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本日は当院の創立記念日でして、僕、早朝から出勤、挨拶文を作ったりしていまして、本ブログの更新が随分遅れてしまいました、大変申し訳ございません。時間に追われながらもニュースをチェックするのが僕の性でして、時事通信を読んでいましたら、目出度い日と言うのに怒り心頭に達しました。少々古いインタビューでしたが、菅前首相が、今回の政府の震災対応についてどう思うか、と問われ、「大失敗だった」と語っています。その記事と並んで、これ、時事通信の嫌味かなと思ったんですが、「愛知県の幼稚園給食に使った、茨城県産の椎茸から、1㌔当たり1400ベクレルの放射性セシウムを検出した。幼稚園児500人が食べたと思われる。」ですって。一方、産経新聞によれば、「国会の東京電力原発事故調査会は、菅前首相を参考人招致する。前首相の指示が被害拡大を招いた面はなかったのか、本人を事情聴取する。」由でして、さてさて、どこからツッコミましょうか!?ブラマヨの小杉君か、フットボールアワーの後藤君を呼びたいところですよね。

まず、民主党代表選挙で、菅前総理に投票した民主党議員、この男の資質を見抜けなかった点で、議員失格であります。即刻辞表を出し、すぐさま現地に跳び、ガレキ処理をする事!続いて、その代表選の際、菅を押しに押したマスコミの皆さんも全くの同罪であります。そして、事故当時はヒステリックに叫び、現場を混乱させただけだったのに、今更の様に非を認める、この菅という男の人間性を疑います。罪を認めた以上、償う必要が発生しますから、まず、頭を丸めて、関東以北の皆さんに謝罪行脚をしてから、菅サンの全ての個人資産は没収、全てのガレキが無くなるまで強制労働ですね。僕、法学部出身ながら、法律には疎いですが、菅サン、業務上過失致死罪に当たるじゃないですかね。アナタの無能かつ杜撰な対応で、愛知県の園児500人に重大な後遺症が発生するかもしれませんよ。僕、高校時代、当時40歳だった母を癌で亡くしているんですね。癌細胞の転移の速さは凄まじいものがありますし、当時40だった母でさえ、あっと言う間に亡くなったんです。園児に放射性物質--発癌性です--を食べさせるなんて、菅サン、アンタ人間じゃありませんよ。ヒトの皮をかぶった獣です。

怒りは中々収まりませんが、話を戻しますと、今日は当院の56周年でありまして、僭越ながら僕から挨拶をさせて貰いまして、その後は永年勤続表彰の式典を執り行いました。半世紀以上に渡り、当院がこの地にある訳でして、患者様、そのご家族、地域の皆様方、OBを含めた当院の全職員に最敬礼でして、幾ら感謝しても足りないぐらいです。本当にありがとうございます!今後とも、当院を末長くお引き立ての程、何卒宜しくお願い致します!という訳で、今日の本ブログはここからが本題です、この病院の創立者であります、僕の曽祖父のお話を致しましょう。

このじいさん、蜷木(になぎ)稔という男でして、我が曾祖父ながら、大変ユニークなキャラクターなんですね。代々の神主の家系で宇佐の庄屋の跡取りでありまして、医師でありながら、政治家を志した男であり、では早速ご紹介と参りましょう。

さて、稔さんは青雲の志を抱いて、宇佐の地を離れ、熊本医専学校、現在の熊本大学医学部に入学します。勉学に励み、大変優秀な成績で卒業して、と書きたいところですが、何と芸者遊びに連日連夜夢中となりまして、校長のガールフレンドとまで、とても親しいお付き合いしたという事がバレて大騒ぎ、退学寸前まで行っちゃったというんですから、いい加減にしなさい!どうやら退学を免れた様ですが、罰として、卒業までの間、校長先生の人力車をずっと曳かされたそうで、そんな学生さんは聞いた事がありません。それでも無事医師となり、その後、職を得て単身満州に渡る事と相成ります。そこで運命の出会いがありまして、9歳年上の芸者さんと結ばれちゃうんですね~。この人が僕の曾祖母であります。最愛の伴侶に恵まれた稔さん、医院を経営するかたわら、市会議員選挙に打って出て見事当選、やがて県議へと進出、県会議長にまで昇進致します。順風満帆の生活だった様ですが、ここで日本にはアメリカとの戦争という暗い影が射して来ました。県会議員だった稔さんは、戦争へと向かう日本陸軍の横暴、そして官僚の統制経済に非を唱え、衆院選に立候補します。孤軍奮闘、敢然と政権の誤りを訴えた稔さんは、昭和17年4月15日、特高に微罪で逮捕されてしまうのでした。そして、稔さんの見識の正しさを立証したかの様に、日本は大敗戦を迎えます。

出所後、政治の道を続けながら、大分県医師会長に就任、昭和33年当時、偏見と誤解の対象でしか無かった、精神疾患を抱えた患者様の姿を見た稔さんは、66歳にして、「精神病院を大分の地に作るべきだ」と一念発起するのです。設立当初37床しか無かった病院は400床を超えるまでに急成長、「日本一の病院を目指す。社会奉仕、世の為人の為。借金、事業、成功。」、これが稔さんの死の間際までのモットーでした。稔さんが亡くなった時に僕は未だ7歳でして、賑やかだった病室が急に閑散として、がらんどうになった強烈な記憶があります。葬儀の際は、どう見ても玄人筋の大勢の芸者衆が焼香に来訪、大変に艶な光景だったそうですが、年をとっても女性が大好きだったんですね。

僕、投獄されても信念を投げなかった曾祖父を心から尊敬していますし、66歳にして新規事業を始めた明治男のバイタリティ、そして偏見の無いリベラルな姿勢、社会奉仕の心は是非見習わなくてはなりません。稔先生、当院発展の為、僕、全身全霊、粉骨砕身で頑張ります。読者の皆様方も、当院に対しまして、叱咤激励、ご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い致します。それでは又来週お会いしましょう!僕は土曜日にお花見ですが、皆さんも楽しい週末をお過ごし下さい!
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