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守破離

いや~、それにしてもよく降りますね。洗濯物が中々乾かなくて、独特の匂いがしませんか?明方の犬の散歩の時だけでも、雨が上がってくれると助かるんですが、そう都合良くは参りません。最近、早朝に出勤したり残業したりでして、結構疲れが溜まっているんですが、本当に忙しい方は決してそんな愚痴はこぼさないもの、この不景気のご時世、仕事があるだけでもありがたいと思わないといけませんね。

先程、Yahoo!のニュースを見ていましたら、「子供手当」の3度目の改正とか。名称を変える由でグダグダやってるみたいですが、本当に少子化対策を考えるのであれば、手当の充実は勿論でしょうが、希望ある国の姿や魅力ある男女を育てる事、もっと具体的に言えば経済を活性化し、素晴らしい教師達を生み出す事が先と思うんですがね。木を見て森を見ず、本末転倒とはこの事でして、物事の本質を見なければ何も始まりませんよ。

もう1つ驚いたのは、横浜DENAベイスターズです。横浜球場を借りてプロ野球の興行を行っている訳ですが、昨年までは、売店に入場料に広告収入等々、収益の半分を市が取っていたとか。それに加えて当然税金も支払っている筈ですから、江戸時代でもそんな酷い税率の年貢は無かった筈ですよ。本当に、公務員天国で民間は奴隷という日本の姿が、赤裸々に如実に現れている様に感じました。

繰り事ばかり書いていても本ブログの趣旨に反します。という事でここからは、僕の尊敬する恩師のお話を。以前の本ブログでも触れましたが、僕、中学時代は優等生、高校時代は劣等生と浮き沈みの激しい学生時代を送りました。特に高校時代は、一家離散もあるんじゃないか、という様な酷い状況に置かれまして、僕、一番グレていた頃です。一応進学校だったものですから、成績の悪い子は白眼視されるだけなんですね。まあ、義務教育ではありませんし、先生方の仰る事は進学の事のみ、家庭の事情までには決して踏みこんで来ません。高校生では解決出来る筈も無い、こちらの苦しい事情は薄々感じているにしても、面倒を避ける意味もあり、何も言わず体罰を振るうだけなんですね。中学生時代は、教師と生徒の距離がかなり近かったものですから、余計に疎外感を感じたものです。折角入学した医学部もすぐに自主退学し、海外放浪や就職を経て法学部に再入学するんですが、僕、そこで人生初の恩師に出会いました。

C教授、という台湾のご出身の先生なんですが、日本に留学し、台湾独立運動をしながら、アルバイトで学費を稼いで大学の法学部を卒業、実業の世界でも成功し財を成し、幾つかの学校で教鞭を取った後、大学教授として赴任された方なんです。僕、法学部では国際政治コースを選択したものですから、その先生の授業を取る事が多かったんですね。無知だった僕は、蒙を啓かれたと言いますか、世界には様々な価値観がある、という事を学びました。馬が合った、という事もあるんでしょうが、僕が先生の講義を受け、疑問点や意見を持ったとします。先生は長い経験と叡智をお持ちの方で、知らない事は無い程の博識の方でした。中近東の政治の動き、アメリカの就業人口の歴史、欧州を覆う人種差別の壁、東南アジアの経済事情、台湾の成立の過程、漢詩の作り方、英語で書かれた政治論文の読み方、株式市場の動き、太極拳のやり方、美味しい烏龍茶の見分け方…。僕は講義が終わった後に先生の研究室に行き、空いている時間に様々な質問をしますと、「僕自身の意見はこういう理由があってこれこれだ、でも僕の書庫や図書室にこういう本があるよ、是非読んでみて、疑問があればまた来なさい」という指導をして頂いたんですね。僕の家業が不振になった為、大学院修士課程の途中で、学業を放擲した形となったのですが、先生からマンツーマンのご指導は、8年近い期間に渡って受けたのではないかと思います。のべにすると何百時間になるのでしょうか、仰げばと尊し我が師の恩、僕の考え方の基礎を作って頂いた偉大な先生で、とても足を向けて眠れませんし、僕が家業を継いだ際、心配されて大分まで何度か足を運んで下さった事も忘れられません。象牙の塔にいるだけじゃ駄目だ、現実に即した学問をしなさい、曲学阿世の徒になるな、だけが先生の口癖でした。先生は、恐らく僕に大学に残って欲しかったのではないか、と推測しますし、欧州留学や他大学での勉強を勧められたりもしましたが、僕の書く論文の内容が、たとえご自身のお考えと異なった事があっても、決して非難されませんでした。本当に伸び伸びと学問に打ち込む事が出来て、幸せな学生生活を送れたと思います。先生、この場を借りて、厚く御礼申し上げます、本当にありがとうございました!

さて、先生の自主性を重んじた、決して押し付けない指導が余程僕に合っていたのでしょう。学問の前には皆全て平等な学徒であり、教授も生徒も関係無い、という姿勢には胸を打たれるものがありました。そして、何よりもありがたかった事がもう1つあります。それは僕の拙い若書きの論文を認めて下さって、雑誌社に推薦して頂いた事です。「台湾青年」という、戦前から連綿と続く歴史ある雑誌がありまして、世界中で発行されているものなんですが、その編集長を務める先生に僕を推挙して頂き、総計4回かな、掲載して頂きました。当時20代で、大学の退学や海外放浪を繰り返していた、謂わばセミ・ドロップ・アウトをしていた僕にとって、自分の文章が世界中の人の眼に触れているというその喜び、それが厳しい人生を生き抜く上でどれだけ自信になった事か!残念だったのは、中国語で読後感を書いたお手紙を何通か頂いたのですが、何も分からず大変悔しかったものです…。

我以外皆師也。今は吉川英治さんの小説よりも、井上雄彦さんの漫画「バガボンド」の方が有名ですよね、先の言葉は、剣豪宮本武蔵のものですが、それを肝に銘じて、嫌な事は山積していますが、日々是精進、学生時代の初心に戻りまして、より良い病院を作る為、頑張って参ります!!それでは皆さん、楽しい週末を!
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