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MYSTIQUE

おはようございます。今日の大分は春雨でして、院内に可憐に咲いた、折角の桜が散ってしまいそうです。散る花を 惜しむ心やとどまりて また来ん春の たねになるべき、これは西行法師だったかな。散る桜 残る桜も 散る桜、これは良寛和尚でしたか。僕、全く信心深く無く無宗教、家は浄土真宗なんですが、両親の命日に口の中でモゴモゴ言う程度、帰命無量寿如来 南無不可思議光~南無阿弥陀仏、って途中の経文は全て飛ばしてますが、その程度の関わりしかありません。

僕の勝手な解釈に過ぎませんが、本来ならば宗教とは、人の心の闇を救う聖職と思うんですね。余り大きい声では言えませんが、どうも生臭い感じの方が目に付くと言うか…。いやいや、殆どの僧侶の方は立派だと思うんですよ。でも、盛り場なぞで良く聞くのは、質の悪いお客さんは、先生の付く職業、警察系、坊さん、なんて言うじゃないですか。お肉をいっぱい頬張って、女の子にデレデレして、お酒を沢山飲み、外車なんかも乗っちゃって、ギャーテーギャーテー言われてもねえ…。

とは言え、僕の実家は神官の出ですから、母方の親戚関係は、宗教系を目指した方が何だか多いんです。上智大の神学部で学んだ方があり、天台宗の尼僧の方がおり、クリスチャンあり、天理教の人もおり…。割と気の置けない間柄ですけれど、極々偶にですが、親戚の集まりなんかがありますと、僕、宗教戦争でも起こるんじゃないかと、常々心を痛めているんです、なんちゃって。

これ程不信心な僕ですけれど、先に挙げた西行さんや良寛さんなどには、一目置いてしまいます。西行法師は、平安時代末期の生まれ、名門藤原氏の出身、元々は北面の侍として天皇を守る職にあったんですね。歌人としても有名、将に文武両道に優れた男だったのですが、23歳で妻子を棄て出家、以後は漂泊の旅を続けた、という元祖バガボンド、とでも呼べるでしょうか、超一流の歌人であります。良寛さんは、生涯寺を持たず、質素な生活を続け、酒と子供達を愛し、分かり易い言葉で庶民に仏法を説いて回った、これまた超一流の俳人であります。

僕、こりゃ凄いや、と常々感心するのは、即身仏になったお坊さん達です。入定、と呼ぶそうですが、地中に潜り、絶食しながらお経を読み、自らミイラになるなんて、とんでも無い意思の力が必要ですよね、いや、とても真似出来ませんし、僕なら途中で読経を放棄、「麦酒と焼肉とご飯を下さい…」、とか弱々しい声で言いそうです。

段々と本題に迫って来ましたが、かっての僧侶は、国政に携わる程、学識や世間智に富んだ人が多かったんです。徳川家康のブレーン、黒衣の宰相と異名を取った以心崇伝。毛利家の外交官として名を馳せた安国寺恵瓊。織田信長の指南役、岐阜県の名付け親の沢彦宗恩。上杉謙信の家庭教師役だった天室光育。今川義元の軍師兼重臣だった太原雪斉。いやまあ綺羅星の如くと言いますか、著名な戦国武将達の側近として活躍した坊さんは多く居るんですよね。

そして、戦国期の最大の謎の一つ、と言われているのが、徳川家康の最側近と言われた、南光坊天海です。この人、江戸城を中心としたインフラ整備に深く関わり、現在の東京の基礎を作ったんですね。風水や陰陽道に精通していましたから、その法則に則り、江戸の街が出来上がったのです。風水では地理五訣と言いまして、竜・穴・砂・水・向、このルールで建物の位置や道路を決める訳ですね。現在の東京は常に変わり続けていますが、幹線道路などは昔から変化が無い筈で、今も尚、天海大僧正の遺訓が生きているんですから、いや、途轍も無い大物です。当意即妙、才覚に溢れた人物だった様で、元々は武田信玄にも仕え、外交官としても優秀、豊臣家を滅ぼす際にも暗躍し、スパイ的な役割もこなし、徳川家康の墓所である日光東照宮の建設にも関わっているんですから、もうこりゃあX-MEN、でありまして、超人と言えるでしょう。

ところが、この天海大僧正、何処で生まれたのか、前半生は何をしていたのか、皆目分からないんですよ。ご本人は、最側近の弟子達にも自分の出自を決して語らなかった由でして、「氏姓も行年忘れていざ知らず」と返答したそうなんです。おまけに、天海さん、108歳まで生きたそうで、彼が活躍した戦国末期から江戸時代は、抗生物質も外科手術もMRIも当然ありません。織田信長のこよなく愛した幸若舞「敦盛」の一節、人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべきか、でありまして、当時の平均寿命は50歳が良い所でしょう。となりますと、実は天海は2人いて、途中で入れ変わったんじゃないか、という珍説もあるぐらいなんですね。

まず彼の家紋は、室町幕府を開いた足利将軍家のものと良く似ているんですね。家紋と言えば、以前の拙ブログでも触れましたけれど、自分のルーツを証明するトレード・マークの様なものですから、足利将軍所縁の家系とは言えるでしょう。そして、織田信長にクーデターを起こした本能寺の変の明智光秀、実は彼が天海なのでは、という異説もあるんです。この説は非常に根強く、僕、それは眉唾じゃないかなあ、と思っていたんですが、光秀と天海の書状、今で言う手紙が残っているんですね。元警視庁の筆跡鑑定のプロが、両人の手紙を精査、その結論は、「類似した文字が多くあり、別人の可能性もあるが、少なくとも近親者と推測される」ですって。となりますと、家康は、同盟相手だった織田信長を殺した明智光秀を部下にした、えっ、それって徳川家の陰謀!?という可能性がある訳で、いや、歴史のミステリーですよね。

桜の話から歴史のミステリーの話になりまして、書いている本人もびっくり、大変恐縮です。さて、珈琲を入れて一服しまして、午後からの打ち合わせを頑張って来ます!
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