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浮枕

何だか昨晩は寝付きが悪くて参りました。寝返りを打ったりうつ伏せになったり仰向けにしてみたり…。こういう時って、何か特効薬は無いもんですかねえ。羊の数を数える、というのは古典的すぎますし、暖かいものを飲んだり、お風呂に浸かったり、今朝新聞を読んでいて、これは面白いな、と思ったのは「もし宝くじに当たったらどうするか」を考えると、ストレス・フリーになって熟睡出来るとか。不眠でお悩みの方は是非一度お試しあれ。でも、リアルに色々想像して、益々眠れなくなったりして。

さて、今年の夏はどうやら久方振りに都内への出張が決まりそうです。日本精神科病院協会、という大きな団体がありまして、そこの主催でセミナーが開催される由、演目が中々魅力的なんですよね。「社会保障と税の一体化について」「東日本大震災への対応について」「震災と原発事故による医療崩壊」「国債暴落はあるのか~備えあれば憂いなし~」「地域医療計画と精神科病院~明るい未来に向けて~」等々、2日間に渡って朝から晩まで、経済から時事から医療政策から、多岐に渡って興味深いお話が聞けそうですから、しっかり勉強しまして、得た情報は読者の皆様にも是非お伝えしたいと思っています。都内にはホット・スポットがまだまだ沢山ありますから、それだけが心配ですが…。

都内出張と言えば、しっかり仕事をした後のプライベートな時間が充実しているのが、何よりも楽しみです。神田に出て、世界一の古書街を廻って蕎麦をたぐって冷酒も良し、新宿ならば、海賊版レコードショップでCDを購入、バーに立ち寄ってライブ・ハウスも良し、浅草ならば、浅草寺を参拝して寄席で落語を聞いて、スカイツリーまで人力車も良いですねえ。上野の博物館に美術館廻り、銀座の画廊散策、吉祥寺ならジャズ喫茶、赤坂の一流ホテルでディナー、早起きして築地で鮨三昧、神宮の杜で野球観戦、臨海副都心はお台場散策、そして隅田川を屋形船でゆったりと下りながら月を愛でる、なんてのも古き良き江戸情緒を感じさせて風情がありますよね。

という訳で、今日の本ブログは、その江戸情緒の匂いを残した偉大な文士、僕の敬愛する永井荷風先生、別名断腸亭主人について書いてみましょう。荷風先生は、先祖代々徳川家に仕えた由緒正しい侍の家に生まれました。曾祖父の代で製塩業を始めて大成功、巨万の富を得ます。荷風先生の叔父さん達は、衆議院議員に外交官、当時植民地だった台湾を治める長官、神奈川県知事に福井県知事に名古屋市長、そしてお父さんは東大卒で海外留学を幾度となく行い、官僚を経て日本郵船の重役となり事業を大成功させ、益々身代を増やした訳で、山崎豊子さんの小説のタイトルじゃありませんが、将に「華麗なる一族」ですよね。

まあ、皆さんも同感して頂けると思うんですが、親戚の縁を辿って行くと、1人ぐらいは変わった人と言うか、はぐれ者みたいな人がいらっしゃいませんか?僕の場合は親族一同変わり者揃いなんで困っているんですが…。閑話休題、我らが荷風先生がそのはぐれ者だったんですよね。先に書いた様に裕福な家の長男の荷風先生、幼少時より優秀な家庭教師が付き、漢詩に日本画に書道に尺八を学び、一橋大学に入学、とここまではエリート街道をまっしぐらなのですが、段々と放蕩三昧になって参ります。ハイ・ティーンの頃から吉原の遊郭に日参し、学業は中途で放棄、落語家の弟子になり、歌舞伎鑑賞三昧、絵に描いた様なアウト・サイダーとなりました。心配した父親がアメリカの銀行で働かせますが、こちらもさっさと退社、フランスへと渡り遊蕩ばかり、でも人生って分からないもので、その女性遍歴を生かした「あめりか物語」「ふらんす物語」が大絶賛となり、帰国後は森鴎外の推薦で慶應大学文学部教授となるのです。彼の真価はその圧倒的な筆力にあるんですね。風景描写は天下一品、人情の機微にも通じ、時勢に決して媚びず冷徹な文明批評をし、反骨精神旺盛で孤高な存在であり、漢学や仏文学に堪能で、多くの海外小説を翻訳し、谷崎潤一郎を見出だし、お洒落なベストセラー作家、ただ、女癖が非常に宜しくない、というのが唯一の欠点でした。

と見る間もなく初秋の黄昏は幕の下りるように早く夜に変わった。流れる水がいやに眩しくきらきら光り出して、渡船に乗っている人の形をくっきりと墨絵のように黒く染めだした。堤の上に長く横たわる葉桜の木立は此方の岸から望めば怖しいほど真暗になり、一時は面白いように引きつづいていた荷船はいつの間にか一艘残らず上流の方に消えてしまって、釣りの帰りらしい小舟がところどころ木の葉のように浮いているばかり、見渡す墨田川は再びひろびろとしたばかりか静に寂しくなった。遥か川上の空のはずれに夏の名残りを示す雲の峰が立っていて細い稲妻が絶間なく閃いては消える。

これ、荷風先生の名作、「すみだ川」の風景描写の一節なんですが、皆さん、如何ですか?素晴らしい名文ですし、発表されたのは明治44年、その当時の隅田川の河原の風景が目に浮かぶ様に感じられません?

さて、話を戻しまして、荷風先生は大学教授の職を辞し、2度の結婚と離婚を経て、多くの芸者衆と浮き名を流し続け、浅草のストリップ劇場で自ら脚本を書き出演するなどやりたい放題でしたが、全ての血縁関係を絶ち、親族と絶縁し、誇り高く孤立し、文学一筋に生きたのです。晩年は病を患いましたが、医師にかかる事は断固拒否、独りで死んでいったのです。亨年79歳、文学の鬼の死でした。

僕、荷風先生が最後に食事をとったお店に行った事があります。大文豪を偲ぶ意味だったのですが、場所は千葉県市川市、JR本八幡駅近くの「大黒屋」、荷風先生が何時も召し上がっていたメニューであり、最後の晩餐である、カツ丼と上新香に日本酒1合、中々美味しかったのですが、夕暮れ前の閑散とした店内で独り日本酒を飲んでいましたら、何だか気分は永井荷風でして、浅草の仲見世でも冷やかして帰りたくなったのを覚えています。

近年の矮小化した文学界には決して見る事の出来ない、永井荷風の世界、皆様如何でしたでしょうか?
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まとめtyaiました【浮枕】

何だか昨晩は寝付きが悪くて参りました。寝返りを打ったりうつ伏せになったり仰向けにしてみたり…。こういう時って、何か特効薬は無いもんですかねえ。羊の数を数える、というのは...

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