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西海道談綺

おはようございます。まず、本ブログを開始して約8カ月になるんですが、今朝の時点で皆様から頂いた拍手数が1万を超えまして、心より感謝しておりますし、身に余る光栄でして、本当にありがとうございます!!本ブログは今後とも続けていく心算ですので、ご贔屓の程、何卒宜しくお願い致します。

皆様、三連休はいかがお過ごしでしたか?僕、連休中日の日曜日に仏事がありまして、早朝の高速バスに乗りまして、日田まで行って参りました。交通の便が宜しくなく、仏事の前後に相当時間が空いてしまったものですから、小旅行気分で観光もちょっぴりして来たんですね。では本日のお話は、天領の町、日田紀行と洒落て参りましょう。

まず、以前より気になっていました、「日田シネマテーク・リベルテ」というミニ・シアター、フランス語を直訳しますと「自由なフィルムライブラリー」で良いのかな、そちらにお邪魔しまして、到着早々映画鑑賞です。古びたボウリング場に隣接しているこのシアター、ポスターやチラシが所狭しと貼られた階段を上りますと、映画関連の書籍やCD、雑貨や絵葉書に陶芸品、ちゃんとした珈琲に紅茶に軽食等々が売ってあり、中々お洒落な雰囲気です。こうして休日に、誰も知らない土地の鄙びた映画館で一時を過ごすなんて、何て贅沢な時間の使い方でしょう。僕、挽き立ての珈琲を飲みながら、70席の劇場で只一人、「東京公園」なる作品を鑑賞しました。とても二枚目の三浦春馬君が主人公、榮倉奈々、小西真奈美、井川遥といった美人女優達がヒロイン、高橋洋、染谷将太、宇梶剛士といった面々が脇を固めたこの作品、う~ん、正直僕の好みではありませんでした…。あの~、タイトルに「東京公園」と銘打っているので少々嫌な予感がしたのですが、「東京~」って題名、故小津安二郎監督がよく付けるんですよ。世界中で知られた「東京物語」を筆頭に「東京暮色」「東京の女」「「東京の宿」などがありますし、もしかして小津監督の有名な手法、低いポジションからのフィックス(固定)したアングルを多用し登場人物をバストアップで撮影し、直ぐに切り返す撮り方をしてるんじゃないかな、と不安は募ったんですが、案の定何度も何度もやってました…。まあ、それは世界の小津監督をリスペクト(あんまり好きな言葉じゃありません、尊敬してますで良いですよね。)してオマージュ(敬意を払うという意味、これも嫌いな言葉です。)を捧げる、という事ならば分からんではありません。音楽はまあ普通、撮影も演出もあんなもの、脚本は草食系男子を描いていて、僕の好みではありませんが、現代風なのかもしれません。酷いのは役者さんの大根演技です。三浦君の素敵な容姿も最初は良かったのですが、あんまり下手な演技を2時間近く見せられると嫌になりますし、メインの相手役の榮倉さんの演技も赤面モノ、ヨーロッパの様に国立大学でシェークスピアの舞台から勉強するシステムが無いと、邦画の前途は真っ暗ですね。邦画のポテンシャルそのものはある筈ですから、残念な一本でした。でも劇場の雰囲気は悪くないですよ、皆さん、日田にお立ち寄りの際、是非寄られてみては如何でしょうか。

さて、仏事を済ませまして、強烈な日差しの中、アイスキャンデーを舐めながら、向かうはやはり豆田町に咸宜園であります。この日田の街、1世紀頃の鏡が発見され、3世紀末と思われる時代の大豪族の館の遺跡が出土し、風土記にも記述がある事から、古代から開けていた事が分かりますね。豊臣秀吉の時代から何百年間も、時の政府の直轄地となった事からも分かる様に、水豊かにして米が多く取れ、山や川の幸に恵まれ、木材には事欠かず輸送には河川が多くあり、九州の真ん中に位置し交通の要所を占め、九州全域の湯治客が多い事から情報も容易に集積し易く、軍事的には九州全域に兵を出し易く、大商人が多い事から経済力もあり、海外の窓口である長崎にも貿易の主要地でもある博多にも割と近く、重視されたのも頷けます。日田の商人達は、所謂大名貸しという、殿様にお金を貸し金利を得る事から莫大な利益を得ていました。日田は天領ですから、もし殿様が日田の商人から借りたお金を踏み倒した、なんて事(こういう酷い話はとても多いんです)になりますと、将軍の耳に直接届き、即刻お家取り潰しとなりますから、どんなに苦しくても金利が高くても必ず支払ったと言います。通称、「日田金」と呼ばれるそのお金は、商人達によって様々な分野でスポンサーとなり蕩尽され、文化となり、平成の今も残っています。芸者衆との遊びである屋形船の鵜飼いや、今も残る豪奢な雛祭り人形や、400年以上続く重要無形文化財の日田祇園祭や、小鹿田焼といった陶芸品、初夏に開かれる花火大会、今も数多くある酒造、有名ところでは薫長や老松ですか、ここら辺も商人達の庇護を受けていたのは間違いないでしょうし、その名残が、今でも多くある呉服店でしょう。町の規模を考えると、成り立つのかなあ、というぐらい呉服店が多くあります。そうそう、松本清張先生の大傑作であり、彼が書いた中では最も長い傑作小説、男女の暗い情念、隠し金山、幕府と商人の暗躍に宇佐山岳信仰と様々な要素が盛り沢山の「西海道談綺」はこの日田が舞台なんですよ。これも是非ご一読をお勧めします。

暑い中、今も尚風情を残す、日田商人達の栄華の原点である豆田町で、蕎麦と湯引きした鰻を頂きまして、仏事の後でしたから、麦酒は必死で我慢しまして、暫し散策しました。湯布院の様に俗化されていないのが良い所、やや曲がった道路は旧城下町ではよく見られる枡形造りでして、わざと見通しを悪くし、侵入者の距離感を狂わせたり、敵を待ち伏せする為と言われているもの、いずれ本ブログでも触れると思いますが、僕、長州藩の本拠地であります、日本海に面した静かで美しい街、山口県は萩市を懐かしく思い出しました。

食後は、幕末の大儒学者、広瀬淡窓が設立した咸宜園を見学しました。この咸宜園、約250年続いた江戸時代の中でも最大級の私塾でして、入門者は約5000人、著名な門下生としては、天才蘭学者の高野長英、日本陸軍の創始者の1人である大村益次郎、日本初のカメラマン上野彦馬、総理となった清浦圭吾らが有名ですし、画家に歌人に大臣に学者に県知事に多数の議員を輩出し、その他幕末維新史を彩る人間群像の中で、この私塾を知らない者はいなかったと思います。そして、なにより素晴らしく特筆大書すべき事は、咸宜園では、儒学といった中国の学問だけで無く、数学や天文学、医学、語学まで学べたという事に加え、入学金を納めて必要事項を記入さえすれば、身分・出身・年齢・性別を問わず誰でも平等に学べた事です。士農工商といった身分差別が極めて厳しかったこの時代に、考えられない先進性であり奇跡であり、この塾そのものが、江戸幕府という古めかしい存在を否定していた様に思います。

様々な感慨を覚えつつ、豊かな黄金色に実った日田の水田を見ながら、高速バスで帰途についたのですが、戻ってから気分を台無しにしたのが、野田首相でした。ニュースを見てましたら、野田サン、稲刈りをしてパフォーマンス三昧、農家に出資を行うファンドを創立する、などとのたまってましたが、大変申し訳ありませんが、その政策は大きく間違えています。ファンド(出資金を集める)的な様なやり方は、農業にそぐわず、日本の農家は、欧米のハゲタカの様な投資家達に徹底的に利用され尽くすだろうと言う事ぐらい直ぐに分かります。サブプライムにせよヘッジファンドにせよ、もう散々痛い目にあったでしょうよ!大体、アメリカの様な、セスナ機を使って農薬を散布する様な大規模農家と、日本の様な家族経営の農家では、土地の広さから係わる人数から違いすぎて、同一視出来ないのは当たり前でしょう。それも分からず官僚の言いなりなんて、やっぱり野田サン、大○○と思います。

最後は嫌な話になりましたが、我流日田紀行、いかがでしたでしょうか?
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