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是非に及ばず

おはようございます。早朝、いきなり眼が醒めまして、何だろうなあ、とボ~ッとしてましたら、何と左足に激痛が…。ふくらはぎが吊ってたんですね~、悲しかったです…。寝る前の水分補給が足りなかったのかなあ、と反省しました。

さて、今朝も新聞各紙をネットでチェックしていましたら、今国会は何と4日間しか開かないんですね。驚いて今度は眼がハッキリと醒めましたね。言うまでも無く、国会は日本における唯一の立法府です。国会議員の皆さんが、日本中の様々な案件や諸問題を処理すべく法律を作り、議会で是非を話し合い、行政が動く訳です。ましてや今は未曽有の大震災の後ですから、東電の民間への補償、被災者の雇用問題、親を失った子供達へのケア、廃棄物の処理、被爆者への健康診断、被爆した土壌の除染、被災地への支援、補助金の早急な確保、医師や看護師といった医療スタッフの確保、道路や鉄道や空港や港湾の整備等々、今ちょっと考えただけでこれだけの早急な手当てが必要ですよね。恐らく何1つまともに処理出来ていないんじゃないですか?それを成す為には、日本は建前だけですが法治国家ですから、法律を作らないとその処置が出来ない訳です。何という事でしょうか、4日間でそれを全部決めるの!?おまけに、国会で話し合うのは震災復興だけでは決して無い筈です。年金処理、医療保険制度の改革、近頃とみに領海侵犯領空侵犯を繰り返す中露両国への対応、北朝鮮による拉致被害者の救出、増える一方の赤字国債、大不況を打破する為の経済政策、低迷する株価対策、永遠に買わされ続けるアメリカ国債をどうするのか、公務員改革等々、課題は山積しています。何度でも書きますが、それを4日間で処理する積もりですか!?通年国会、即ち1年間国会を開き続ける、という言葉なんですが、この非常時ですよ、連日徹夜で被災地の為に話し合いをしろ!!と命令したくなります。それにつけても、菅サンやその一味による半年間の空白は本当に痛かったですし、将に国益を失う政権であり、被害を増やしただけだったと思います。枝野サン、前原サン、蓮舫サン、玄葉サン、仙石サン、野田サン、安住サン、岡田サン、アナタ方の無能さ無定見さ、そして日和見ぶりは、ネット上では何年も前から常識になっている事をどうかお忘れなく。

いきなりの重い話で申し訳ありません。でも、こういう非常時にこそ、前例を気にせずせ先入観に囚われず、大胆に改革を成し遂げる大政治家が必要なんです。僕、かって日本に数人だけですが、時代の激動期にこの国を救うべく、天から神がもたらしたとしか思えない大人物が現れた、と思っています。飛鳥時代、大豪族達が日本国を割拠して争う中、それを鎮め平安な時代を築き、中国文化の優れたエッセンスのみを取り入れ、中央集権国家を確立した聖徳太子。鎌倉時代、2度に渡る元寇襲来を撃破し、日本を守り抜いた北条時宗。幕末期、260年続いた挙句、制度疲労を起こし国難に耐えられない状態だった徳川幕府を倒し、明治維新を成し遂げ、日本近代化の礎を築いた西郷隆盛。そして戦国期、中世の世に生を受けながら近世への扉を開いた織田信長。温故知新、故きを温ねて新しきを知る、という訳で、本日は織田信長について書いてみたいと思います。

この信長さん、桁外れに凄い男であり、真の天才であり、快男児と言えるでしょう。順不同で、あまり知られていない僕の好きなエピソードを挙げて行きましょう。それだけで、彼の真価がご理解頂けると確信しています(^^)。まずは趣味嗜好から。信長さん、とにかく新しいものが大好きでして、好奇心旺盛、良いものは何でも取り入れちゃいます。そうそう、彼が生きた時代は今から約600年前という事を覚えておいて下さいね。さてさて、まずどういう格好をし何も好んでいたかですが、以下は全てヨーロッパからのお取り寄せ、ビロードのマントに鳥の羽根の付いた帽子、鎧に革張りの椅子を使用し、黒人の従者に日傘を差させてるんですから堪りません。赤ワインにステーキを食し、己の城の廻りには宣教師を教授として大学を作り、そこでのビオラやクラビコード、チェンバロといった古楽器で演奏される音楽を好み、望遠鏡や地球儀や時計を持ち、能や歌舞伎の原型と言われる幸若舞を踊り、茶の湯や和歌、馬術や水泳、将棋・囲碁にも堪能、相撲を愛し、絵画や建築にも天才的な審美眼を発揮しました。現在では全て国宝である狩野永徳の画才を見出だし、自分が命じて作らせた城は、琵琶湖の畔にあり、何とツイン・タワーで吹き抜けの高層建築、お祭りの際には提灯を使い城をライト・アップし、内装は朱と金と宗教画、能の舞台まであった、という斬新過ぎる発想でした。

信長さんの時代は各地方に夫々の殿様がいて群雄割拠、誰も日本統一など不可能、と考えられていた時代に、今の愛知県の一部を所有するだけだったのですが、ほぼ日本全域を支配する所まで勢力を伸ばしたのです。政治家としても天才、日本初のバイパス道路を作り、今の基準でいう高速道路(道には石を敷き詰め、信長軍のみ通れる様にしました)を作り、楽市楽座という無税特区を作り経済を活性化させ、1銭でも盗んだら死刑という法で治安が守られ、新兵器である鉄砲を揃え、鉄張りの大船を造り、日本統一後は、いずれ大挙襲来するであろうヨーロッパの国々(時あたかも大航海時代、コロンブスやマゼランがアメリカ大陸を発見、既にインディアンや南米先住民族との抗争は始まっていました。)に備え、大阪を首都とし、そこから大艦隊を出航させ、中国本土や台湾、南方のフィリピンをも占領しておく、という大計画です。

ではこの大天才が何故不慮の死を遂げたか?古今東西の歴史家小説家評論家が、その謎に挑み続けて来ました。諸説入り乱れ、真実は闇の中なんですが、僕、1つだけ確信している事があるんです。信長さんに手を下したのは明智光秀、これは事実ですが、その動機だけは分かる気がします。信長さんの激しい性格によって辱めを受けた、いや怨恨だ、天下を取ろうとしたのだ、色々言われていますが、その動機は恐怖だった、と思いますね。光秀も当時では頭抜けた教養人でしたが、信長の破天荒な天才ぶりが皆目理解出来ず、分からないって怖いですから、それが殺意に変わったのではないでしょうか。

信長さんは、如何なる権威--宗教も天皇も慣習も家柄も--を認めず、完全実力主義を貫き、激しい性格は変わりませんでした。信長さんの真意を恐れた天皇陛下は、関白か太政大臣か征夷大将軍か、どれでも好きなものを選んで宜しい、と伝えるのですが、それを断るんですね。自分は位で縛られる存在では無い、もう既に神である、と日本史上初めて宣言したのです。それから暫くして本能寺の変が起こり、明智軍に包囲された信長さんは「是非に及ばず」の一言を残し、寺は大爆発大炎上しました。何だか意味深ですよね、隠された陰謀があるような無いような…。

随分長くなってしまい申し訳ありません。大反動もあるかもしれませんが、今こそ信長さんの様な大改革が求められていると思います。野田サンには是非頑張って欲しいですが、信長さんの足元にも及ばないでしょうねえ…。
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