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土佐日記

読者の皆様、おはようございます。連日の猛暑ですけれど、如何お過ごしでしょうか?さて僕、川端康成の下手な真似で恐縮ですけれど、山中の霧を抜けると南国だった、と謂う訳で、昨日まで遠路遥々、高知に出張に行っていました。其の高知は森林の県として、そして四万十川は日本一の清流として、広く知られていますよね。実際、峻厳な山々の中をかき分けかき分け、漸く高知に着いたと謂う感がありました。道中、鬱蒼とした森の木々の中から段々と霧が漂いまして、やがて其れが視界を埋めて行き、どうにも神秘的で敬虔な雰囲気でありました。其の雨が上がりますと、九州とはまた異なる、強烈な日差しでありまして、僕、少々焼けたかもしれません。さて、先ずは、高知でお世話になり、アテンドして頂いた多くの皆様方に、此の場を借りて厚く御礼申し上げます。此の度は誠にありがとうございました。とっても素敵な処でしたし、是非又行きたいなァ。

僕、恐らく小学校の頃、確かに高知に行ってる筈なんですが、記憶が殆ど無く、今度訪問したのが初めてと謂っても良さそうです。でね、未知の土地に行きますと、五感が研ぎ澄まされると申しますか、何でも見聞きしようとなりまして、長旅で疲労困憊でしたが、空き時間には街中をウロウロしていたんですよ。ちんちん電車が走る街は良い処、と謂うのは僕の勝手なセオリーなのですけれど、実際、長崎も広島も岡山も、松山も熊本も鹿児島も、素敵な処ですもんね~。ご多分に漏れず高知も又同様でして、只、電車に平仮名で「ごめん」と書いていて、何を謝っているのかと吃驚しましたけれど、其れは僕の勘違い、「御免駅」行きの便でありました。さて、「どろめ」と謂う鰯の稚魚、「ちゃんばら貝」と謂う巻貝、鯨カツ、鰹のたたきを頂き、どれも新鮮かつ濃厚、大変な美味でして、将に太平洋を腹中に収めた感があり、口福でした。穴子の稚魚の「のれそれ」が無かったのが残念ですけれど、司牡丹に土佐鶴に船中八策、僕の大好きな地酒を鱈腹頂く事が出来、大満足の一夜でした。カラスカァと鳴いて夜が明けまして、喉が渇いてコンビニに寄ったんですが、流石に酒豪の県ですねえ。キリン・ビールの一番搾りの高知県バージョンがあり、其れがね、他県よりアルコール度数が少々高いんですよ。ビールって大体、5㌫ぐらいなのですけれど、高知は6・5㌫でして、矢張り呑兵衛ですねえ。また、コンビニで日本酒って余り置いてませんよね。ところが高知では、地元の銘酒「土佐鶴」が、所狭しとズラリと並んでいまして、何だか愉快な気持ちになったぜよ!そうそう、かって鹿児島で清遊した折、空いた時間に映画館に入ったら、シネコンなのに堂々と、焼酎の「さつま白波」が置いてあり、よか処でごわすと感心しましたもんね。ホテルに戻りまして、朝食のビュッフェの会場に行きましたら、朝からドーンと鰹のたたきが出てまして、僕、思わず、「土佐鶴1本下さ~い、冷やでね~、直ぐ持って来て~。」、と謂いたくなりましたが、ご飯とお味噌汁で我慢しました。

でね、不景気や少子高齢化の波は、此の高知にも確かに押し寄せている感があり、商店街や繁華街も、日曜だと謂うのに閑散としていたんですが、男性も女性も元気溌剌、兎に角明るいんですよね。だって、TV局の名前が、「さんさんテレビ」ですよ☀特に女性は「はちきん」と呼ばれるそうですが、話し方が明快で曇りが無く、常に快活だそうで、タクシーの運転手さん、ホテルのフロントのお姉さん、コンビニでのご婦人方、デパートの売り子のお嬢さん、皆さん同じでありました。僕、高知の方々の向日性と申しますか、其の明るさやポジティブさは何故だろうと、帰途ずうっと考えていまして、或る結論に達しました。

高知の県民性って一種独特でして、例えば県内のCDの売り上げランキングでも、余り知られていないパンク・ロック・バンドが、サザンやユーミンを抑えて、堂々1位だったりするんですね。作家の司馬遼太郎先生に依れば、「此の地方はかって、交通が不便だった為、一種の隔離状態にあった」と書かれていました。僕、読み進めながら、膝を打つ事頻りだったんですが、高知にはかって、江戸時代の半ばまで、鯉が居なかったとか。又、「東天紅」と謂う鶏が居るんですが、此れ、天然記念物でして、高知特有の鳥であり、其の他の地には余り居ないんですって。そして、本願寺系のお寺は殆ど無いんですって。また、話し言葉も同様でして、僕、聞きながら何だか、大阪弁のイントネーションと思ったんですが、何処かが独特なんですよ。大分に戻りまして、色々と調べた処、高知の人達は、「づ」と「ず」を、「ぢ」と「じ」を、明確に分けて発音するんだとか。此れが出来るのは高知の人だけだそうです。どうやら此の発音、古代の日本語がそうだった由なんですよ。高知は険しい山々と太平洋と川で、其の他の地域と離れていた所為で、古代日本人の性質が其のまま残ったのではないか。古代の日本は、共生と明るさを大事にした社会であり、其の結果、明治の自由民権運動も、此の地から起こったのでは、と謂うのが司馬先生のご意見でした。

でね、僕、司馬先生の意見から少々逸脱しまして、古代の日本人って、男女同権だったとの仮説を思い付いたんですね。と申しますのは、高知県が発祥の地である、明治の自由民権運動って、「憲法制定」「議会開設」「言論の自由の保障」が主な主張でした。でも、時の政府は中々其れを許さず弾圧、死者や投獄者が多数出た15年間の戦いの末、日本初の政党「自由党」が出来、議会開設に至る訳です。さて、明治の御代の頃って、女性の地位は低かった、と謂うのが定説であります。でもね、此の高知の自由民権運動、かなりの数の女性達が参加されているんです。

日本で初めて女性参政権が認められたのは、高知市内の上町、と謂う処です。此れを実現したのが、楠瀬喜多と謂う方でして、彼女が42歳の時の主張は、「女性も納税義務を果たしているのに参政権を認めないのは何故か」「権利と義務は両立している」でありまして、誠に正論、2年半に渡り当時の県知事に伺い書を提出、執拗に運動を続け、とうとう認めさせたとか。女性の参政権が認められたのは、此の高知が世界でも2番目だったそうです。又、中島俊子と謂う方は京都の出身ですけれど、高知の自由民権運動家と結ばれ、女性の地位向上の為、邁進します。私塾を開き、名門フェリス女学院の教授であり、日本で初めて演説を行った女性であり、其の結果投獄されますけれど、己の主張を曲げる事は無かったそうです。又、明治15年には、高知県で、17歳の少女が堂々と自由民権を訴え演説、並み居る観衆を唸らせ、拍手喝采だったそうです。彼女は貧しい農家の生まれで、時折演説を行っていたそうですが、あくまで土と共に生きたとか。高知県立丸の内高校は、女性に高等教育を受けさせようという目的で出来た、古い学校であります。又、全て女性ですけれど、助産婦、看護師、教師、学者等々、そして芸妓までもが自由民権運動に身を投じたと記録が残っています。

現代に目を向けましても、漫画家の西原理恵子先生、作家の宮尾登美子先生、倉橋由美子先生、坂東眞砂子先生、畠中恵先生、皆さん、デビュー時期や題材や作風やテーマは大きく異なりますけれど、揃って高知の女性であり所謂はちきん、濃厚かつ強烈な世界観を突き付けて来るのが共通項でしょうか。僕、上記の先生方と酒席を共にしないかと誘われたら、皆さん余りの女傑揃いですから、こちらが潰れるまで延々と飲まされそうで、相当悩むと思うなァ…。

さて、南国土佐を後にして、無事大分に戻って来まして、今回の出張の疲れは全く抜けていないんですが、今週も精一杯頑張る心算です。よおし、其れでは先ず、打ち合わせに行って参ります!
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