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九十九髪茄子

皆様、週末は如何お過ごしでしたか!?僕、連日の出張の疲れというか、自分では気付いてませんでしたが、心身とも疲労困憊だった様で、体調を崩してしまいまして、昨日は殆ど布団の上で横たわっている有様、まるで正岡子規の「仰臥漫録」の世界、などと洒落ると大した病状ではありませんから、多大な叱責を受けそうですが、寝過ぎで腰が痛くなりました。まあ、そのお陰か、今日は何とか動ける状態でして、今週も頑張って参ります。

書にも倦み、惰眠を貪るにも飽いて、天井を眺めつつ、徒然なるままに来し方行く末を振り返りしが、己の所業に慙愧に堪えぬ事ばかり也。智に働けば角が立ち、情に棹させば流される、これ、漱石夏目金之助の「草枕」の一節也。古の文とは言うなれど、誠に含蓄に富む言葉なりて、拳拳服膺すべし。

昨日は久し振りに、岩波文庫の永井荷風や鴎外なぞを再読していたものですから、どうしても文語調で書きたくなるんですよね。インチキ文豪気取りはこれでおつもりに致しましょう。

さて、先日出張で訪れた博多で思い出した事がありまして、確か先日の拙ブログではリタイアメントされた先輩方が棲みたくなる街と記したかと思います。もう少々補足致しますと、博多は或る意味、京都以上の古都なんですね。鎌倉なぞとは比べ物にならない歴史を誇っています。博多は、古代の日本人が初めて記録に残された「魏志倭人伝」にも出て来ますし、縄文や弥生の昔から、ユーラシア大陸全域と日本を結ぶ要衝でした。平清盛が、日宗貿易の為に、博多湾に日本初の人工港を造り、そのお陰で人口が爆発的に増えたと仄聞しますし、どんたくも山笠もその平安期に生まれたんですね。時は流れて幾星霜、様々な支配者がこの博多の地に君臨しましたけれど、その重要性は変わりませんでした。戦国期の堺同様、博多商人は、莫大な富でその名を天下に轟かせた訳ですね。僕、茶道は全くの門外漢、詳しくはありませんけれど、当時の三大肩衝--抹茶を入れる茶入の事ですね--の1つ、楢柴を、博多の豪商、島井宗室が所有していたんですから、その富豪ぶりが分かります。何せ、あの織田信長が欲しがったという名器でして、現在の価格に換算しますと、10億はするのでは、という事なんです。当時の博多商人はどんだけ~!?(古いですね、スイマセン…)、お金を持ってたんですかね~。

さて、この三大肩衝、初花、新田、先に挙げた楢柴から為るのですね。僕、初花だけはこの眼で見た事があります。今は亡き母に連れられて、もう記憶が定かでは無いのが残念ですが、確かに見ています。この初花、歴代足利将軍から織田信長、そして徳川家康へと渡ったという名品でして、日本史と共にあった様な茶器ですよね。現在は徳川記念財団が所有、門外不出でして、滅多に見る事が出来ません。恐らく、ホテルオークラか国立博物館かとのタイアップだったんじゃないかなあ。でも小学校低学年の頃の僕は、薄汚れて見える小さな茶器よりも、野球の方に興味があったものですから、何の記憶もありません…、その事で何度母に嘆かれたでしょうか。

何故わざわざ九州の田舎から、その様な茶器を見に行ったかと言いますと、当時、我が家では茶道がマイ・ブームだったんですね。裏か表か忘れましたけれど、両親共に連日の様に茶を点て喫しておりました。新別府、という閑静な別荘街がありまして、両親はその地を購い、お茶会を開こうと企画したんですね。新別府の別荘では、春には梅に鶯、桜に目白、秋には紅葉が美しく、小さな池がありまして、独立したお茶室もあり、大きくはないにしても日本庭園の趣がありました。春うららかな或る一日、両親がホストとなりまして、沢山のお客様を招いて、お茶会が開かれたんです。

母の友人達は、マダムと言いますか、皆さん、茶道の嗜みがある方たちばかり、立てば芍薬座れば牡丹、夫々所作も立派、和服も見事に着こなし、「結構なお手前で」と大変優雅でした。問題だったのは父の友人達でして、皆さんドクターだったと思いますが、当時の先生方って、所謂昔の先生でありまして、良く言えば豪放磊落、悪く言えば田夫野人なんですよ。茶道の知識なんて皆目ありませんから、やりたい放題でした。お茶菓子のお代わりを所望されたり、懐紙で鼻をかんでグチャグチャになったり、脚が痺れてひっくり返り、挙句の果てには、日頃とは様子の違う神妙な様子の父を見て、鼻から抹茶を吹き出したり…。当初お上品だった奥様方も余りの惨状?に笑いをこらえきれず、吹き出す始末でありました。

幽玄やわびさびの世界とは程遠い、両親のお茶会でしたが、茶道に関する僕の私見ですが、礼儀作法も勿論大事ですけれど、おもてなし、ホスピタリティが最優先でありましょう。僕、「野菊の墓」の伊藤左千夫の熱心な読者ではありませんけれど、彼は元々酪農を営んでいまして、激しい肉体労働の最中、お茶を点て、日々の疲れを癒したそうです。千利休には程遠い、田舎風で粗野、我流の茶道だったそうですが、こういう自由奔放なスタイルがあっても良いですよね!?僕も幼い頃に、母から茶道の手ほどきを受けましたけれど、もう何も覚えておらず、何方か立派な先生に付いて勉強しなおそうかしら!?いにしへの 竹の林に 遊びけん 人の画掛けて 茶を飲みにけり、伊藤先生の句を最後にご紹介しまして、今週も拙ブログを宜しくお願い致しますm(__)m。  
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