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♫ わたしの城下町 ♪

おはようございます。何だか台風も接近している様でして、今朝の大分は曇り空、必死に自転車を漕いで参りましたが、帰りは一雨来そうですね~。

さて、サッカーのメッカ、ブラジルでは、コンフェデレーション・カップ戦--欧州や南米にアジア等々、各大陸のチャンピオンが雌雄を決する国際大会ですね--が開催されています。日本は開幕戦でブラジルに0-3の完敗、本田選手は「優勝だ」と宣言していた記憶がありますけれど、こりゃあとても無理、画餅に帰す可能性大と言えましょう。

僕、迂闊だったと言いますか、驚いたんですが、ブラジルの人達も、サッカーだサンバだピンガだ、と浮かれてばかりじゃないんですね。次回オリンピック開催地でありカーニバルの地、リオ・デ・ジャネイロで、そしてメガシティであるサンパウロで、首都ブラジリアで、幾度となく、政府への抗議デモが頻発、過激化しているとか。参加者の延べ数では、万を優に超えているんですってね。主な新聞記事やネットの情報を拾ってみますと、「コンフェデ杯よりも教育と福祉の充実を」「W杯やオリンピックは金の無駄遣いだ」「公共料金を値上げする前にやるべき事がある」由でして、うん、僕、至極真っ当な意見と思いました。

かって、ここ大分も、サッカーワールドカップの会場になりました。僕、以前居た救急病院は、市内ど真ん中に位置していたんですね。大会期間中は連日、病院のすぐ傍で、夜を徹してサッカーの大応援をするんですよ。大音量と大騒ぎに辟易しまして、僕、堪りかねて、市の方に相談に行ったんですね。「私は○○病院の者です。当院は救急病院でして、緊急の手術も何時入るか分かりませんし、重篤で明日どうなるか分からない患者様もおります。私は、サッカーを応援しないとか、反対している訳では決してございません。ただ、患者様が眠れませんし、命を扱う場所ですので、どうか別の場所で応援して頂けませんでしょうか。」、丁寧にこうお願いしたのですが、梨の礫、すっかり黙殺されてしまいました…。皆が楽しんでいる時に水を差す、無粋かつ不調法極まりない奴、まるでこんな扱いを受けまして、すっかりサッカーは苦手になっちゃったんですね。大分でのワールドカップ開催時には、戦国期の貴重な遺跡まで潰して道路拡張してましたから、これっておかしいと思いますし、ファシズムの萌芽と言いますか、サッカー様のお通りだ、という訳で、僕、Jリーグは大嫌いになりました。大分なんてまだまだ片田舎なんですから、貴重な税金を使う所って、まだまだ足りない託児所や老人施設が最優先であって、サッカーでは決して無いと僕は思います。

閑話休題、ブラジルでも具眼の士が居たのは誠にご同慶の至りですが、僕、このデモで興味を覚えたのは、首都ブラジリアでも行われた、という事でした。このブラジリアという街、実は所謂計画都市でありまして、セラードと呼ばれる未開の大森林を切り開き、リオデジャネイロから首都機能を移転したんですね。ブラジリアは内陸部に位置している故、水利に恵まれていませんので、人造湖まで造っちゃうんですから、凄いスケールです。都市全体は、大きな鳥が翼を広げたフォルムでありまして、中々前衛的とは言えましょう。只、この手の首都移転ですとか、計画都市って、どうも産業は発展しないんですよ。そりゃあそうでして、既に栄えている大都市とは距離がありますし、人が暮らす上で必要不可欠な水に恵まれないのでは、発展する筈がありません。かって、ブラジル経済が破綻寸前まで行ったのは、このブラジリア建設費が巨額になった為、と言われています。

日本の場合は、東京に一極集中し過ぎていますから、安全保障の意味でも首都移転はすべきと思いますけれど、僕、この様な人工的な首都は、オーストラリアで見た事があります。皆さん、豪州の首都はシドニーと思われるかもしれませんけれど、実はキャンベラという街なんですね。僕、彼の地で、新婚さんのツアーガイドをしていましたから、何度かキャンベラには行きましたけれど、人口は僅か30万程度、ブラジリアは鳥の形ですが、ここは車輪とスポークの様な形状をしています。大学や病院、議会場も大変立派、機能的に造られてはいるのですが、人の匂いがしない感があり、何処となく寂しげで、閑散とした印象が強かったですね。

この手の計画都市、本邦では碁盤状の平安京や平城京が有名ですけれど、余り上手く行かないのは、自然発生的では無いから、でありましょう。あの狂気の独裁者、アドルフ・ヒトラーが夢想し、一部建造した跡が残されているのは、ドイツの首都ベルリンの大改造計画です。世界首都ゲルマニア、と銘打ち、都市の南北には大飛行場、環状道路が6本、巨大な駅に凱旋門や神殿まで予定していた、というんですから恐れ入りますよね。凄いのは、2万人収容の映画館まで計画されていたそうで、確か、日本一大きい映画館は新宿にあるミラノ座、ここが1300席で、僕、行った事はありますけれど、かなり広かったですもんね。この20倍弱ですか、いや、凄過ぎます。

賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ、ブラジリアやキャンベラなんて見習う必要は全くありませんで、僕達日本人は、良いものを創り上げているんですよ。そう、戦国期の大名達が精魂傾けた、城下町であります。日本全国に点在していますから、見落としがちですけれど、この城下町、考えうる全てを投入し、誠に素晴らしい仕組みになっています。基本的な形状としては、自然の要害である、河川や山々を生かし、幹線道路を敷き、城のお堀は運河として物流にも貢献し、寺社仏閣は町の外側に配置し、いざという時の防衛拠点にもする訳です。今回の震災を受けた東北を代表する大名と言えば、独眼竜伊達政宗公ですけれど、余り知られていない、現在の山形県を領土としていた、最上義光公の施政を見てみましょうか。

まず、人の生活の基本である、水と食糧を確保すべく、治水工事に全力を注ぎます。この大規模な疏水、即ち多くの用水路を確保した事で、庄内平野の米の生産量は飛躍的に向上したとか。この疏水、いまだに役にたっていると言いますから、偉大な先人の卓見には驚くばかりです。そして、お次は経済、という訳で、商人達を誘致する為に、無償で土地を分け与え、租税は免除するんですね。今のスーパー・マーケットなどではお馴染ですけれど、1の付く日には例えば米が、5の付く日には什器が安く購える等々、定期的な市を設けたんですね。港湾から繋がる街道を修復、拡張し、流通面においても大変盛んになったそうです。また、職人町に工人町に商人町等々、様々な専門職を優遇したお陰で、山形城下は、東北随一の繁栄を誇ったとか。日本三大植木市として知られるのは、ここ山形の「薬師祭植木市」ですけれど、これも最上義光公の発案なんですね。既に400年以上の歴史を誇りますが、この山形城下が不幸にも大火で大被害を被った際、植樹をして街に緑を取り戻そう、と住民に呼びかけたのが始まりだとか。

僕ねえ、書いてて先人の叡智に頭が下がるばかりですが、今の政治家や官僚どもは、少し歴史書でも紐解いた方が良いんじゃないでしょうか!?今の世に、最上義光公がご存命なら、東北復興をお任せしたい所ですよ、全く!
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