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虎狩りの殿様

帰命無量寿如来、南無不可思議光、昨日は亡父の13回忌でして、僕、お寺に行って来ました。ついつい、何時もの癖でお焼香の量が多過ぎてしまい、坊さんが咳き込んでましたけれど、其れにしても光陰矢の如しと申しますか、邯鄲の夢と謂いますか、時が経つのは本当に早いと痛感しました。息子が謂うのは変かもしれませんが、亡父は豪快な人柄でして、他人様の5倍は仕事をしたと思います。中々の名医だった事は間違い無い様で、多くの患者様に慕われていたのは、息子としても鼻が高いです。本人曰く、学生時代から神童と呼ばれた由、「合格間違い無しと太鼓判を押されて、東大医学部を2回受けたんだが、其の時に限って高熱が出てなァ…。」、此れが口癖でしたが、其れはまァご愛嬌、でもね、昼夜を問わず、回診に手術に診察と、八面六臂の大活躍でしたけれど、其の反動なんですかねえ…。非常に女性が大好きでして、其れが玉に瑕、またねえ、亡母が滅法気が強い人でしたから、浮気がバレては喧嘩ばかりしてました。だって僕、幼稚園の時、度重なる浮気にキレた母が、父の頭にジュースをかけて往復ビンタする事件がありましたもの。僕、寝ぼけ眼のまま、母に手を引かれ、寝間着姿で屋根を走りまして、其のままビジネスホテルへと遁走した事がありましたっけ。でもこんなのは氷山の一角、いやはや何とも、凄い家庭ではありました。其の亡父は、香港に女性を沢山集めたクラブを造ろうとするなど、ぶっ飛んだ行動が多かったんですが、食生活においては、超保守的でした。だって、1年365日、大根のお味噌汁と白菜のお漬物が常備されているんですよ。常に其ればかり食べていまして、ですから僕、大根のお味噌汁は一生分食べた気がします。

でね、昨日の拙ブログで、名古屋の食文化について触れました。彼の地の食は、亡父と異なりまして、妙に無国籍でアナーキー、台湾ラーメンにインディアンスパゲッティ、小倉トーストにひつまぶしと、かなり独特ですよね。でね、今朝、朝日新聞を読んでましたら、メキシコ寿司ってあるんですって。お店は静岡なんですが、大将は名古屋のご出身でして、ソンブレロを被って、アボガドや焼いた豚肉入りの寿司を握ってまして、うう~ん、凄いなァ…。大将はメキシコで寿司を提供している際、色々と料理をアレンジ、帰国して開店したそうなんですが、お寿司屋さんで、テキーラにタコスが出るんですから、驚きました。

僕、何故名古屋の地で、どうしてこんなにハイブリッド料理が出るのか、昨日、じっくり考えたんですよ。先ずね、地形的な要素は大きいと思います。陸路では東海道によって、東京大阪京都と繋がりますよね。海路では伊勢志摩に行けますし、古来から商品流通の要所でありました。ですから、大昔から東西の食文化が混在していたのではないかと。お隣の岐阜県では、同じ県内なのに、京都の名産の鯖寿司と、名古屋名物の稲荷寿司が、共に盛んに造られてますもんね。お正月のお雑煮も、東日本の角餅と、西日本の丸餅が混在しています。多くの人々が行き来しますから、自然と好奇心旺盛になったでしょうし、僕、新奇な物を好む県民性があると思うんですよね。

名古屋が産んだ三英傑と謂えば、皆様ご存じの、織田信長公・豊臣秀吉公・徳川家康公ですよね。此のお三方、かなりハイカラな食生活でして、先ずは信長公ですけれど、戦の前にはステーキとワインを召し上がっていた由、此れ、今から500年前ですよ!?大体、信長公が命名した岐阜と謂う名も、此れは元々中国の言葉である、「岐山」と「曲阜」を組み合わせた造語なんですね。今ならばそうですねえ、宮崎のシーガイアの様な命名でありましょう。ほら、シーは英語の海、ガイアはギリシャの大地の女神、此れをくっ付けてシーガイアですもんね。そして秀吉公ですけれど、大阪の地にワイナリーを造っていた程のワイン好き、そしてね、有名なのが「太閤スープ」なんですよ。此れ、秀吉公のオリジナルと思われるんですが、鳥ガラに手羽に豚骨、ニンニクに葱に人参、生姜に椎茸に山椒等々、何種類もの食材を半日煮込むんだとか。此れ、黄金色に仕上がるそうで、うう~ん一度作ってみようかな!?家康公は、スペインから贈られたシェリー酒やオリーブを好んだ由ですし、天婦羅にニンニクをかけて食べていたそうです。興味深いのは家康公、時計のコレクターだったそうで、日時計から目覚ましから砂時計から南蛮や唐の物から、幾つも所有していた由、何れにせよ、三英傑は非常に好奇心旺盛であり、新しい物が大好きだったのは間違い無いでしょう。

そして、徳川幕府が開かれ、名古屋の地は尾張藩の領地となります。此の尾張藩も、其の新し物好きの血を引いてまして、例えば3代目藩主の徳川綱誠公の死因って、当時オランダから輸入したばかりのイチゴの食中毒ですよ。恐らく、オランダ~長崎の出島~名古屋へと運ばれ、そして栽培されたイチゴを食べたんでしょうねえ。7代目藩主の宗春公は、自らがファッション・リーダーとなり街中を気軽に出歩き、しかも江戸期に死刑を廃止、身分制度の時代に其の壁を超え、庶民ともフランクな付き合いを重ねたそうで、こりゃあ当時にしては相当ラディカルだったと思いますねえ。そして19代目当主の義親公、此の方も相当ぶっ飛んでます。植物学者兼生物学者として研究所を設立、其の傍ら、様々な社会運動家のパトロンとなり、余暇には北海道で熊狩り、マレー半島で虎狩りと、ハンターの一面もありました。世界各国を漫遊し多くの言葉に精通、貴族院議員であり多くの著作があるんですね。義親公の死後、研究所は民間企業が引き継ぐのですけれど、其れが今のヤクルトであります。

でね、今に至るんですが、我が国で初めて、トマトやキャベツを栽培したのが名古屋なんですね。トマトが日本に渡ったのは明治期でして、当時は食べ物では無く、観賞用だったとか。其れを食用にするってんですから、名古屋人の先取の精神には恐れ入ります。彼の有名なカゴメの創立者は蟹江一太郎さんと謂う名古屋人、ですから本社は今でも名古屋なんです。そしてね、日本三大珍味の1つに、このわたってありますよね。ナマコの腸の塩辛でして、お酒のつまみにぴったりですけれど、食用にしようとは中々思い付きませんぜ。其のこのわたの発祥の地が名古屋でして、先の尾張藩が、毎年将軍に献上していました。

さてさて、縷々綴って来ましたけれど、名古屋の新奇な食文化の謎、どうやら解けた気がします。其れは、強い好奇心であり、新種果敢な精神であり、其れが様々な料理へのアレンジメントに繋がっているのではないでしょうか。やっぱりねえ、信長公秀吉公家康公が輩出されただけの事はある、そう思えてなりません。は~あ、早朝から書き続けていたら、朝ご飯食べたのにお腹が減って来ました。ううん、こちらも名古屋発祥のコメダ珈琲にでも行って、モーニングでも食べて来ようかしらん!?
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