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LE‘ONARD FOUJITA

おはようございます…。昨日から色々ありまして、僕、今朝は気分が沈み気味です。は~あ。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい。思わず苦手な漱石を引用したくなる気分でして、よかれと思ってやっていた事が利用されただけだったり、自分の失敗で相手を傷つけ上手く行かなかったり…。まあ、前を向いてやるしかありませんね…。

言葉って本当に難しいと思います。僕、職員の方に言った事があるんですが、「相手(部下や上司)の気持ちになって考えなさい」、あれはとても大変な事なんです、って。と言いますのは、部下や上司の気持ちになると言っても、所詮自分の頭の中にある相手の姿ですからね、それが正確に先方の心象風景を捉えているのかなんて、外れる可能性大です。夫々の置かれている立場や年齢性別、考え方や育ち方によって、見えているものはまるで異なる訳でして、親しい中である筈の肉親や恋人、親友同士だって上手く行かなくなる事なんて多々ありますよね。相手の事を深く思いやり、先入観や好悪の情を廃し、長所も短所も表裏一体ですし、親しき仲にも礼儀あり、僕もまだまだです。日々精進、誠心誠意頑張ります。

そうそう、僕、言葉で気になる事が多いんです。例えば真っ赤な嘘、と言いますが、これ元々、マカな嘘、なんですよね。確か、マカとはインドのサンクスリット語辺りが語源だった様に記憶していますが、学の無い人が、「嘘を付いたら赤くなるから真っ赤な嘘だろう。」と誤読し、現在に至る訳です。一所懸命、一生懸命、これ、前者が正しいんです。元来、鎌倉武士が、己の在所を守り抜く、という意味で一所懸命なのですが、これまた学の無い人が「一生を懸けて努力するから一生懸命だろう。」と誤解したという訳で、現在は併用している様ですが、本来の意味である言葉が駆逐されていく気がしてなりません。

藤田嗣治、という僕の大好きな画家がいます。実はこの人も、誤解と嫉視と絶え間無い批判に悩まされた悲劇の人だったと思います(涙)。第一次世界大戦が終結したばかりの1920年代、フランスでは、エコール・ド・パリ、と呼ばれた画家達のムーヴメントが起こり、世界中にセンセーションを与えていました。モディリアーニ、ユトリロ、ローランサン、パスキン、シャガール、キスリング、世界各地から集まった画家達が、お互いに影響を与えあいながら素晴らしい作品群を発表する、という好循環でして、中でも藤田は最も成功した一人でした。当時の日本画壇は、ミレーやマネにドガ、セザンヌにルノワールといった所謂印象派(物を正確に描き光や色彩を重視した明るいもの)が主流でしたが、藤田が居た欧州では、既に新たな画法、即ちキュビズムやシュールレアリズムが台頭しつつあったんですね。キュビズムとは、キューブ(立方体)から来た言葉で、ピカソに代表されますが、1つの絵の中に色々な角度から見た物を描くという手法です。シュールレアリズムとは、一言で言うと、無意識や不条理、夢の中の世界を描いたものでした。どちらが良い悪いでは無く、表現方法の違いだけだと思うのですが、より新たな画法の側に藤田は属していた訳です。

己が理解出来ない物、新しい物に、旧体制に属する側は、理屈抜きで強い恐怖と激しい嫉妬を覚えます。藤田は欧州画壇で商業的にも成功した唯一の日本人画家でしたし、フランスからもベルギーからも勲章を贈られ、アメリカにおいても中南米においても大成功、特にアルゼンチンの首都であるブエノスアイレスでは、6万人が個展に殺到、1万人の人が藤田のサインを求めて行列に並んだ、と言われているんですね。日本だけでしか認められない絵を描いている、無能な画家達の歯ぎしりする姿が目に浮かぶ様です。

藤田は、学界や財界、芸術や軍部(日露戦争の大功労者、児玉源太郎大将まで親戚なのには驚きます。)にまで及ぶ豪華絢爛たる閨閥の子として、将に銀の匙を持った子として生まれ、豊かで恵まれた家に育ち、多くの女性達から愛され、世界中で絵が認められ、何不自由無い人生だったと思われがちです。彼は生粋の日本人であり、心より祖国を愛していましたが、その日本だけが彼を決して受け入れなかったのでした(号泣)。先に挙げた凄まじいまでの嫉妬心と日本人の芸術に対する無理解、そして藤田は天才が故にそのネガティブな感情に気づかなかったのがその要因でしょう。

既に世界中で賞賛を浴びたその絵は、日本での展覧会では落選が続き、画集は発売されず、画商には絵や金まで盗られる程散々に騙されました。戦争中、身骨を砕きお国の為に描いた戦争画は、画壇から生贅とされ大批判を浴び、「日本陸軍に協力した」としてGHQから戦犯扱いを受けたのです。1955年、藤田はフランス国籍を取得、日本国籍を棄てます。翌年にカトリックの洗礼を受けレオナール・フジタとなり、1957年、フランスから藤田の絵画の芸術性を再度認められ、2度目の勲章を受賞しました。晩年の藤田はこう語っていたそうです。「私が日本を棄てたのでは無い。日本が私を棄てたのだ。」「お国の為に戦う一兵卒を同じ心境で書いたのに、何故非難されなければならないのか。」と。恐るべき事に、このお粗末な現状はいまだ変わりがありません。映画監督の今村昌平、北野武、黒澤明、俳優の三船敏郎が海外から受勲を受けており、日本国内より評価が高いんですよ。如何にドメスティックで田舎根性丸出しの卑しい姿勢なんでしょうか。

只、幸いな事に、藤田の生後125年が過ぎ、漸く彼の絵画が日本国内で認められつつあります。画集も発売され、その生涯を追ったドキュメンタリーや書籍も発売、本当に喜ばしい事です。僕、京都の国立近代美術館で、藤田の個展を漸く見る事が出来ました。その特徴である、乳白色の肌、と呼ばれた女性を描いた裸婦像を見る事が出来たんです。生まれて1世紀以上が過ぎ、やっと母国で認められるなんて…。その絵は藤田が経験した様々な修羅や葛藤や哀切を遥かに超越し、その純白は彼の高貴な精神性を宿したかの様に、誠に美しく、天上からの贈り物の様に思え、涙がこぼれました。藤田と言えば猫と女ですが、僕の近くに1枚だけ彼の絵があります。気落ちした時、哀しい時、寂しい時、彼の絵を見て、その苦難の人生を思えば、少々の嫌な事なんて平気の平左で耐えられる筈です。

よーし、元気が出てきましたよ!これから会議に行って来ます!
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