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ruta de la plata

読者の皆様、おはようございます!三連休の方も多かったと思いますが、如何お過ごしでしたか!?其れにしても暑かったですよね~☀日中、立っているだけで背中がチリチリと焼けつく感じ、いやァ参りました。其の暑さの所為か、何をするにも集中力に欠けた気がしますし、あれ、確か未だ梅雨明けしてないですよねえ…。昼顔の 花咲く濱の 真砂路に 跡もとどめず 夕立の雨、ホント、少しぐらい降れば良いのに…。だって、今朝は自転車に乗って早目にオフィスに着いたんですが、室温が33.5℃ですよ。んもう僕、Tシャツは汗でしとどに濡れていますし、其のまま帰りたくなりましたもんね。連休中、映画でも行きたかったのですけれど、観たい物は左程無く、暑い最中、劇場までの道中を考えると、ついつい億劫になりまして、僕、寝るかスイカを食べるか、ハイ・ボールを呑むか読書をするか又寝るかで、すっかり怠惰に過ごしてしまいました。

でね、読書をしながらTVを見たりしていたんですが、どうもね、近年、愛国的と申しますか、右傾化って謂うのかなァ、日本礼讃の番組が、非常に目立つ様に思います。ホラ、外国人が日本に来て、此の国の素晴らしさを語ると謂った内容の番組ですよ。「YOUは何しに日本へ?」「所さんのニッポンの出番!」「世界が驚いたニッポン!」「世界ナゼそこに日本人」等々、結構目立ちまして、此れね、自分で自分の事を褒めちぎるってのはどうなのかなァ。自画自賛ってカッコ悪いですぜ。尤も、かっての自虐史観と謂いますか、矢鱈と「日本が悪かった」と謂うのも不健康ですよねえ。もう少しバランスの取れたプログラムにすべきでしょう。

僕、つくづく思うのですけれど、ヘイトスピーチや他国への批判にネットの炎上等々、此処数年、此の国は随分と排他的になっている様に感じるんです。此れ、全く宜しく無いと思うんですが、日本って、原材料輸入加工品輸出の国でしょう。其れで此の国が成り立っている訳で、資源に乏しいですから、世界各国が仲良く平和で、輸送網が安全で無ければ、日本経済は破綻ですよ。だって、マラッカ海峡なり、シナ海で戦があったら、中東から石油が来ませんし、日本車だって運べないですもんね。ならば、排他的な考えは止め、多様性を尊重し、様々な国々と仲良くする事が、国益に適っているのは自明の理でありましょう。どうもねえ、アベの野郎、一戦やらかす心算なのか、妙に好戦的でしょ。大きく間違っていると思います!そりゃね、中国に韓国に北朝鮮の面々、非常識かつ礼を失している、僕だってそう思いますよ。でもね、一緒になって大騒ぎしたって、相手は益々エキサイトするだけ、ならば、以徳報怨、徳を以って怨みに報ず、広い度量で応えましょうよ。先ずは相手の意見をきちんと傾聴、そして、冷静沈着に是々非々で、反論すべき処はきちんと反論するしかありません。何故か此れをしないでしょう。時には相手側の言いなりだったり、時には居丈高に強硬な姿勢を取る、全くの矛盾でありまして、これじゃあ信頼関係なぞ生まれませんぜ。

かっての日本人は、今とは全く違いました。僕、週末は様々な史書を読んでいたのですけれど、感心して膝を打つ事ばかりだったんですね。先ずは北から行きましょうか。青森の五所川原、此処はねぷたで有名ですけれど、十三湊--とさみなとと読みます--と謂う、天然の良港であり、大遺跡があるんですね。其れに加え、此処から秋田や盛岡に掛けて、多くの遺跡が発見されています。何れも、アイヌに韓国、中国にロシア北方民族との交易があった事は間違い無く、其の関連の土器が多く見つかっています。其れは、鎌倉時代から江戸時代まで、連綿と続いていました。お次は古代出雲でしょう。現在の島根県の辺りですけれど、此処は謂わずと知れた出雲大社があり、中国や韓国と盛んに交易を行っていました。時代は下がりますけれど、蘇我氏にせよ秦氏にせよ、韓国や中国から来た訳で、でも、大和朝廷の重臣ですもんね。渡来人達は、当時の最先端技術を大陸からもたらした訳で、彼らが日本に果たした役割は極めて大きいでしょう。そして、戦国大名で高知県に君臨した長宗我部氏、彼らは自分の系図に、祖先は秦の始皇帝と書いていますから、中国から来た人達ですね。また、岡山の宇喜多氏、彼らも戦国期の大大名ですが、古代の韓国にあった、百済の国の王族の末裔と謂われています。山口の大内氏も同様ですね。でも、其の彼らが、夫々の地域で大名にまでなっている訳で、此の国に如何に偏見が無かったかが分かります。

先の島根県にある石見銀山、此処はかって、世界の銀の3分の1を産出したと謂われています。ゴールド・ラッシュならぬシルバー・ラッシュな訳ですが、此の銀を使い、日本商人達は、凄まじいまでの国際ネットワークを持ち、海外に雄飛したんですね。戦国期には、遠く欧州にまで知られていたとか。将に銀の道と謂えましょう。でね、当時の記録で興味深いのが、長崎の平戸から東南アジアまで、中国船に日本銀を積んで運んでいた処、イスラム海賊が襲い、紆余曲折があって、最後はポルトガル人の手に落ちたと。船乗り達は、韓国人に中国人に日本人、そして韃靼人--シルクロードのモンゴル系の民です--から成るんですって。又、先の記録は、黒人奴隷の証言を残した物でして、いやあ、今から600年近く前に、此れだけの人的交流があったんですね!そして、其の日本銀や様々な物産が集まり、商取引が行われるのが、マレーシアのマラッカでありまして、其処には、東西の民が入り乱れ、60近い国や地域の人々が集まっていたとか。

さて、大阪の堺、福岡の博多に鹿児島の坊津、大分の府内、長崎の平戸や出島、そして沖縄の琉球王国等も、盛んに多国間貿易をしていたのは広く知られる処です。でね、僕、へええと感心したのが、琉球列島の喜界島の城久--ぐすく、と読みます--遺跡です。現在人口7000人の小さな島なのですけれど、此の喜界島、かっては、国際交易の中継地として、大流通センターとして、大いに栄えていたそうなんですね。大量の土器が出土しているのですが、或る物は長崎の物に酷似し、また或る物は鹿児島や熊本の物と使われている技術がそっくりなんだとか。又、中国や韓国や東南アジア風の土器も大量にあるそうでした。でね、僕、ネットで其の土器を見て、笑っちゃったんですが、焼肉屋さんの石焼ビビンバの器にそっくりなんですよ~。古代からビビンバを食べていたのかしらん。でね、島の人口を考えれば、残された土器が余りに多過ぎますから、此れはきっと、異文化交流があったに違いないと、学者の間では考えられているそうです。古代の喜界島に、中国や韓国、日本や琉球諸島に沖縄、そして東南アジアの民が集い、唄って踊って一献酌み交わしただなんて、何だか素敵に思えませんか!?

実際僕、豪州に住んで居た折には、同様の経験があります。大分に戻ってからも、ひょんな事から大分大学の留学生と知り合いになり、日中台韓、シンガポールにマレーシアにインドネシア人が寮に集いまして、国際交流と謂う名の、野郎だらけの単なる飲み会を開催した事があります。僕の上手?な英語が、最初は上手く通じていたんですが、最後は酔っ払い、何故か筆談になって大笑いして、いや、楽しかったなァ…。矢張り日本は、四方を海に囲まれた海洋国家でありまして、だからこそ、近隣国と相和し、意気投合し、仲良くする事は必須と思います。誰だって、戦争なんてしたくありませんもんね。そして、古代や戦国の民は勿論の事、僕の様な凡人ですら、外国人と仲良く出来るんですよ。日本人皆が、出来ない筈がありませんよね♡
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