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♪ DESIRE ♪

おはようございます!今日のBGMは、久方振りのボブ・ディランでありまして、1975年の伝説のツアー、「ローリング・サンダー・レビュー」を早朝からかけ、テンションを上げています!ボブ・ディランと言えばフォークの神様、弾き語りとボソボソとした唄い方で一世を風靡しましたよね。ところがこのツアーだけは、それまでのイメージをかなぐり捨て、予算は度外視(小さなライブハウスを中心に、ディラン程のビッグ・ネームが前もって会場を決めないんですね。その日の気分、風に吹かれるまま、翌日のライブ場所を決めるというスタイルでした。)、演奏時間は4時間を越え、即興で歌詞を変え、顔は白塗り、帽子には多くの花を挿し、エレキ・ギターをかき鳴らすという、それまでとは全く異なる音楽へのアプローチを見せたのです。やっぱりクオリティが凄いんですよ。現代の視点からすると、リズム隊が少々弱い気は否めませんが、冒頭の曲、トゥナイト・アイル・ビー・ステイング・ヒア・ウィズ・ユー、今宵貴方と共に、とでも訳しましょうか、素晴らしいシャウトでして、もうそれだけでとんでもないライブだな、と背筋がゾクゾクします。

ライブのラストはお馴染の、ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアでありまして、これはエリック・クラプトンがカヴァーして世界中で売れたメガ・ヒット・ナンバーですが、ディランの方がケタ違いに上です。ディランの原曲にはクラプトンのスイートなイメージは皆無、この歌は迫り来る死の世界を唄ったものなんですね。♪ママ このバッジを取ってくれ もうつかいみちがない 暗くなってきた 暗くて何も見えない ノック ノック 天国の扉へノック♪ですから、敬虔で宗教的な薫りすらあり、ゴスペルすら思わせる深い世界観なんです。その曲を、婦女子や若者向けに、柔らかく甘く仕上げて大金をせしめたクラプトンの商才には恐れ入ります。流石に親友の奥さんを寝取っただけの事はありますよね。でも、僕は断然ディランが好みです。そうそう、僕、この曲で腰を抜かさんばかりに驚いた事があるんですよ。

それは、随分前の、或る知り合いでの結婚式での事です。式は滞り無く順調に進み、最後の花束贈呈の場面です。そこで、このノッキン・オン・ヘブンズ・ドアが大音量で流れ、クラプトン・ヴァージョンの甘いアレンジですから、親族から友人から、皆さん滂沱の涙を流すんですよ。僕の廻りも貰い泣きしている方ばかりでした。僕の席のすぐ隣では新郎新婦が涙ながらに両親への手紙を読んでおり、会場は感動の渦なんですね。でも僕、大変申し訳無いんですが、歌詞の内容が分かるものですから、どういう表情を作って良いのか、非常に困った記憶があります。だって、結婚式のクライマックスで、大音量で、♪暗くて何も見えない ノック ノック 天国の扉へノック♪、ですよ!?これ、日本人の英語音痴も情けないですが、最も許せないのは結婚式場ですよね。素晴らしいメロディでも、この歌詞は2人の門出を祝ってないでしょ~。プロなんだから、BGMの歌詞ぐらいはちゃんとチェックしなくちゃ。それにしても恥ずかしい一件でした。

閑話休題、こんな話になるとは思っていませんでしたが、今日は折角希代のアーティスト、ボブ・ディランについて触れましたので、その絡みという事で、ルービン‘ハリケーン‘カーターさんのお話を。

この‘ハリケーン‘カーターさん、実は極めて優秀なプロ・ボクサーでありまして、前途を嘱望されていたんですね。バリバリのミドル級世界ランカーとして、大活躍しました。人種差別の激しいアメリカ北東部のニュージャージー州(ここは今でも日本人が住むには大変と言われています)で、貧しい黒人の息子として生まれた彼は、軍隊に入隊後、ボクサーを志し、メキメキと頭角を現します。ノン・タイトル戦ではありますが、時の世界ウエルター級チャンピオン、そしてミドル級まで制したエミール・グリフィスを1RでKOし、無敗の米国ミドル級チャンプ、ジョーイ・クーパーを2RKOで沈め、とうとう世界戦への挑戦となります。挑戦を受けたのは、WBA・WBC統一世界ミドル級チャンピオン、ジョーイ・ジオデロでした。試合内容は、挑戦者カーターの圧勝でしたが、不可解な判定負け、これはチャンピオンのジオデロ選手が白人だったからだ、と今でも言われ続けています。惜しくも敗退したカーター選手は再挑戦の機会を虎視眈々と窺っていたのですが、そこで大悲劇に見舞われます。1966年、ニュージャージー州のバーで、男女4人が射殺されるという痛ましい事件が勃発、偶々近くを通りかかっていたカーター選手が犯人だとされ、終身刑を宣告されたのです。その裁判の陪審員から裁判官から、皆差別的な白人であり、そして、裁判は、偽証や虚偽発言のオン・パレードでした。しかし、不屈の男、カーターは決して諦めず、20年以上の収監期間の間、再審請求を続けたのです。そして、1987年になり、漸くカーター選手の無罪が確定されました。

何故、カーター選手とボブ・ディランの接点があるのか、と皆さん思われるでしょう。実は、この世紀の冤罪に怒ったディランは、その名も「ハリケーン」という屈指の名曲を作り、全米ツアーを敢行、デモ行動を主導し、再審のきっかけを作るべく尽力したのです。義を見てせざるは勇なき也、でありまして、ディランとカーターの、人種や年齢の壁を越えた、麗しい友情物語と言えるでしょう。

果たして、平成の日本に、この様な意気に感ず人間がどれだけいるのか分かりませんが、少なくとも僕は、おかしいと感じた事には、胸を張って間違っていると言いたい、そう思っています。それでは皆さん、良い週末を!!
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