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阪神電車の営業距離は50㌔も無いんだよ

昨日は凄い雨だった様で、大分県下では大雨洪水警報も出ているそうですが、僕、何も知らず夢の中、♫探し物はなんですか 見つけにくいものですか♫、朝まで爆睡しておりました。でも、今年は本当に台風が多いですよね。10月の終わりにもなって、大型台風が連なって日本に接近中なんて、少なくとも僕の記憶にはありませんねえ。何れにせよ、読者の皆様方、台風情報を確認の上、充分お気を付け下さいませ。

さて、本日は当院の先生方と将棋を指す予定なんですが、それは兎も角として、今日の夕刻より、プロ野球ドラフト会議があるんです。ここ数年で最も優れた高校生サウスポー、素晴らしいスライダーを持つ、桐光学園の松井君。捕手にしては随分小柄ながら、スラッガーの大阪桐蔭高校の森君。150㌔を超す速球を投げる、大学NO1投手の九州共立大の大瀬良君。190㌢を超す長身から安定感抜群の投球をする、JR東日本の吉田投手。今後のプロ野球を背負って立つであろう逸材達が、果たして何処の球団に行くのか、僕、朝からドキドキハラハラ、心は千々に乱れ、ああ、愛しの彼は、僕の愛する阪神に入ってくれるのかしら、ってこれではまるで、惚れた女に思いの丈を打ち明ける時の様ですね、お恥ずかしい…。

僕は園児の頃からの阪神ファンでして、時々愛想を尽かして他所の球団を応援していましたけれど、何だか腐れ縁の悪女の趣がありまして、気付くと又贔屓になっていたりするんですね。流石は虎、猫科ですから、その気まぐれさ、或る種のコケットリーな魅力が、世の男性を惹きつけるのかもしれません。話を戻しまして、来期の阪神は、確かに投手が足りないかもしれませんが、5㌢先の現実だけ見てどうするの!?男なら、でっかく未来の阪神を考えなければいけません。ここ20年、思い起こせば、木戸や山田以来、生え抜きのキャッチャーが全く育っていませんから、ここは、地元大阪の出身であり、若きエース藤浪君とバッテリーを組んでいた、大阪桐蔭の森君しか無いでしょう!でもね、僕、ここで宣言しておきますが、森君は阪神には恐らく入らないと思うんです…。期待すると裏切り、期待しないとすり寄って来る、というのが阪神という希代の悪女なんですよ。ファンの大多数は森君の入団を願っている人が多いと思うので、悪女のへそ曲がりな性格の通り、愛する人の言う事を聞かず、恐らくへんてこりんな投手を取ると思います…。まあ、何れにせよ、運命の瞬間は今日の夕方5時、TBS系で生中継がありますし、何でも7時にも同局で特番がある由、読者の皆様、僕の予想が外れるか否か、もしお時間がございましたら、ご覧になられて下さい。

それにしてもよくまあ降りますね。雨の音が段々と強くなりましたけれど、ここ下郡の地は、明野という団地が後背部にあるものですから、朝夕は大変な車の混雑なんですね。特に、今日の様に雨の日は、余計に車の量が増えてしまいます。僕、常々思っていますのは、車も勿論、現代社会には必須の物ですけれど、もっと鉄道を見直したら良いのになあ、という事なんです。電車なんて、断然エコですし、一度に運べる人員は較べものにならず、車よりは風雨に強いですもんね。

僕、その電車でとても誇らしく思いますのが、日本一の豪華寝台列車、「ななつ星」が、全国で唯一、九州のみを運行している、という事なんです。当院の近くに、牧駅という小さな駅舎がありますけれど、そこには車両基地がありまして、その「ななつ星」が運航前にお目見えに来てましたもんね。国内は勿論の事、欧州や東南アジア、中近東の富裕層から、続々とこの豪華寝台への申し込みが殺到しているそうですが、我が国において、ドレス・コードがあり、ちゃんとした正餐が出る列車なぞ、「カシオペア」「北斗星」は問題外でして、随分歴史を遡る必要があります。

タイム・マシンがあれば、是非乗ってみたかった列車と言えば、僕、第一次世界大戦前のオリエント・エクスプレス、僕が生まれた年に廃止された20世紀特急、そして、戦前の日本の技術の粋を集めた、「あじあ」号、この3つに尽きます。パリからイスタンブールを結ぶ、オリエント・エクスプレスは皆さんご存じでしょうから、説明は割愛させて頂いて、「20世紀特急」とは、ニューヨーク~シカゴ間を結んだ、当時世界最高級の豪華寝台列車なんですね。アメリカという国が、まだまだ青雲の志に燃えていた頃の花形列車でして、当時のハリウッド・スターからスポーツ選手に実業家に大統領、各界の名士達がこぞって乗ったと言いますから、さぞや華やかだったでしょう。

さて、今日ご紹介したかったのは、「ななつ星」のご先祖様とでも言うべき、満州鉄道が造り上げた「あじあ」号です。この列車は、日本の支配下にあった満州、現在の中国東北部の荒野を驀進していた、大連~ハルビン間950㌔を結ぶ、アジア最高級の国際特急列車でした。昭和の初め、未だ航空網は未熟でしたから、東京から寝台特急富士号に乗りまして下関で下車、汽船で釜山に渡り、満州鉄道を利用してシベリア鉄道に接続、そしてユーラシア大陸を横断し、2週間後にベルリンに到着、という次第なんですね。やっぱり世界は広いなあ、と痛感しますけれど、「あじあ」号に話を戻しますと、昭和9年の開通時に、最高速度が130㌔もあり、世界最高速というのは凄い事でした。その高速を保つ為に流線型の美しいフォルムが出来上がり、日本の敗戦後も、中国やソ連でその車両が使われたと言いますから、日本人の技術力の高さが分かりますよね。そして、全車両に空調が完備し、これも世界初でした。満州鉄道の誇り、と呼ばれただけありまして、ウェイトレスはロシア人に中国人、食堂車では2種類のオリジナル・カクテルがあり、正餐があり、将に国際特急の名の恥じないものだったと言えましょう。そして、何より素晴らしいのは、当時の世界最高峰のこの列車、設計から製作から、全てが日本人の手に依るものだった、という事です。ホントに、昔の日本人は偉かった…。

僕、人のDNAとか家柄とか、余りそういった事に拘泥するのはどうかと思いますけれど、氏より育ちと申します。人の縁とは不可思議なもの、青は藍より出でて藍よりも青し、このあじあ号を設計されたのは、島安次郎さんという方だったんですね。このあじあ号を造っただけでも、紛れも無く天才と思いますが、実は、もっと凄い計画があったんです。それは、「弾丸列車」と呼ばれるもので、要は、より速くより多くの人を運べる電車を造ろうとしていたんですよ。日本からシンガポール、そして中近東のテヘランやインドまで結ぶ、という前代未聞の大計画でした。安次郎さんは志半ばで亡くなるのですが、その思いを引き継いだのが、同じく設計者の息子の秀雄さんでして、弾丸列車計画は形を変え、新幹線として結実するのです。何だか涙が溢れる様な大ロマンですが、ご兄弟の文雄さんは、飛行機設計の世界で名を馳せ、日本唯一の国産旅客機であり、今なお世界の空を飛んでいる傑作機、YSー11の製作に寄与するんですね。そして、お孫さんの隆さんが東北新幹線の設計の最高責任者を務め、そして、台湾新幹線の設計に多大な功績を残しました。安次郎さんの弾丸列車計画の夢は、お孫さんの代になって、形を変え、台湾の地で結実したのです。こういった素晴らしい日本人達って、沢山いらっしゃいますし、僕、なるべく拙ブログでご紹介しようと思っているんですが、これは本来文部省の仕事でしょ!?きちんと教科書に残して欲しいですよ!よし、昨日は結局カレーを食べられませんでしたから、雨も大人しくなって来ましたし、ちょいと外出しまして、今日こそ食べようっと!
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