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☃ 雪の瀬川 ☃

冬なれば 2つの年の 渡し船、てな事を申しますけれど、落葉松に 11月の 来てゐたり、もう今日から霜月、其れにしても寒くなりました。此れがもう少し時が経ちますてえと、お偉いさんまでもが矢鱈と走り出しまして師走、こりゃ炬燵でも出しませんと、とても冬を乗り切れませんな。此の炬燵、男女が共に暖を取る様子が浮世絵なぞで良く見られます。置き炬燵の上には猫が1匹、外はちらちら雪景色、人肌の燗酒を酌み交わしまして、何やら良い雰囲気でございます。「お前さんは本当に可愛いよ」、男の方が小さくつぶやいたりして、此れ、猫に謂ってるのか女性に謂ってるのかちっとも分かりませんで、此の曖昧さこそ、将に色男でございましょう。空き手では 炬燵の上の 猫を撫で、あたくしなんぞにはとても出来ない技でして、ああ羨ましいったら羨ましい。

ご挨拶が遅れまして久方振りの高座、あたくしも少々緊張しておりますが、どうか最後までごゆるりとお楽しみ下さいませ。えっ、もう拍手は結構でございます。本当に結構なんですから、そんなに喜んで頂けるなら、少々御足を頂けると、もっと声が出ますが、其れは悪い冗談、しかしまァ、あたくしが見る処、今業平、当代きっての色男と申しますと、アメリカで目にも止まらぬ球を放ってます、ダルビッシュ投手でしょうなァ。彼は今、全米で大絶賛を浴びてまして、謂えね、敵のチームの打者が、ダルビッシュ君からホームランを打ったと。そしてベンチに戻りまして、両手で目を引っ張り、揶揄したんですな。其れが全米に生放送された訳です。ダルビッシュ君は日本とイランのハーフですから、欧米人に較べれば目が細い訳でござんして、小馬鹿にした訳です。幼稚ですなァ。あちらでは差別問題は大変シリアスでして、大問題になるんですが、あたくし、感心しましたのはダルビッシュ君の態度でした。怒っても当然なのですけれど、ダルビッシュ君、「此の世界に生まれた人で完璧な人は居ません。僕もそうだし、彼もそう。今聞いているあなたもそうでしょう。今回の事で彼もそうですけど、全世界の人が学んで、人として1歩前に進めたら、結果的に良い事になると思います。彼を責めるより、此れを色々な事を学べる機会にしましょう。怒りでは無く、前に進みましょう。皆さんの大きな愛に期待しています。」、こんな立派な日本男児、武士の末裔が未だ居たのかとあたくし、結構泣いてしまいました。

全米、いえ、全世界が称賛の嵐だったそうでして、同じ日本人として誇りに思います。あたくし、只の素人ですが、野球と謂うスポーツをこよなく愛しておりまして、偶にバッティング・センターに行っても空を切るばかりなんですが、ダルビッシュ君の投げる試合は、彼が高校生の時分から観ていました。当時はねえ、はっきり申し上げて、こんな風になるとは思ってもいませんでしたねェ。正直、問題児でありまして、審判に文句を付けるわ、未成年で喫煙しパチンコ屋通い、女性達とも散々浮名を流していたんですな。しかし、男子三日会わざれば括目して見よ、様々な経験が彼を大きく変えたんですな。大阪で生まれ仙台で野球修行、プロ入り後は北海道でプレー、そして日本代表として北京五輪に出場、WBCでは世界一の座に輝きました。渡米後はテキサスとロサンジェルスでエースとして君臨、きっと彼は、多くの人と会い、色々な経験をし、様々な場所に住み、其れを血肉とし、真の侍として大成したのでしょう。好漢ダルビッシュ君に幸あれでして、あたくしの見る処、少々悪さをした男の子の方が、後々物になる気がするんですな。

時は元禄、華のお江戸の八百八町、浅草橋のたもと、さる大店の息子に、達と謂う若者がおりました。此の達、真面目一辺倒でありまして、朝まだきから逢魔が時まで、兎に角本を手放さないんですな。勉学に勤しむ日々でして、誠に結構なんですが、其れでは身体を壊しちまうと、心配した親父、手慣れた番頭を付けまして、「偶には散歩でもしておいで」と無理矢理、家から出しました。瓦町、蔵前、黒船町と廻りまして、そして風神雷神の雷門、日頃出歩かない達、すっかり疲れ果てたんですな。「番頭さん、お茶でもどうだい。」「若旦那、もう少しだけ、浅草寺の裏まで歩きませんか。」「もうとても歩けねえよ。」「いえいえ、其処なら綺麗処が、お茶では無くて、おちゃけを出してくれますぜ。此れも社会勉強だ。」、てな按配でして、左手の見返り柳を愛でながら、大門をくぐりますてえと、其処が吉原であります。

お茶屋で一服しながら花魁を待つ事暫し、すると幇間に禿に新造を先頭に、するすると襖が開きます。其処に立って居ますのが、吉原きっての瀬川太夫でありました。鮮やかな金襴緞子の帯、裾の長い豪奢な打掛、珊瑚の簪に銀細工の笄に鼈甲の櫛、豊かな緑の黒髪は文金高島田、すり足でつつしまやかな所作、口はお歯黒、滑らかな白い肌は真珠の様、目元にはぞっとする程の色気と柳腰、もう達は口を開けたまま、即ち一目惚れでありました。此の瀬川太夫、こういう仕事をしながらも、教養豊かで素直、かつ人情味溢れた性格でして、達はすっかり入れあげちゃったんですな。其れも無理はありませんで、今までは勉学ばかりに励んでいた、世間知らずの若旦那でして、未だ二十歳になったばかり、其れがいきなり柳暗花明の巷を知っちゃあ、こりゃあ中々抜けられせんぜ。寝ても覚めても瀬川太夫に逢いたい一心の達、何とまァ半年間通い続けまして、使ったお金は700両と謂いますから、今ならば6000万、とうとう勘当されてしまいました。

さてさて、行き場を失った達、いっそ死のうかと永代橋でぼんやり佇んでいますと、其処で出会いましたのが、かって自分の店の丁稚だった忠三でありました。「若旦那、お久しぶりで…。懐かしゅうございます…。」と手に手を取って涙涙の両人でしたが、其処で忠三、急に真顔になったんですな。「若旦那、今回の顛末は知ってまさあ。大の男がこんな事じゃいけねえや。見れば今日の住まいも無いご様子。どうです、生まれ変わった気になって、うちで働いてみませんか。」何せ行き場も無い訳ですから、否も応もありません。達が付いて行った先は、貧乏な紙くず屋でして、其処で働く事になったんですな。今まではぶ厚い蒲団で寝ていた達も、隙間風が吹くあばら家で、むしろを被って寒さをしのぐ有り様、紙くずを拾い歩けば子供からも馬鹿にされ、三度の食事にも事欠く程、達は、此処で初めて浮世の辛さを知ったんですな。

当時の江戸の街は全てリサイクルの社会でして、紙くずも、川で綺麗に洗って漉き直すんですな。そして又使う訳でござんして、今でも浅草には、「紙洗橋」がございます。どんな仕事でも熱心にやれば必ずや良い事があるもの、達は元々お坊ちゃんですから育ちの良さと愛嬌があり、そして読書好きだった教養がお客に受け、得意先が増え、何時しか紙くず屋では頭角を表す様になりました。生活が落ち着きますてえと、其れに付けても想い出すのが愛しい瀬川太夫、しかしもう5年の月日が流れていました。或る夜、達は思い切って瀬川太夫に手紙をしたためるんですな。「兎に角1度、会ってくんねえか」、只此れだけの文でしたが、其れを見た瀬川太夫、達は死んだものと思ってまして、眠れない程興奮し、其の返事は、「大雪の日の真夜中に逢いに行きます」。此れ、当時の吉原は、太夫は決して外出出来ない仕組みなんですな。足抜けと申しまして大変な重罪、下手をすれば死罪であります。瀬川太夫も中々の知恵者、大雪の日の真夜中なら、監視の目も緩むと謂う訳です。

しんしんと積もる大雪の夜、凍てつく様な寒さの中、達のあばら家に駕籠が止まりました。燃える様な深紅の縮緬の長襦袢、黒塗りの三枚歯の高下駄、そして頭巾を取りますと、2人が初めて会った時と同じ珊瑚の簪、「もし、此処は達様のお宅でありんすか」、其の声を聞いた達、此れは夢か現か幻か、余りの驚きで転んでしまいまして、「あ~イタイ!」「私もアイタかった」。手に手を取って話は尽きず、此れまた驚いた事に、達の実家の大店が、父が長患いの為、すっかり左前になっていたんですな。今更合わす顔も無いと渋る達でしたが、瀬川太夫、「何を謂ってるんだい。お家の大事じゃありませんか。見ればお前さんも随分と苦労した様子。此処で助け合うのが親子ってもんだろ。頭を下げて謝って、そして親父さんを助けておやりよ。そしてもし、あたしの様な者で良かったら、手伝わせておくれよ。」

久方振りの対面となった親子、涙の再会を果たし、達も昼夜を厭わず必死で頑張るんですな。其れを陰に陽に支えたのが勿論瀬川太夫でございました。やがてお家も元の繁盛を取戻し、♪高砂屋 この浦舟に 帆を上げて♪、目出度く2人は結ばれましたと聴いております…。故三遊亭円生師匠の十八番、「雪の瀬川」の一席でございました。ありがとうございました。ありがとうございました。長々とお付き合い頂きありがとうございました。其れでは又明日、此の高座でお会いしましょう。
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