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♨ 幾筋か 湯けむり立てる 青き谷 朝のくもりに しづまりて見ゆ ♨

皆様、週末は如何お過ごしでしたか!?僕、殆ど犬の世話に追われまして、昼夜の境無く散歩をねだられるものですから、酔眼朦朧としながら、人犬一体となって住宅街を彷徨う始末、何だか時間の感覚が変になりました。其の所為か、首を寝違えた感じ、痛くて仕方がありませんで、もう大変なんすから。其れでも忙中閑ありと申しますか、土曜の夜は、ソフトバンクVS楽天のナイターを観ていまして、試合前に国家独唱があったのですけれど、歌い手は、那珂川仁美さんと謂う、博多の演歌歌手の方でした。いやァ、嬉しかったなァ。と申しますのも此の那珂川さん、流しで頑張っておられるんですが、かって当院で2度程唄って頂いた事があるんですよね。患者様やドクターから、中々評判が良く、其の後どうしてるのかなァと思っていましたら、此の晴れ舞台に大抜擢でしょ。福岡ドームは超満員、恐らく4万くは入っていたでしょうから、其の場でアカペラで独りで唄うなんて、本当に大したもんです。何にせよ、当院と関わりのある方が頑張っている姿って、何だか嬉しくなります♪

其の那珂川さんの歌に感化された訳でも無いんですが、僕、此の土日、犬の散歩の間は、ハイボール片手に、ずうっとYOUTUBEで、昔の演歌を観ていました。でね、本当に吃驚したんですが、若かりし頃のサブちゃん、北島三郎って、滅茶苦茶に歌が上手いんですねえ♪感心しました。其の音域の広さ、声量、艶、今更こういう事を謂うのはおかしいんですが、流石に超一流ですねえ。でね、此れまた驚いたんですが、其のステージング、衣装、打楽器のちょっとしたアレンジ、鼻の穴の大きさ、最後は冗談ですけれど、まるで、古のソウル・ミュージックを彷彿とさせるんですよ。かって、1960年代、サム・クックと謂う伝説の黒人ソウルシンガーが居たんですが、サブちゃん、其の彼に勝るとも劣らない迫力でした。読者の皆様、お時間がある際に、是非是非「函館の女」をYOUTUBEでご覧下さい。若かりし頃のサブちゃんが上下デニムでキメているヴァージョンです。でね、他の歌も観たんですが、臙脂のレザー・ジャケットとパンツでキメてたり、水玉の紫のスーツに蛍光色のYシャツとタイって、サブちゃん、センスが黒人ですよ!

僕、ついでに当時の歌手をまとめて観たんです。皆さん、異形の者達と申しますか、宮史郎は凄い髪型で髭を生やし、ハスキーでパンチの利いた声で女心を唄ってますし、中条きよしはジゴロの匂いがし、増位山なんて元大関の関取が、巨体で切々と夜の世界を唄ってんですもん。昭和だなァと痛感したんですが、花街と申しますか柳暗花明の巷を唄った艶っぽい歌ばかりでして、大川栄作なんて、♪愛しても愛しても人の妻 赤く咲いても冬の花♪って、凄い歌詞…。凄いと謂えば「殿さまキングス」って、どんだけ偉いんだと謂う、ぶっ飛んだネーミングですよね。其れはさておき、「奥飛騨慕情」と謂う曲がありまして、大ヒットしたんですが、此れ、温泉街を唄った物でして、♪湯の香恋しい奥飛騨路 君は出で湯のネオン花♪と謂うフレーズがあります。いえね、僕、先日の台風の際、思い切り転びまして左膝を負傷、まだ痛むものですから、温泉に浸かりたくて仕方が無いんですよ♨そう謂えば先週、当院のスタッフの皆さんも、職員旅行で別府に行かれましたもんね♨

出湯から 首ばかり出して 雪見かな、さて此の温泉、僕、日本人とは切っても切れない深い縁がある様に思います。謂えね、此の間本を読んでいて、ははァと膝を打ったんですが、ほら、此の島国には、先ず土着の縄文人が居て、北方や南方、中国大陸から三々五々、人が集い、大和朝廷が出来ましたでしょ。此れ、他の国ですと大概、戦が起きるんですよ。ところが到って平和裏に、移民の皆さんも此の国に溶け込んだ訳で、其れは温泉にあったのでは、と謂う説が書かれていました。当時は混浴ですし、服を着て温泉に入る馬鹿もおらず、将に裸の付き合いな訳で、一気に距離が縮まり、仲良くなれたのでは、との事でした。此れ、物証がありまして、松山の道後温泉に隣接する遺跡があり、其処では縄文式と弥生式の土器が混在しているとか。又、700年代に編まれた風土記においても、老若男女が毎日毎日温泉に集うと謂う記述があります。かって、平安期には、世界各地から来る外交使節を接待する、宿泊施設がありました。其の名は鴻臚館、福岡の大宰府にあったんですが、此処、温泉がちゃんとありますもんね。又、本邦初の幕府を開いた源頼朝も、鎌倉において、法要の為住民1万人を温泉に招待したと謂う記録があります。

座敷から 湯に飛び入るや 初時雨、武田信玄公も上杉謙信公も、戦場では龍虎合打つ好敵手でしたが、互いに隠し湯を幾つも持っていた程の温泉好きでしょ。信長公、秀吉公、家康公、皆さん温泉を好みました。此れ、文明開化になっても同様でして、当時の文人は、漱石を筆頭に大の温泉好きでしょ。NHKでドラマ化された、織田作之助の名作「夫婦善哉」でも、主人公のカップルは流れ流れて、別府の流川の温泉街に辿り着きますもんね。「蒲団」で有名な田山花袋、彼は温泉ルポライターとしても有名でして、「温泉めぐり」と謂う名著があります。其の一節に、「しかし何と言っても、温泉は別府だ。九州ばかりではない。別府に比べたら、伊豆の熱海や伊東などは殆ど言うに足りない。城崎が好いとか、道後が好いとか、有馬が好いとか言うけれど、一度別府に入ると、そうした温泉なぞは何でもなくなってしまう。その地形はイタリアに似て、南国的で、色彩は濃やかに、海の碧く鮮やかに、いかにも旅に来た気がする。」とあります。流石にビビッドな文章でして、地元民としては、文豪から此処まで礼讃されると面映ゆい気もしますけれど、花袋先生、別府芸者にでも入れあげてたんじゃないかしらん。でね、大正から昭和にかけ、別府の海岸で砂湯が始まり、海外からの観光客も大勢集まったとか。僕、偶々当時の記録を読んだのですけれど、インウッドと謂う外国人男性が、別府に来た際の感想を残しているんですね。「別府の砂湯では、画の様な日本婦人の裸体美を心ゆくまで眺める事が出来ました。日本婦人は誠に美しいと思いました。日本婦人が砂湯の波打ち際に立った夢の様な風情は、豊後湾の景観と相まって、何ともたとえようのないものでした。」って、温泉の感想は何も無いのかと思いますけれど、世の東西を問わず、男は助平だなあ…。

春風に 猿も親子の 湯治かな、明治維新の英傑達も、山口の湯田温泉で共に湯に浸かり、幕府を倒す盟約を結んだとか。僕もかって其処に泊まりまして、西郷南洲翁や高杉晋作公と同じ湯に入り、何だか良い気分でした。古来から温泉は、上記の鴻臚館の様に、先の明治維新の様に、外交の場としても使われて来た訳です。実際、去年でしたっけ、プーチン大統領が来日した際も、泊まったのは山口の温泉旅館でしたもんね。

閑話休題、其の温泉好きの戦国大名の1人に、奥州の雄、伊達政宗公が居ます。政宗公、領地内の温泉でしょっちゅう入湯していた様なんですね。時にはお気に入りの家臣だけを連れ、お忍びで泊まる事も多々あったとか。そして、恐らく其の温泉の中で、人目を避け、共に練られたであろう、秘密計画があったんですね。政宗公が生きていた当時、豊臣家は滅んでおらず、徳川家の世とはとても謂えない状況でした。天下を取りたかった政宗公の秘策、其れは、当時世界一の実力を誇ったスペインを味方に付け、其の大艦隊の力を借りて、豊臣家も徳川家もやっつけようと謂う大博打でした。実際、政宗公は当時禁制だったキリシタンを領内に沢山匿ったり、外国人女性を側室にしたり、宣教師を盛んに招いたり、怪し過ぎる行動が非常に多かったんですよ。此の説、以前の拙ブログでもご紹介したのですけれど、何せ物証がありませんから、想像でしか無かったんですよね。

ところが奇特な方も居たものでして、大泉光一先生と謂う日本大学教授であり博士なんですが、此の研究に身を捧げて半世紀、何度もバチカンまで飛び、バチカン機密図書館に日参、400年前の古典ラテン語で書かれた、当時の秘密文書を解読しちゃったんですよ。そうしましたら案の定、政宗公の使者とローマ法王側の、緊迫したやり取りが残されていました。どうやら、政宗公がクリスチャンならば、スペインは協力する事は間違い無かった様でした。でも、当時の日本でクリスチャンを名乗るのは、世間の目が非常に難しく、政宗公の野望は実らなかったんですねえ…。当時のスペイン艦隊は正しく世界最強、当時日本には無かった大砲を積んだ130隻の軍艦を擁していたんですね。此の大艦隊が、政宗公と組んで徳川家康と戦っていれば、日本史は大きく変わっていたかもしれません。でもねえ、政宗公が歴史に残る名将である事は確かですけれど、外国と組んで本国を支配するってのは流石に無理筋、邪道かなァ。実際、「アルマダ」、無敵艦隊と呼ばれたスペイン海軍も、其の後、新興のイギリス海軍に大惨敗を喫しましたもんね。しかし、政宗公がクリスチャンだったら、此の国はキリスト教国になった可能性もある訳で、そうならなくて本当に良かったと思います。

よし、当院は温泉が湧くのが自慢なんですが、僕、随分筋肉が張ってますし、今日は仕事終わりに湯に浸かって帰ろうかな~♨其れでは皆様、今週も拙ブログをご贔屓の程、何卒宜しくお願い致しますm(__)m。
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