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古寺巡礼

あらし山 名所の橋の 初雪に 七人わたる 舞ごろもかな、いやァ、其れにしても厳寒の週末でしたねえ。読者の皆様、如何お過ごしでしたか!?僕、金曜日は忘年会があり、そして昨日は大分と福岡の県境、中津と謂う街で仏事があり、そしてとんぼ返りしてWOWOWでボクシング観戦と、何だか忙しないウィーク・エンドでした。明日は当院の忘年会ですしね、飲み過ぎと風邪には気を付けなくちゃ。

しかし、昨日の中津、雪が舞ってまして閉口したんですが、何せ土地勘が無いですからね。かなり早めに大分を出まして、早朝から中津市内を散策していました。余りの寒さに参りましたけれど、僕、どうしても調べたい事があったんですよ。と謂いますのも、此の中津って、人口僅か8万人の小都市ながら、慶應義塾の創始者福澤諭吉、「解体新書」の翻訳者前野良沢らの大学者を筆頭に、偉大な人物が、雲霞の様に続々と輩出されてますでしょ。例えば島田虎之助、幕末の剣術家ですけれど、彼は勝海舟の師匠であります。小幡英之助先生は、日本初の歯医者さんですよね。三井財閥のトップとなった朝吹英二に中上川彦次郎。数十社の会社を立ち上げた和田豊治。そして、福澤山脈とまで呼ばれた、数え切れない程多い、慶應義塾卒の優れたOB達。中津と謂う小都市が、日本の近代化に果たした役割が如何に大きいか、僕、福澤諭吉記念館に立ち寄り、今更ながら驚嘆しました。

さて、厳寒の中、人っ子一人居ない中津の街を、とぼとぼ歩いていたんですが、其れでも多くの発見がありました。先ずね、趣深い旧家ばかりでして、流石に風情がありましたねえ。今にもちょん髷姿の若い侍が歩いてきそうな雰囲気でした。そして、福澤諭吉記念館の直ぐ横に、増田宗太郎の生誕地もありまして、此れも吃驚でした。増田宗太郎と謂えば、福澤先生の遠戚であり、慶應ボーイ、そして帰省し、英語教師の傍ら、自由民権を訴えて中津の地で新聞を発行、そして西南戦争に参加して戦死した人物なんですね。其の記念碑から暫く歩きますと、大江医家資料館に村上医家資料館があり、何れも幕末期の優れたドクターなのですけれど、全てが本当に近い位置にあるんですね。又、人口の割には多くの古寺がありまして、恐らく寺子屋として、身分に隔たり無く、多くの子弟を教えていたのは間違いありません。うん、恐らく、向学心の強い土地柄であり、優れた若者達が切磋琢磨して刺激し合い、お互いがどんどん成長していったんじゃないかなァ。

でね、中津って、思いの外、非常に多くの人々の行き来があったんですよね。中津には薦神社と謂う、由緒正しい名刹がありまして、此処、全国八幡宮の総本山、宇佐神宮の元となった処なんです。薦神社のご神体は、珍しい事に池でありまして、此れ、古代の人工湖なんですよ。僕、かって此処にお参りした事があるんですが、此の人工湖は、古代中国の技術なんですって。ですから古代から、異国の民が行き来していたのでしょう。そして、中津から車で30分、耶馬渓には羅漢寺があります。此処、500体の羅漢様の石像と4000体の仏像があり、日本最古の物なんですね。此のお寺が開かれたのは645年、法道と謂うインドの仙人が来日して創建したと謂われています。そして羅漢寺のある耶馬渓は天下の名勝ですから、頼山陽を始めとした多くの文人墨客が来訪を重ねました。勿論、大昔から、一般の観光客も多く訪れたと謂います。中津から近い国東には、六郷満山と謂う寺院群がありまして、今は30幾つですが、かっては60を超していたんだとか。きっと、奈良や京都は勿論の事、全国から僧や山伏が集まり、修行していたに違いありません。

中世から近世にかけ、大分や福岡や山口の大名達が、此の中津の地を巡り、大争奪戦となりますから、其処でも多くの人達が行き来した事でしょう。江戸期になりまして、中津藩となるんですが、藩主がどんどん入れ替わるんですね。初代の小笠原家は信州の産。お次の黒田家は兵庫県から来ました。3代目の細川氏は京都。そして4代目の奥平家は愛知県。良い意味で血が混じり合ったと謂うのかなァ。僕、此れも感心したんですが、中津城って、こじんまりとしていて、とっても可愛いんですよ♡只、海や川や主要道路に非常に近く、海路や水路や陸路が活かせますから、恐らく、情報収集能力と商業力に長けた城だったのでしょう。

そして最後の藩主となった奥平家、此れが又、向学心が非常に旺盛でして、中津藩にしては大き過ぎる学校を建て、素晴らしい事に、侍以外でも入学は可能、農民や僧侶、商人に町人と、多くの人達が学んだそうです。そして此の奥平の殿様は蘭学、欧米の学問を推奨したんですね。殿様自ら長崎で洋書を大量購入、オランダ語を習得したってんですから、並みではありませんぜ。江戸にあった中津藩の屋敷は、総ガラス張りの部屋があり、欧米式の大砲を作り辞書を編纂、彼の有名なドクター、シーボルトと親友になったそうです。そして此の蘭学を藩士達にも奨励、其処で優秀なドクター達が多く輩出された訳ですね。

さてさて、縷々綴って来ましたけれど、此の中津の地は、古来より人の行き来が多く、良い意味で様々な血が入り混じったと。そして、中津藩となり、奥平の殿様になり、身分の分け隔て無く、様々な教育の機会を与えたと。其の自由な雰囲気の中、多くの若者達が切磋琢磨し育って行ったと。其の最高傑作が、福澤諭吉先生だった様に思えてなりません。

全くの僕の想像に過ぎませんけれど、此れ、当たらずとも遠からずじゃないかしらん。中津の様な小都市でも、日本史を変える程の偉人達を多く輩出出来るんですもの。地方だからと謂って、何も諦める必要はありませんよね!よおし、当院も、天下の慶應義塾に見習い、今後はより一層スタッフの教育に力を入れ、優秀な人達を多く育てなくては!うん、其れを肝に銘じて、寒いですけれど、今週も頑張るぞ~♪
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