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desperado

読者の皆様、おはようございます。昨日は朝から北のミサイルが飛び交い、夜には大分空港に米軍のオスプレイが緊急着陸、何だかえらく物騒ですけれど、人様の庭先で揉めてんじゃねえよ。これじゃあ商売上がったり、喧嘩するなら他所でやっとくれ、はた迷惑でありまして、虎に翼とはよく謂ったもの、アメリカも北朝鮮も、チキン・レースの様相を呈していまして、両国の指導者のメンタリティは、そう変わらないんじゃないかしらん。親友のMさんが酔っ払って謂いますのが、「男なら相撲をとって其れでケリを付けてお終いでしょう」なんですが、トランプも金も、いっその事土俵で勝負すれば良いのに。負けた方が謂う事を聞く大一番、相当な視聴率になると思いますよ~。今のはあくまで冗談ではありますが、古代マヤ文明では、シリアスな揉め事は、スポーツで決着を付ける事もあったとか。1つのボールを、膝や肘だけでパスして行くゲームだった由、負けた側のキャプテンは生贄、とんでもないルールですよね。でもね、此れ、一説に依れば、部族間で対立が起きた時、戦になれば、共に大変な被害が出ますよね。其れでは誰も得をしませんから、代表者を出してゲームを行い、決着を付けると。犠牲者は1人で済む訳で、うう~ん、此れ、過酷ですけれど、良いアイディアかも!?因みに此のゲームの出場者は、王侯貴族の人達だったそうで、偉い人も楽じゃありませんぜ…。

閑話休題、物騒な人様の世界とは違い、平和で良いなァと感じましたのが奈良の鹿さん達でして、午後の下がった時間帯になりますと三々五々、夕涼みに集まるんだとか。奈良国立博物館の前の芝生には、100頭を超す鹿が集まる由、此れ、どうやら此の近くに換気口や通風孔があり、冷気が流れているんだとか。僕、幼い頃に1度だけ奈良に行きましたけれど、彼の地は盆地ですからねえ、相当暑かった記憶があります。おくやまに 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき、猿丸太夫の句ですけれど、実は此の鹿、日本人とは合縁奇縁、切っても切れない深い仲でした。鹿の埴輪が出土していますけれど、古代の日本人にとって、貴重な蛋白源でして、肉や内臓は勿論の事、脳や骨髄までも食していたとか。骨や角は装飾品や釣り具として広く使われており、稲作が始まる頃になりますと、霊獣として、田植えの時期に鹿を捧げていたそうです。成程、だから奈良の春日大社を筆頭に、鹿が居る神社が点在しているんですね~。こんな事を書くと叱られちゃいそうですが、うちの愛犬のコロちゃん、エゾジカのジャーキーが大好物でして、目の色を変えてかぶりついてますもんね。僕、滅多に食べる機会はありませんが、前々回の東京出張の折、麻布十番でしたか、所謂ジビエ、久方振りに鹿肉を頂きまして、舌鼓を打ちました。殆ど臭みも癖も無く、脂肪の無いしっかりとした赤身でして、其れでいながらさっぱりとした味わい、うん、幾らでも食べられそう!そうそう、合うのは矢張り、重めの赤ワインでして、ブルゴーニュよりボルドーと謂った雰囲気でありました。思いの外、シャンパンやバーボンも合うかもしれませんね~。

さて、其の鹿さん、様々な用途として使われた立派な角ですが、最も有名で目立つのは、やっぱり兜かなァ。徳川家康公の家臣であり、東日本一の強者として知られた、本田忠勝と謂う武将が居ました。彼は、名馬三国黒に跨り、蜻蛉切と呼ばれた名槍を持ち、自らが倒した敵を弔う為大きな数珠を首に掛け、そして鹿角大立兜を付け、57回の合戦に出てかすり傷1つ負わなかったとか。此の兜、本田忠勝公が神主さんに依頼して造った物だそうで、当時鹿は、神の使いと信じられていたんでしょうね~。さて、忠勝公は其の功績を認められ、徳川家のお膝元、千葉県の房総半島に領地を貰います。忠勝公の息子さん、忠朝公の代になった頃の事です。童謡「月の沙漠」で有名な、千葉の御宿海岸に、メキシコから来た巨大な船、サン・フランシスコ号が難破しました。忠朝公以下、領民達の必死の救助により、船乗りら300人は九死に一生を得たんですね。着物や食事は勿論の事、家康公から船を一隻誂えて貰い、母国へと帰ったのですけれど、此れが日本とメキシコの初めての出会いでした。其の後は鎖国となりますけれど、細々ながら、日本とメキシコの縁は続いていました。

さて、其の出逢いから時は流れ、徳川幕府も崩壊の憂き目に合うのですが、当時の日本は無理矢理に開国を迫られ、其の上、不平等条約を結ばされていました。此の不平等条約、例えば日米和親条約を例に取りますと、いやはや何とも、酷いもんなんですよ。「日本でアメリカ人が犯した犯罪は、アメリカ人が裁く」「日本には関税自主権が無い」「アメリカは最恵国待遇を受ける」。先の2つの酷さは直ぐにお分かりでしょう。最後の最恵国待遇ですが、此れ、日本がアメリカ以外の国と有利な契約を結んだとしても、アメリカは同等の待遇を受ける事が出来る、と謂う内容なんですね。しかも、アメリカが他国と有利な契約を結んでも、日本は其の恩恵は一切受けられない、と謂う物でした。此れ、今から200年前に無理矢理サインさせられた物なんですが、現代でも似た様な物かもしれませんね。其の上、横田や沖縄や横須賀に米軍基地がある訳で、当時より酷くなっているかもしれません。ホントに嫌な奴ら!!大分弁で謂えば、「嘘んじょうついてから、好か~ん」でありましょう。

さて、此の不平等条約、日本が其の手の交渉に不慣れだった事もあったのでしょう。アメリカ・オランダ・イギリス・ロシア・フランス、当時の主要国の全てと結ばされていました。ところが、当時の新興国だったメキシコが、日本と全く同等の条約を結んでくれたんですね。其の理由とは、明治の始め、金星が太陽面を通過すると謂う、100年に1度の事がありました。日本が其の観測に最も適した地であるとして、世界中から天文学者が集まったんですね。メキシコの観測団も来日したのですが、其の団長が、日本人を見て驚愕したそうです。当時の報告書にはこう書かれていました。「日本人は勤勉で真面目、教育が行き届き、礼節を弁えている。彼らがもしメキシコに移住してくれれば、日本人はどのような不利な境遇に置かれても、努力と勤勉さで成功し、メキシコ国民の良きお手本となるだろう。」、何とも面映ゆい、手放しの大絶賛でありました。さて、此の団長さん、コバルービアスさんと謂うんですが、政府高官でもありまして、帰国後、日本とメキシコの平等条約締結に大層尽力してくれたんですね。意気に感ず、百術は一誠に如かず、至誠天に通ず、僕の大好きな言葉ですけれど、無事、両国間に平等条約が結ばれました。此れ、メキシコにとって、アジアの国と条約を結ぶのは初めてでした。日本にとっても、外国と平等条約を結ぶのは初めてだったんですね。此れを契機として、諸外国との不平等条約は段々と解除されて行く訳で、本当にメキシコ様々なんですよm(__)m。

其のお礼として、日本は出来る限りのプレゼントをしました。勿論今でも同地にあるメキシコ大使館、何と永田町にありまして、此処、在日大使館の中で最高の場所なんです。僕、メキシコ大使館の前を通った事がありますけれど、国会議事堂や首相官邸の直ぐ傍ですもんね。アメリカ大使館はホテルオークラの目の前の赤坂、イギリス大使館は皇居の裏手の半蔵門、何れも超一等地ではありますが、メキシコ大使館の立地にはとても敵いません。

現在も、日本とメキシコの関係は良好です。大の親日国であるメキシコには、日系移民が1万を超し、其の子孫は同地に住んでいます。日産やホンダやマツダは、メキシコに大工場を持ってますもんね。又、其の他200社が支店や営業所や工場を持っています。日本食やアニメ、ゲームや家電製品も大人気の由、僕、メキシコには僅か数日しか居ませんでしたが、思いの外、お米の料理が多いんですよね。尤も、所謂外米であり、味が付いた物ばかりでしたけれど、日本人には馴染み易い外国と謂えましょう。まァ、メキシコの先住民族であるインディオの民にしても、国民の大半を占める混血のメスティーソにしても、僕達と同じモンゴロイドの血が流れてますからね、遠縁の親戚の様な物、今後より一層仲良くしなくては!

さてさて、昨日から僕、色々と動いていたんですが、今日漸く、10年越しの大きな案件に目途が立ちそうです。やれやれなんですが、無事に終わりましたら、今夜は折角ですから、激辛のチリコンカーンとトルティーヤか何かを拵え、良く冷やしたコロナ・ビールにライムを絞り込み、祝杯を挙げようかな!?
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