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SATYRICON

あ~、やっと冷や汗が止まりました。いやね、先程出勤したのですが、横断歩道が青になったので、自転車でゆっくり渡っていましたら、軽自動車が突っ込んで来まして、危く撥ねられる処でした…。車が止まるべきと思うのですが、ブレーキじゃなくてアクセル踏んでどうするの!?どうも、朝方の下郡周辺は大変混み合いまして、交通量も多いのですが、僕、青信号で渡っているのに、撥ねられそうになったのって、これで2回目ですよ。何れのケースも謝罪も何も無く、そのままピューッと行っちゃいましたもんねえ。されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり、蓮如上人の言葉が思い出されますが、僕、まだ死にたくないんで、ドライバーの皆さん、安全運転を心掛けて下さいね…。

憂きわれを 寂しがらせよ 秋の寺、相慕ふ 村の灯二つ 虫の声、スカートの いよいよ短し 秋の風、これ、芭蕉、虚子、荷風の句の順でして、最後のものは兎も角として、秋というと何故か物悲しさを覚えますが、僕だけでしょうか。そうですねえ、画家に例えれば、ブラウンを基調にしているミレーやコローの一連の作品群、そして僕、同じ茶色ならば、躍動感のあるワイズバッシュなども割と好きなんですが、秋と言えば、何と言っても食べ物ですよね~。

栗に銀杏土瓶蒸し、秋刀魚に鯖に柿に梨、蓮根里芋薩摩芋、ハゼに新米にひやおろし、美味しいものが目白押しですけれど、古今東西の歴史を振り返ってみますと、やはり古代中国とローマ帝国が最も大食漢、グルマンでありまして、例えば、人口に膾炙する、という言葉がありますよね。炙、という漢字は焼肉、という意味だそうでして、古くから食道楽だった事が分かりますよね。そして、酒池肉林と言いますが、原典は、彼の司馬遷の史記でありまして、ちょいと引用してみます。「酒をもって池と為し、肉を縣けて林と為し、男女をして裸ならしめ、あいその間に遂わしめ、長夜の飲をなす。」、これ、司馬遷の記述が本当だったのが立証されたのですが、殷の国の皇帝が、寵愛する姫の為に造った、酒を満たす為の人工池が発掘されましたもんね。殷の時代と言えば、紀元前の国でして、そんな頃から、夜を徹してのドンチャン騒ぎをやり続け、国が滅びちゃうんですから、人間のやる事は今も昔も変わりはしません。

そして、ローマ帝国ですけれど、フェリーニの傑作「サテリコン」で活写されたままだった様です。当時、フランスのブルゴーニュからローマまで牡蠣を輸送したそうなんですね。牡蠣を水に漬けて3日、水から出して3日、これを3回繰り返すと、2週間は腐らず運べるとか。どういう仕組みかは分かりませんが、古代ローマって、先の殷と同様、紀元前の時代でして、いや、人間の叡智には恐れ入ります。古代ローマでは、日本の東北地方の調味料である「しょっつる」、所謂魚醤に酷似した、「ガルム」というものがあったんですから、これまた驚きですよね。蜂蜜にクルミに松の実も味付けに使われていたと伝え聞きます。

でもねえ、我が国日本も決して負けていないんですよ。日本史上、最大のグルメと謂えば、やはりこの人、皆さんご存じの水戸黄門、徳川光圀公しかおりません。因みに、彼が諸国を漫遊したというのは、全くのフィクション、作り話というのは定説であります。さて、黄門様は、徳川家康の孫であり御三家の家柄、天下の副将軍として権勢を奮いました。とは言え、彼の政治面での業績は賛否両論でして、寧ろ悪政だった、という識者も居るんですね。治世面で言うと、目立った業績は、全長10㌔に及ぶ水道を造った事でしょうか。改修を重ねながらも200年使用出来た、というんですから、東電の杜撰極まりない汚染水のタンクよりも、余程立派な功績と思います。でも僕、この人の真価は別の面にある、そう常々感じていました。それは、文化人としての多大な実績なんですね。

彼の成育歴を拝見しますと、黄門様は、若い頃はかなりのやんちゃぶり、大変な美男子で歌舞伎や能が大好き、夜な夜なお城を抜け出して、当時の流行りの衣装に身を包み、吉原の花魁達にモテモテ、連日の様に遊廓に入り浸っていたのが15歳の頃、と言うんですから、立派な遊蕩児であります。17の折に家臣に諌められ、18の時に或る書に出会い、それまでの悪行三昧を止めるのです。面白いなあ、と思うのが、その際に読んだ書、というのが先にご紹介した、司馬遷の「史記」なんですね。酒池肉林の件を読んで、猛省したのでしょう。我が国には、自国の歴史をきちんと記した書が無いのでは、という事で、「大日本史」の作成を始めます。家臣達は日本全国津々浦々を廻り、歴史資料を収集した訳ですが、この事実が、後年「黄門様が世直しで世間を漫遊した」と変わったのでしょう。さて、この「大日本史」、黄門様の生前には出来上がりませんでしたが、249年後に、全397巻として完成します。いやあ、これ、凄い事と思いませんか!?

黄門様の偉業はこれだけではありません。大きな船を建造、快風丸と名付けまして、当時未開の地だった蝦夷、北海道の探検に乗り出すんですね。米や酒と引き換えに、当時貴重だった塩鮭を1万本貰って来て、巨利を得たんですから、殿様の割にはちゃっかりしてます。そして、薬草の研究にも夢中になり、藩の医師に任せて、薬草の辞書まで製本しちゃうんですから、大したもんですよね~。また、日本で初めて、学術的なアプローチによる古墳の発掘を行ったり、オランダ製の靴下を履き、インコを飼い、黒人2人を家臣とし、ワインが大好きって言うんですから、織田信長ばりに、極めて好奇心旺盛な方だった事が分かります。

ちっとも黄門様のグルメの話にならないじゃん、と思われるでしょうが、ここからでして、大変お待たせしました。さて、黄門様の好奇心は当然の事ながら食にも向いまして、チーズに餃子にラーメンを日本人として初めて食べた事は有名ですよね。そして、誰も見向きもしなかった、ニンニクやラッキョウ、ナマコにクラゲも大好物だったと言います。又、当時は映画やドラマで有名な「大奥」の頃でして、綱吉公の生涯憐みの令を、柳沢吉保--北村一輝の凄みのある演技と、あの視線が忘れられません--がビシビシ取り締まっていましたが、黄門様にはそんなもの、全く関係ありません。豚や牛は勿論の事、鴨や羊まで食べていた、というんですから根っからの反骨心の持ち主と言えましょう。

僕、ホントに羨ましいのは、黄門様の隠居後の事です。煩わしい政務から開放され、4500坪の屋敷を建てるんですね。少なくとも3人の料理人が常駐し、中国人や欧米人から様々なレシピを習い--分かっているだけで300種類近くの料理の記録が残っています。--、専用の放牧場で牛を飼い、季節毎の旬の山海の美味が取り寄せられ、酒の醸造所まで造り、日常の野菜や穀類は全て自家製、いやあ、いいないいな~。

黄門様の様な贅沢はとてもとても出来ませんけれど、僕が、世界一美味しい蟹と思う、岬ガザミの季節であります。大分の県北の豊後高田で獲れる渡り蟹の事なんですが、せめて週末はそれでも食べに行こうかな!?それでは皆様、ウィーク・エンドは天気は下り坂の様ですが、食欲の秋、旬の美味しい食べ物をお楽しみ下さいませ。
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