格が直ぐに目に付きました。それにも増して驚いたのは、その柔らかいバッティングでして、軽く振っただけなのに打球は弧を描いてスタンド・イン、王選手や松井選手同様、長距離打者独特のスイングの軌道でした。落合選手もそうでしたけれど、ボールの芯のやや下を打つと、スピンがかかって飛距離が出るのですが、中学生にして既にそれが出来ているんですもん、高校卒業後は即プロでしょうし、ドラフト1位は間違い無いですね。昨日は、その清宮君のチームに、元阪神の4番、♪カッカッカッカッカのカっちゃん♪、掛布さんが表敬訪問した由、そうしましたら、160㍍を超す場外本塁打をかっ飛ばしたとか。今いる阪神の打者の誰よりも飛ばす気がしますねえ。どうやら清宮君は阪神ファンの由、プロに入れるのは4年後かあ、来てくれないかなあ…。

僕、球技では野球とラグビーをこよなく愛しているんですが、この清宮君の父君は、僕と同い年、著名なラガーマンであります。高校日本代表の際にはキャプテン、早稲田大で全国選手権優勝、社会人のサントリーでは日本選手権を制した、清宮克幸選手が幸太郎君のお父さんなんです。勿論日本代表でも長くプレー、NO8のポジションを担った花形選手だったんですね。監督としても、早稲田大学、サントリーを優勝に導き、現在はヤマハのヘッド・コーチを務めています。性格的には少々あくが強い感がありますが、そのキャプテンシーやリーダーシップは誰もが認めるところ、何れ日本代表を率いるのは間違いないでしょう。

僕、父とはそこまで仲が良くありませんでしたから、こういう親子鷹の関係って、非常に憧れます。スポーツのみならず、各界において、成功した親子って、沢山いらっしゃいますよね。文学界では何と言ってもフランスのデュマ親子、お父さんが「三銃士」、息子が「椿姫」、作風が全く異なるのが面白いですが、彼らがその代表例でしょう。将棋に野球に財界に官僚、歌舞伎に落語に大相撲、特に政界なぞは2世3世花盛りであります。世襲には一長一短あるとは思うのですが、僕、世界一成功した一族と言えば、かっての薩摩、現在の鹿児島を長期間統治した、島津一族しか無い、そう思います。という訳で、今日は薩摩の殿様のお話と参りましょう。

さて、この島津一族、どうやら平安末期から鎌倉初期にかけて、源氏から鹿児島の統治を任された、というのが定説です。鹿児島の人達のDNAを調べてみますと、濃淡はあるにせよ、中国・韓国から来た渡来人--島津という姓そのものが、秦氏(彼らもまた、朝鮮半島にルーツを持つと言われます)なんですね--と、元々日本に土着していた縄文系の人々、そして、フィリピン・台湾・沖縄経由の南方系、が混合しているんです。まあ、スポーツの世界を見ても、混血の方が運動能力には長けてますもんね。

1500年近い間、この地の主だった島津氏、それだけ維持出来た事を見ても、この一族の優秀性が分かるかと思うのですが、住民である薩摩隼人達は、敏捷かつ勇猛、極めて優秀な戦士でした。この屈強な隼人達は、しばしば反乱を起こすのですが、それらをも従わせたのですから、島津氏には生まれついてのリーダーシップがあった、という事なんでしょう。島津の殿様の薫陶を受け、明治期には、西郷隆盛や大久保利通を筆頭に、多くの優れた政治家や軍人を多数輩出、日清・日露の大戦に勝利を収めるんですね。

非常に面白く感じるのは、代々続く島津の殿様にもカラーがあるんですね。先進的な殿様の次には、保守的な領主が来る、という形が続くんです。かっての自民党が、長い間第一党の座を保てたのは、疑似政権交代を行ったからだ、と言われています。田中角栄の「日本列島改造論」の投資型政権の後は、クリーンと謳われた三木総理になる、といった具合ですね。ですから、島津家においても、先進的で様々な投資を行う殿様の後には、緊縮財政でケチケチ型が来て、お金を貯める訳です。その次には、また投資型の領主になるんですね、面白いものです。江戸期280年の殿様の中でも、最も俊英と言われたのは、27代目の斉彬公ですけれど、この殿様は、オランダ語も中国語もペラペラ、九州最南端の地というハンディをものともせず、藩士を海外留学させるわ、薩摩切子を欧米に輸出するわ、発電に軍事工場の建設、帆船の建造、彼の偉業は枚挙に暇がありません。明治後の島津氏は、大名の座を降りる訳ですけれど、歴代の子孫達を見ましても、海軍の軍人、大学教授、出版社社長、官僚、宮司と多士済々、皆さん各界で活躍されています。

島津氏の歴史を振り返ってみれば、鎌倉・室町・戦国・安土桃山・江戸・明治と、時代は異なれども、夫々苦労があった筈でして、1500年間、家を維持出来た、というのは本当に偉業と思います。安部とか官僚とか、今の日本の舵取りをしている、氏素性のはっきりしない有象無象は、島津氏の爪の垢でも煎じて飲んではどうでしょうか?こげなブログを読んで下さって、あいがとさげもした。疲れたけんど、今日の晩飯は、薩摩揚げと芋焼酎にしもんそ。
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