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○ グリンゴ ○

おはようございます。何だか昨日はシュトルム・ウント・ドランク、疾風怒濤の一日でありまして、気付いたら夕方の様な、忙しなく慌ただしさばかりでしたねえ。でも、働かざる者食うべからずですから、そうやって日々頑張らなければなりませんね。それにしても気になるのは、当院幹部のUさんでして、体調を崩してお休みとなりまして、一日も早い回復を祈っています。暫しゆっくり休まれて、どうかリラックスされて下さいませ。どうぞお大事に。

さて、僕は木曜日からちょいと都内に出張でして、今週の本ブログの更新は明日までになるかと思います。もし時間があれば、不定期に更新出来るかと。時折、このブログにお寄り頂ければ幸いです。都内で思い出したのですが、以前の拙ブログでもご紹介した、浅草の映画館が老朽化で閉館となりまして、本当に寂しい限りです…。浅草六区と言えば、仲見世を冷やかして浅草寺で参拝して、左手に折れれば右手に花やしきが見えて来ますから、そのまま直進しますと、そこはもう昭和の世界なんですね。勿論僕自身も大好きな場所でして、永井荷風が、森鴎外が、谷崎潤一郎が、こよなく愛した喧騒と雑踏と退廃が、浅草には未だあるんです。ストリップ小屋、スマートボール場、演芸場、場外馬券場、居酒屋に洋食屋、中でも象徴的なのが「浅草中映劇場」「浅草名画座」「浅草新劇場」の3館でありまして、これらの劇場が出来上がったのは何と昭和2年ですから、もう85年が経過しているんですね。当然耐震補強なんて出来ない訳で、取り壊しとなりました。浅草と言えば、日本初の映画館が産まれた場所でして、そこから劇場が無くなるのは残念無念です。さて、この3館、非常に柄が悪く、昭和の薫りがたっぷりと漂う場所でしたから、僕、行く度に落ち着いたものです。朝の8時から開場、3本立てを全て見る事が出来て800円、かかる映画は古い邦画ばかりでして、「社長シリーズ」「仁義なき戦い」「寅さん」、そんなのばっかりです。最高なのが、朝の8時に席に付きますと、もうあちこちから、プシッ、カパッ、シュボッ、と音が聞こえて来るんですね。そう、ビールや日本酒を開けたり、煙草に火を付ける音です。おっちゃん達の耳には赤鉛筆が挟まっていて、競馬新聞に印を付ける為なんですね。そこで観る旧い邦画は、何だか昭和にタイム・スリップした様で、中々の風情がありました。

では今日の本ブログは、昨日の続編と言いますか、レコードのB面の様ですが、2つ書き残した事がありますので、そのお話を。まずは、商社のお話なんですが、書き忘れていたのが、戦後最大の破綻と言われた、安宅産業の事なんです。70年も続いた老舗総合商社だったのですが、リスキーな石油取引と放漫経営が仇となり、最後は政府や日銀までもが介入、結局は伊藤忠に吸収される、という形で結末を迎えました。売上の偽装、無理な多角化、極端な同族重視等々、後々の倒産企業の悪例の原型とも言うべき酷い実体なんですが、泥の中に咲く一輪の花とでも申しましょうか、安宅産業が唯一残したものがあったんですね。当時の社長は、本業は無能かつ無定見でしたが、芸術、特に陶磁器に関してだけは超一流の審美眼がありました。安宅産業破綻の6年後の昭和57年、大阪市立東洋陶磁美術館が開館します。安宅社長が本業を傾けてまで収集した、数多くの陶磁器、それらは全て貴重で、かつ歴史毎に体系化されたものでした。その散逸を惜しみ、全てこの美術館に寄付したのですが、ここに或る陶磁器は何と4000点、僕、高校時代に母に連れられ、観た事があるんです。何の予備知識も無かったのに、妖気漂うというか、凄い迫力を感じまして、帰途母に問いましたら、上記の事実を教えてもらい、納得した次第です。

もう1点、昨日の本ブログの最後に触れました、後藤新平さんの事を。この方を表現するのに適当な言葉が無いか、頭を捻ったんですが、月並みですが、やはり国手、という事になるでしょうか。国手、こくしゅと読みまして、国すら治せる名医、という意味なんですね。新平先生の経歴をざっと追いますと、明治の人であり岩手の産、大叔父が天才学者高野長英というんですから、天に宝を積みし人と言いますか、才に恵まれていた事は間違いありませんね。さて、新平先生は名古屋大学の医学部を卒業、ドクターとなりまして、何と弱冠24歳で学校長兼病院長となるんですから、麒麟児、神童、白眉としか言い様がありません。名医として東海地方の名士となるのですが、新平先生本人の希望は、実は政治の道にありました。ドイツ留学後、政府内に出仕、メキメキと頭角を現し、40歳で、当時日本が植民地としていた台湾の開発責任者となり、農業林業鉄道、港湾整備に阿片の根絶等々、多大な成果を挙げます。それからも凄過ぎるんですよ。満州鉄道初代総裁、そして関東大震災後の帝都東京の復興は、殆ど全てがこの人の手腕に依るものですし、各種大臣を複数回歴任、拓殖大学学長、男爵となり、ボーイスカウトを日本で初めて紹介し、都知事となり、日本初のラジオ放送にも関わり、ソ連との外交にも力を発揮し、明治時代に地下鉄を構想、というんですから、X-MEN並みの超人ですよね。本当に明治の男は気概があり、立派だったと思います。

は~、昨日書き残した事を記せたんで、何だかスッキリしました~。よし、コーヒーを一杯飲みまして、午後からも仕事を頑張ります!!
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