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✿ 吉野葛 ❀

いや~、とうとう小沢新党ですか。まあ、ドジョウの言い分は、おかしな事ばっかりですからね~。YOU TUBEで幾らでも見られますが、2009年の総選挙の際、「消費増税は決して行いません!まずは公務員の無駄を全て省いてからです!」とドジョウ自ら力強く演説している動画がしっかり残っていますから、今言っている増税、というのは詐欺です。こういう輩を昔の人はこう言いました。「三百代言」、これ、弁護士さんを嘲る言葉なんですが、立場が変われば三百回代わった事を言う、という意味なんですね。この言葉、そっくりそのままドジョウに進呈しましょう。対して小沢さんの主張する、反原発反増税、こちらの方が僕は正しいと思っています。まあ、国民の殆どが自民党じゃ駄目だ、一度民主党に任せてみよう、と一票を託した願いは見事に裏切られ、第二自民党が出来ただけだった、という悲しい現実ですよね。

嫌な事ばっかりですが、今朝の大分はまたもや凄い雨でして、実は今日、僕の母の命日なものですから、早朝、墓参りに行って参りました。折角お墓を掃除したのに~、もうドロドロでしょうね、あ~あ。と言う事で、今日の本ブログは、極めてパーソナルな話なんですが、亡き母の思い出に、読者の皆様が暫しお付き合い頂ければ幸いです。

僕の両親の話は拙ブログに結構出て来ましたから、古くからの読者の方はもうお馴染かもしれませんね。何せ、父が非常にやんちゃでありまして、多くの女性達と直ぐに仲良くなっちゃうタイプ、余りに親しくなり過ぎるものですから、母の怒りが大爆発、という次第です。

僕の少年時代は、両親の凄まじい喧嘩と共にあったと言っても過言ではありません。沢山のお客さんが来ている最中、母の怒りが爆発、父の頭に麦酒の大瓶の中身を全てかけちゃうんですから堪りません。二階へと駆け上がり、寝ている僕を叩き起こし、屋根をつたって脱兎の如く逃走、寝巻のまま、タクシーに乗り込みホテルにチェックイン、僕は暫くの間、幼稚園までホテルから通学する、なんて事もありました。

そうそう、父が親しくなり過ぎた女性と、香港へと旅立った事がありまして、当然母はすぐに察知、帰国を今か今かと待ち構えていました。戻って来た父は、罪滅ぼしの意味もあったのでしょう、特大の高価な壺を、母へのお土産に買って来ていたんです。それを渡すや否や、父は小部屋に籠り、連れて来た仲間達と早速麻雀を開始しました。恐らく一人では帰って来れなかったのでしょう、仲間がいれば安心という訳です。ここから、母の大反撃が始まります。その小部屋に、点火したばかりのゴキブリ駆除薬のバルサンを何個も投入、皆様ご存じの通り、あれは凄まじい煙が出ますから、その部屋にいられるものじゃありません。すごすごと帰る仲間達、そしてお土産の壺は、怒髪天を突く母の振り廻したゴルフのドライバーで見事粉砕、今度は父が全力疾走で逃走する羽目となりました。

こういう大喧嘩は年に1度(それだけあれば充分ですね…)ぐらいですが、父は何故か365日間大根の味噌汁しか飲まないという偏食ぶり、母と僕は今日はワカメに豆腐、明日は浅蜊、明後日は厚揚げと葱の味噌汁といった具合でして、食生活からして合わなかったんでしょうね~。こういう激しい両親の子供である僕も負けず劣らずのやんちゃぶり、両親の果てしなく続く諍いに腹を立てたのでしょう、届いたばかりの高価なふすま目がけて、おもちゃの空気銃を連射、穴を空けまくり逃走、結局は夕方近くになり捕まり、往復ビンタの雨あられでした…。どうも、我が家の常として、憂さ晴らしで物を壊して逃走する癖があるようで、これは気を付けなくてはいけませんね。

とは言え、日常の母は、非常な努力家であり、勤勉で、良く気が付く、優しい人でした。今でも覚えているのは、深夜、家族が寝静まった後、ふと目覚めた僕が気付くと、独り黙々とスピーチの練習をしているんですね。若くして当院の理事長を務めており、他の複数の会社の社長職にもありましたから、挨拶の機会は人の数倍多く、深夜にしか自分の時間が無かったんでしょう、自分で原稿を作り、暗記し、黙々と練習するその姿は僕の眼に焼きついています。自分は大学を中退しているので語彙が少ない、とそれを悩んでいましたが、寸暇を惜しんで読書をし、スピーチや座談の名手となりました。また、これは、と眼を付けた人への投資を惜しまず、人材育成にも力を注いだと思います。そして、僕の教育面において、大変熱心だった事は感謝するほかありません。お茶に習字にピアノに英会話、ゴルフにテニスに野球に水泳、そして海外旅行と、僕が関心を持つ持たないを別として、お金を惜しまず、ありとあらゆる世界に触れるきっかけを作ってくれた事、今になってそのありがたみが胸に染みいる思いです。

母が亡くなったのは40歳、僕が高校生の時でした。それまで母は、仕事に精魂を傾けていましたが、癌の発病をきっかけに、亡くなるまでの1年間、闘病生活を続けながら、黙々と絵を描き続けました。主題としたものは、花でして、綺麗に咲くその一瞬の儚さを、自分に重ね合わせていたのだと思います。その多くの絵は、今なお、当院に飾ってあります。どうか、僕とこの病院を守ってくれます様に。

どうも今日は柄にも無くセンチメンタルでしたが、たまにはこういう文章も良いですよね、それでは皆さん、又明日!
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