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北京秋天

今朝の大分はスカッと晴れました。非常に気分の良い朝でして、昨晩は会食がありまして、少々遅くなりましたが、大変気分の良い一夜でした。関係者の皆様、本当にありがとうございました。これからも宜しくお願い致します!それにしても、久し振りに葉巻が吸えまして、香りを嫌う方も多いですけれど、お店の方にも快くご了承頂きまして、ありがたいばかりです。ロメオyジュリエッタ、トリニダッド、モンテクリスト、はたまたドミニカ産のダビドフかメキシコ産のティ・アモか少々迷いましたが、銘柄は勿論、キューバ産のプレミアム・シガー、コイーバしかありません。フラット・カットでゆったりふかせば、気分はもうカリブ海の乾いた風の中、であります。僕、将来石油を掘り当てたら、カリフォルニア辺りに、ワイン畑と煙草畑を購入するのが夢なんですね。自家製のハウス・ワインと、葡萄の葉で育てたエスカルゴをつまんで、食後は手巻き煙草を吸う、なんて優雅だと思いません?

さて、嫌な話になっちゃいますが、今朝の全国紙全紙に掲載された、菅前首相の原発事故の参考人聴取は酷かったですね。産経は「目に余る菅氏の責任逃れ」、読売は「菅氏の危機意識 薄っぺら」、毎日は「今更謝られても」だそうで、僕も全く同感です。被災者の声を拾ってみますと、「これで終わりにされたら、何の解決にもつながらない。町民の事を思うと、悔しくて涙が出た」「今更反省されたり謝ったりされても、もうどうでもいい」「原発事故に対応する為の管理体制がなっていなかったと改めて感じた」「事故全体を大局的に見るべき立場の責任者としてふさわしくない」…。

被災者が怒るのは当然至極の事で、それについては深く深く共感しますが、僕、決して許せないのは大マスコミの連中です。大体、コイツら、畜生というか外道、とあえて書かせて貰いますが、かっての民主党代表選の際、小沢さんと菅サンの一騎打ちの局面になりましたよね。集団ヒステリーの様に菅サンを支持し、小沢さんには酷い扱いを繰り返してたじゃないですか。挙句の果てに、首相の器に相応しく無い無能極まりない菅サンを就任させる様に世論を誘導し、そしてこの事故でしょ。よくまあ自分だけが正義の味方みたいな面して、「目に余る菅氏の責任逃れ」とか書けますよ。同罪を通り越してますし、地獄に落ちると思います。そんな奴を推薦したテメエらの罪は何処にあるの!?ホンマによう言うわ。

♪ 下らない事が多すぎて オイラもうホトホトもういい加減やんなっちゃったよ 幾ら金持ちになったとしても 分かってないなら只の馬鹿野郎 お金より 見た目より 車より 心意気 やっと見つけたよ お前 いい女 俺を困らせる お前 いい女 ♪、思わずウルフルズの「いい女」を唄いたくなる気分ですが、もう嫌な話はおつもりにしましょう。という訳で、今日は僕の大好きな日本人画家、梅原龍三郎のお話を。

美術館に行く時、僕、結構ドキドキワクワクなんですね。本当に素晴らしい絵画との出会い、それって人生を左右する程の衝撃があったりします。僕、大分市美術館か芸術会館だったと思うのですが、まだ左程絵の知識が無い時、その場に入って立ち竦んだんですね。大分県民には馴染み深い、別府と大分の間にある山、高崎山の風景画でしたが、その絵だけ、遠く離れて見ていても、存在感がまるで違うんですよ。ワン・アンド・オンリーと言いますか、その絵だけが浮き出ていました。柔らかい稜線と穏やかな内海、それを独特の豪快なタッチで描いたその作品に惚れ込んだ僕は、早速画集をチェックすると、日本を代表する洋画家、梅原龍三郎、という事が分かったのです。何でも、別府の旅館にフラリと現れた、若き名も無い梅原画伯は1カ月程滞在、仲居さん達は素人の絵描きと思い込んで、お金の無いのを憐れんで、海浜を一緒に散歩したりしていたそうですが、「旅の記念に」と残していった絵が、大変な価値があったんですね。

梅原は、明治の生まれで京都出身、実家は染物問屋だったと言いますから、それで色彩感覚が磨かれたのだと思いますが、才ある人はとかく学校とは相性が悪いもの、高校をさっさと中退、20歳にしてフランス・パリへと渡航します。アカデミー・ジュリアン、マティスやボナールにミュシャらを輩出した、フランスにある私立の名門美術学校に通うのですが、その中、生涯の師とする、ルノワールに見出され弟子となるのです。5年間のフランス滞在中に絵の基礎から習熟した梅原は、帰国後、志賀直哉や武者小路実篤、有島武郎(美男俳優森雅之の父ですね)に里見弴、中川一政に岸田劉生らと、新たな芸術運動を興します。白樺派と呼ばれ、一世を風靡し、後世まで多大な影響を与えた、大正時代のムーブメントでありまして、自由で個人主義的で理想主義的、僕、とても共感を覚えますが、その中心人物として、今なお続く二科展を設立、東京芸大の教授に就任します。ところが、このスケールの大きな画家が一大学の教授で収まる筈がありません。これまたさっさと辞任しまして、日本国内は勿論の事、中国は北京、フランスのカンヌ、イタリアはベネチアと飛び回り、今は国宝となった多くの傑作を描き続けました。同じ日本人として、非常に誇らしいのは、世界一とも言われる国際美術展覧会、国家の威信をかけて賞を取り合う、19世紀から続く、ベネツィア・ビエンナーレの審査員を務めた事でしょう。夫々の国がメイン会場近くにパビリオンを設置、何十万人もの観客を集める、アート界のオリンピックと呼ばれる世界一の祭典において、審査される側で無く、する側なんですから、梅原の絵が如何に認められていたかが分かると思います。余談ですが、この様な国際美術賞レースで最も評判が悪いのは、やっぱりアメリカなんです。猛烈な賄賂攻勢をかけて、1964年に初めて金獅子賞を獲得した、と囁かれています。アートの世界に賄賂なんて、さっきの菅サンじゃありませんが、本当に悪い冗談ですよね。

画家の画風とは年々歳々時々刻々と変化するもの、またそれがなくては一流ではありません。勿論、梅原も例外では無く、フランス在住当時、また帰国後は師匠であるルノワールの影響下にあった様に思います。そして海外を歴訪する中で、日本の伝統的な画法、豪華絢爛たる安土桃山時代の手法や、南画の技法を取り入れ、東洋と西洋が混然一体となった彼のオリジナルな画風が完成するのです。華やかで艶やかな色彩、晩年は筆では無く指で描いたとされる豪快な線、誠に自由奔放で明朗快活、彼は大層な艶福家で健啖家でしたから、97歳まで生きたのもさもありなん、という感がします。

あ~、今日はこれから大事な会議がありまして、僕、議事進行の大役を任せられていますが、それが終わったら、誰か一緒に梅原の絵を観に、大分市美術館まで行ってくれませんかねえ!?
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まとめtyaiました【北京秋天】

今朝の大分はスカッと晴れました。非常に気分の良い朝でして、昨晩は会食がありまして、少々遅くなりましたが、大変気分の良い一夜でした。関係者の皆様、本当にありがとうございま...

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