FC2ブログ

天上の虹

あしひきの 山のしずくに 妹待つと 我れ立ち濡れぬ 山のしずくに

我を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしずくに ならましものを

山の麓で、愛しい君を待っていると、山の木々の滴で濡れてしまいました…、そうですか、そんなに長く待たせたのですね、私はその山の滴になれれば良かった…、という訳でして、本日は万葉の相聞歌の調べに乗せてスタートであります。女帝である持統天皇が命じ、日本国中の和歌を編纂させ万葉集が出来上がった、世界史を見てもまず見当たらない稀有な一大文化事業と、僕、日本史に強い誇りを持っています。これが戦いの歌集ならば、欧州にはありそうですが、恋愛に花鳥風月に春夏秋冬、捕鯨に防人、風俗に土地毎のもの、とバラエティに富んでいますし、何より素晴らしい事は、天皇の歌も詠み人知らずの歌も、全く同等に扱っている事です。この、和歌という芸術の前では身分や性別や経歴の差は無い、という姿勢を古代に貫いていた、というのは世界中に威張っていいんじゃないでしょうか。何故今日は万葉集を、と言いますと、今朝の毎日新聞によれば、三重県の斎宮跡から出土した土器に、平仮名でいろは歌が書かれていた由です。斎宮とは飛鳥時代から続くもの、天皇に代わり伊勢神宮に仕えた皇女の住居なんですね。僕、その画像を見ましたが、極めて達筆、繊細でたおやかなその筆致は、恐らくその皇女に仕えた女官が書いたものだろう、という事でした。ペルシャやギリシャやローマ帝国、インドに百済に中国の南北朝と、シルクロードを通じて、多種多様な文化が、仏教を中心に奈良の地に華開き、建築から宗教から彫刻、石造物に天文に地理、紙や墨や絵具、綿に染織に暦と、将に日本史上初のルネッサンスであり、コスモポリタンな感覚がビビッドに息づいていたと言え、古の飛鳥王朝を司った、天智天武両天皇に暫し思いを馳せまして、思わず万葉集を冒頭に引用した次第です。

そして、最も驚きなのは、千五百年近く前に、文字をきちんと解する事が出来た、という日本人の優秀さです。飛鳥時代当時は勿論統計がありませんから、正確な数字は勿論分かりませんが、文明を図る尺度の一つとして、識字率が挙げられます。江戸時代の日本では、何と80㌫の人が読み書きが出来たんですね。当時の売れっ子戯作者であります井原西鶴曰く、「今時は物書かぬという男なく」という有名な言葉にある様に、この事実は、欧米人の間でも評判でした。当時の大都会、ロンドンの識字率は30㌫、パリが10㌫だったと言うんですから…。

ゴローニン、というロシアの海軍軍人がいまして、江戸期に世界一周旅行を試みた探検家としても知られており、日本の国境を犯した罪で幕府に捕まり、滞日の記録として幾つかの著作を残しているんです。講談社学術文庫や岩波文庫でその著作は翻訳されていますが、彼曰く、「町人や百姓が、街中にある看板を見て感想を言い合ったり、目安箱に意見書を投じる姿を見て、驚愕した。そして着物の渋い色合いは、未開人の着るものでは決して無く、欧州とは異なる文化だが、立派な文明人が好むものだ。」そうなんです。「母国にはこんなに文字を解する人はいない。」と悲しんでいる記録が残っています。マクファーレンというイギリス商人、考古学の泰斗であるドイツ人のシュリーマン、この両人ともに当時の日本人の知性の高さに驚きの色を隠していません。特にシュリーマンは訪日時の印象を、「江戸の驚異」と書きました。その本が今、手元に無いので、正確な表現では無いかもしれませんが、グレート・メナス・オブ・ジ・エド、と書かれていたと記憶しています。

江戸の元禄文化や化政文化の真っ最中の頃、飛ぶ様に本が売れたんですね。先に挙げた西鶴は、浮世草子と呼ばれる現代で言えば小説のジャンルである、「好色一代男」「日本永代蔵」「世間胸算用」を発刊し、近松門左衛門の浄瑠璃もの、十返舎一九や式亭三馬の滑稽もの、鶴屋南北に河竹黙阿弥の歌舞伎狂言、与謝蕪村に小林一茶に松尾芭蕉の俳諧、その他に国学に伝記に川柳に和歌に狂歌に人情本と、この多種多様さと読者の求めるニーズは、現代の出版事情と大して変わりませんよね。十七年かけて日本全土を徒歩で測量、「大日本沿海與地全図」を造り上げた驚異の男、伊能忠敬については皆さん周知の事実でしょうから割愛しますが、関孝和、という人物を皆さんご存じでしょうか?

僕、理数系は全く駄目でして、サインコサインタンジェント、なんて言われると全身に蕁麻疹が出ますが、この関先生、江戸時代に生まれた、日本史上最大の数学家なんです。暦に天文学に地図作成、そして藩の財政役を勤めてからは数学に専念、代数、円周率、微分積分、幾何、関数に方程式、行列式に終結式と、この人が凄いのが、これ全て独学なんですよ。一説によるとニュートンやライプニッツより早く微分積分の概念を発見した、という人もいるぐらいなんですね。その多大な功績から、小惑星に関さんの名前が残り、三重県四日市大学に関孝和数学研究所が発足しています。

僕、ゆとり教育そのものを決して否定する訳ではありませんが、薄っぺらいカリキュラムでは、勉強の基礎を理解する事すら怪しいですし、日本古来からの正しい歴史や文化、物事の思考法、語り継ぐべき事まで、とても時間が足りないと思うんですね。先に挙げた関先生の名前すら子供達は知らない気がしてなりません。古いものは決して古くならず、新しいものはすぐに古くなる、伝統を大事に、ゆとり教育断固不可、というのが今日の結論であります。

では最後も万葉の調べでお別れしましょう。これは大分県由布院駅から、今も尚、見る事が出来る美しい景色を詠ったものです。千五百年以上前のものと思うと、感慨も一入です。

娘子らが 放りの髪を 由布の山 雲なたなびき 家のあたり見む

乙女達の伸びたままの髪、そして雲よ、由布山までたなびかないで下さい、我が家が見えなくなってしまう…、という訳でして、観光で由布院駅に降り立った際には、改札を通れば、その景観が飛び込んで来ますよ。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

由布院

行ってみたいです(笑)

田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける
(万葉集)

の国より~
プロフィール

しもごおり

Author:しもごおり
OSHブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR