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♫ MUSICA ♪

いや~、それにしても昨夜は凄い雨でした。ズボンの裾がびしょびしょでしたもんね。秋の宵 二人寄り添う 傘の中、うん、珍しく艶っぽい句が出来ましたけれど、そんなロマンティックな風情とはまるで無縁の僕でして、昨日は当院の先生と将棋を指しておりました。先生、何だか切れに欠けた長い将棋を指してしまいまして、恐縮しております。これに懲りず、またご指南頂ければ嬉しく思います。今後とも宜しくお願い致しますm(__)m。

将棋の後、僕、ドラフト会議の速報を見ていたんですが、所用もあり、我がご贔屓の阪神の指名しか分からなかったんですね。他球団の動向も気になる処なんですが、それは後日又分析するとして、昨日の拙ブログでご紹介した、大阪桐蔭高の森捕手は、案の定獲得出来ず、西武に取られてしまいました。返す返すも残念ですし、持ち前の籤運の弱さを発揮しまして、連続で1位の選手を外してしまうという体たらく、でもね、禍を転じて福と為す、長年の懸案だった左腕投手--欲を言えば高校生が良かったんだけど…。--を3人も獲得出来ましたし、野手も3人取れ、夢や派手さには欠けますが、まあ堅実な補強でした。どうもね、昨日の阪神のドラフトにはまるで期待してませんでしたから、望外の喜びでしたけれど、やはり希代の悪女でして、こちらが愛想を尽かそうとするとすり寄って来るんですから、虎だけあって、やっぱり猫ですね。

閑話休題、現在の大分市は、地方都市のご多分に漏れず、中心部って全くと言って良い程活気が無いんですね。地価の高騰やモータリゼーションの影響、郊外型商業施設の攻勢、日本人のライフスタイルの変化、そして長い長い不況と、様々な複合的な要因がその理由と思うんです。僕、出張で色々な地方都市に行きましたけれど、生き生きしている街って、殆ど無かったですもんね。誰の発案かは分からないのですが、大分の閑散とした商店街を蘇らすべく、アーケードに隣接している国道三車線を二車線にし、歩行者が寛げるスペースを作っているんです。1か月間試してみるという事なんですが、これ、何の意味も無い愚案でしょう。人が集まる街並みを作るのに、車道を狭くして歩くスペースを広くすれば良いなんて、安直すぎませんか!?交通渋滞が起こるだけでありまして、個性的なオーナーさん達が、魅力的な商品を揃え、道路や店舗や景観を美しく統一し、アクセスをより良くする、これしか無いでしょうに。これ、僕の持論なんですが、路面電車のある街って、エコであり便利であり活気があり、人々を魅了するんですね。広島しかり鹿児島しかり、熊本や長崎だって、大分より余程魅力的ですよ。大分も、昔は別府まで路面電車が走っていたんですから、復活すれば良いのになあ。大分駅前には、かってこの地を統べた、県民なら誰もが知っている、大友宗麟公の銅像があるんですが、泉下で泣いてますよ、きっと。と謂う訳で、今日は大分のシンボル、大友宗麟公のお話と参りましょう。

とは言ってもねえ、この方、毀誉褒貶が大変激しい人でして、お坊ちゃん気質丸出しのご仁なんです。かって、前知事が宗麟公を題材に、NHKに大河ドラマをやってくれ、と執拗にアプローチしてましたが、ものの見事に振られてましたもんね。よし、では、心を鬼にして、まずは悪い処から参りますか。まず、彼の背景として、鎌倉時代から連綿と続く、九州一の名門の武家に生まれた事が挙げられます。九州探題という職に就き、九州全域の支配を幕府から認められ、官位も正四位左衛門督ですから、かなり高い方です。そこまで認められているんですから、普通に地味にやっていれば、安楽な一生を送れたと思うんですが、やっぱり人間って面白いですよね、宗麟公は今で言うと大変はまり易い性格なんですよ。千利休の茶の湯が流行った時は、すぐさまそれに飛びつき熱中、日本三大肩衝--茶入の事ですね--のうちの1つ、新田肩衝を入手しているんですね。因みに、残りの2つ、まず初花は織田信長公の所有、もう1つの楢柴は代々の足利将軍が持っていました。宗麟ちゃん、幾ら九州きっての名門とは言え、将軍や信長公程の器量は無い筈で、ちょっと茶器にお金を掛け過ぎじゃない!?その他にも、禅に蹴鞠に能に書画、そして綺麗なお姉さん方も勿論大好きだった様です。家臣を京都に在住させ、美しい女性が居たら大分までどんどん連れて来るんですから、まるで女衒でありまして、スカウトまがいな事をやらせていたんですね。しかし、最もはまったのはキリスト教でしょう。洗礼を受け、ドン・フランシスコというクリスチャン・ネームまで持つんですね。それぐらいで止めとけば良かったんですが、「キリスト教の理想郷を造るのだ、その地は無鹿、ムジカ--ミュージックの意味ですね--と名付ける。」と高らかに宣言して、宮崎方面に攻め込むんですね。何だかぶっ飛んでますが、ネーミングのセンスは洒落ていますし、アーティスティックな才能はかなりあったんじゃないかなあ。あ、勿論、こんな大義名分の無い戦に到底勝てる筈も無く、薩摩隼人であり屈強な侍揃いの島津軍に、歴史的な大敗を喫します。

では、宗麟ちゃんの良い処に参りましょうか。先ずは、進取果敢と申しますか、単に新しい物好きだった可能性もありますが、南蛮文化を非常に好んだんですね。何せ、宗麟ちゃんは、日本で初めて大砲を輸入した人でもあるんです。さて、当時のポルトガルやスペインの古地図を見ますと、日本の地名が幾つか記されておりまして、KYOTO、SAKAI、HUNAI、とあるんですね。このHUNAIとは、大分市の中心部の府内町の事でして、日本有数の国際都市だった訳です。現在の余り活気の無い府内町からは想像もつきませんけれど、ポルトガル人街や中華街もあり、ブロック毎に職能別の町を造り、お城も海に面し、港を大拡張し、当時の盛況が偲ばれます。おまけに博多も宗麟ちゃんが押さえていましたから、莫大な富を得たんですね。まあ、折角の大金を茶器や女性に使っちゃうんですが…。そして、外交に長け、中国地方の大大名であり、常に博多を狙っていた毛利氏とは、丁々発止、情報戦を制し互角の戦いをしましたし、先に挙げた島津の軍勢に追い込まれた時は、間髪入れず豊臣秀吉公に泣きつき、領地を安堵されています。

非常に振幅の大きい人だった、というのがお分かり頂けたかと思うのですが、僕、決して嫌いじゃないんですよ。何だか享楽的と言いますか、宗麟ちゃんは自分に正直に生きた気がしまして、生真面目な戦国大名が多い中にあって、茶の湯や能や女性道楽を繰り返すんですから、何だか楽しくなりませんか!?って僕だけかなあ…。でもね、宗麟ちゃんの街造りの方が、チマチマ歩道を広げるよりは、数百倍優れていたのは間違いありませんね。ホント、妙な木っ端役人に任すよりは、少々遊びが過ぎても、宗麟ちゃんの方が良い、と思うのは僕だけじゃないと思う次第です。

よし、いよいよ明日は別府で、ももクロちゃんのコンサートでして、宗麟ちゃんに見せたら思いきりハマった気がしますが、どうなる事やら少々不安ですが、親友のMさんという指南役もいますし、楽しむまでは行かないかもしれませんが、様子を覗って来まして、拙ブログでご報告したいと思います。それでは皆様、楽しい週末をお過ごし下さいませ♪
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