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おたんこなす

旅戻り 雨傘梅雨を 滴らす、僕、昨日のお昼に、博多の出張から無事戻って参りました。何とか仕事をこなしまして、此の辺りで自転車に乗っていたら、思いかけず同級生とぱったり会ったりして驚きましたけれど、身体が疲れ切っており、昨夜は爆睡でありました。カラスカァと啼いて夜が明けて、露のなさけを ただ実にうけて 恋の闇路を とぶ蛍、何ともまァ、艶っぽい都々逸ですけれど、今朝の大分は辺り一面に霧が立ち込めていまして、僕、愛犬と共に散歩に出ていたんですが、其の湿気には閉口しました。此の時期って、食べ物は腐り易いですし、ついつい水分を取り過ぎて体調を崩したりして、読者の皆様、どうぞお身体にはお気を付け下さいね。

おっと、お礼を謂うのを忘れていました。拙ブログの総拍手数が、53万件を超えておりまして、読者諸賢の皆様方には、ただひたすらに、感謝感謝であります。何時も変わらぬご贔屓の程、本当にありがとうございます。53万ってかなりの数字でして、確か東京の江東区、亀戸に深川に門前仲町等々、ざっくばらんな下町気質の人達が住む処ですけれど、其処の人口がちょうど其れ位、ううん、此の駄文を、そんなに多くの方々からご支持頂いているとは、身の引き締まる思いがするんですが、其の割にはちっとも痩せねえなァ、なんて冗談謂ってる場合じゃありません。もう1度、本当にありがとうございます。此れからも一層精進致しますって、此れでは関取が昇進した際の口上みたいですけれど、読者の皆様、より一層のご指導ご鞭撻、叱咤激励の程、何卒宜しくお願い致しますm(__)m。

閑話休題、「諸君、脱帽せよ。天才が現れた。」此れ、名立たる音楽家を前にして、ショパンがシューマンに掛けた言葉です。此のシューマン、ピアノ曲が最も有名でして、僕はバッハやモーツアルトの方が断然好みですけれど、其れはさておき、確かに天才であります。何とシューマン君、栴檀は双葉より芳しでして、裕福な家に生まれた二枚目であり、10歳で作曲を初め、其れも毎日の様に即興演奏、どんどん曲が出来るんですって。13歳で詩や戯曲や小説を書き、15歳で葉巻とシャンパンを覚え、人妻と2人の美少女と付き合い、って、シューマン君、其れはやり過ぎでしょ!私生活は兎も角として、其のシューマンに勝るとも劣らない天才が、日本の将棋界に颯爽と現れましたよね。中学3年生の14歳、藤井聡太4段ですけれど、新聞やTV等で大騒ぎ、前人未到のデビュー以来の28連勝、昨日は号外も出たそうでして、僕、将棋をこよなく愛していますから、此の大快挙で将棋界が注目されるのは嬉しい限りです。しかしねェ、僕、升田大山の両巨頭に始まって、中原谷川羽生森内の永世名人、佐藤藤井屋敷久保のタイトルホルダー達、皆棋譜を見てますけれど、藤井君程将来性に溢れた棋士は居なかった様に思います。一体全体、何処まで強くなるのか、本当に楽しみですし、名人にもなるでしょうが、僕、どうせならコンピュータを打ち負かすぐらいまで行って欲しいなァ。

其の藤井君が脚光を浴びる中、つい先日、もう1人の天才棋士が引退しました。加藤一二三九段、彼も又14歳でプロ棋士になった天才であり、77歳まで現役を続けた息の長さでありまして、名人を含め、数多くのタイトルを取った名棋士です。藤井君にバトンタッチしたかの様な引退でして、何だか感無量です。加藤先生はお年の所為もあったのでしょう、棋士生活の晩年は余り勝てなくなりました。実際、現役最後の対局も負けてしまったのですけれど、相手は23歳の若武者でして、54歳の年齢差ですよ。いやあ、其の情熱には頭が下がる思いがしました。何れは僕も当院を辞める日が必ず来る訳ですけれど、色々な人を見てますと、大体3パターンなんですよね。其の組織の規則に従って淡々と辞める人。ボロボロになっても現役を続ける人。そしてスパッと辞めて次の人生を楽しむ人。僕、自他共に認める、間違い無く最後のタイプでありまして、自分の限界を感じたり、辞めた方が良いと思えば、直ぐに辞表を提出する性格です。でもね、どのタイプも正解なんですよ。出処進退のうち、辞める事だけは自分で決められる訳です。辞め方とは皆さん夫々の考え方ですから、其の人自身の選択でしょ。どういう形にせよ、全員が考え抜き、精一杯頑張った結果と思うな~。各界著名人の引き際を見てますと、其の人の価値観人生観を感じさせ、考えさせられますよね。例えばプロ野球のノムさん、彼なんて、野球がとことん好きなんでしょうね、兎に角現場に関わった人生と思います。現役時代は、捕手と謂う重労働ながら、南海・ロッテ・西武で26年間もプレーしました。こんなキャッチャー、もう決して出ないと思いますねえ。指導者になってからも、南海・ヤクルト・阪神、社会人チームのシダックス、そして楽天の監督でしょ。74歳までグラウンドで指揮を揮っていたんですから、本当に立派な生き方と思います。

またまた閑話休題、僕、今回の出張中、或る小説を夢中に読んでいまして、此れが滅茶苦茶に面白かったんですね。浅草で生まれ育った半村良先生がお書きになった、「小説浅草案内」と謂う一冊でして、ちくま文庫から出たばかりなんです。此の小説、古い物なんですが、大層面白いと謂うのは知ってはいまして、移動中に読破したばかりです。本の惹句には、「昭和末年の浅草を舞台に、なさけ、酒、色恋を実際の風物を織り交ぜながら描いた人情小説の最高傑作」とありまして、確かに其の通り、此れ、皆様にも是非読んで頂きたいなァ。幾つか文章を拾ってみます。

浅草の人たちの気のきかせかたが、私のとまるで同じなのだ。押しつけがましく相手をいたわることをしない。遠慮していることさえ相手に気づかせまいとする。

ふだんはしゃれと冗談で、さらりさらりと身を躱してはいるが、見るべきところはちゃんと見ていて、さりげない気の使い方をする。

気くばりなんてのは、相手にさとらしちゃおしまいですよ。ところがね、ときどき気くばりのしっ放しをすると、損したみたいに思う奴がいるから困るんですよ。

こうした塩梅でして、僕自身も此の考え方に極めて近いと思っていますし、野暮天や田舎者だけはどうにも苦手ですねえ。アッ、此れ、出身地では無く、精神的な田舎者、と謂う意味ですよ。人によって言動を変えたり、極端に視野が狭かったり、妬み嫉み僻みばかりだったり、甘えん坊だったり、僕、こういう人達の事を内心、「粋じゃないねえ、野暮天だなァ」と思っています。さて、話を戻しまして、此の本の作者の半村先生、映画にもなった「戦国自衛隊」で有名な直木賞作家なんですが、こんな人情物までお書きになるとはと感心したんです。そしてね、読んでいて何だか妙に親近感を感じまして、どうにも不思議に思っていたんですよ。でね、本にある半村先生のご経歴を見た処、昭和8年生まれで両国高校を卒業と出ていまして、僕、本当に吃驚しました。合縁奇縁と申しますか、何と、僕の亡父と全く同じ経歴だったんですよ。父も又、昭和8年生まれの両国高校卒ですから、半村先生の顔ぐらいは知っていた可能性が高いです。「友達で物書きになった奴が居るんだよ」と謂う父の言葉の、おぼろげで幽かな記憶もあるんですが…。

でね、僕、ちょっぴり後悔しているんです。もっと早く此の本に出会っていれば、父の気持ちを、もう少し分かってあげられた気がしたんですね。僕も父も親子ですから、関東の下町っ子の感性が根っこにある事は間違いありません。ただ、親子で病院を運営していたのですけれど、父は昔気質の職人肌のお医者さん、僕は事務方であり、経理から総務から様々な折衝等々、実務全般を見ねばなりませんでした。父は理想を追い、僕は現実を見ていたと謂う事でしょう。そうなりますと、自ずから視点観点が異なって来る訳で、もう口も聞かない様な関係になっちゃったんですよ…。結局、父が身体を壊した所為もあり、其の病院は閉め、人手に渡りました。今になって父の気持ちを思うと、彼はドクターでありたかったんでしょうが、加齢により其れが難しくなったんですね。そして、ざっくばらんで開けっぴろげでしたから、良い人も来ましたけれど、余り宜しく無い人も近付いて来ました。僕は其れが分かっており、再三再四注意したんですね。でも、僕も若過ぎ、どうしても謂い方がキツかったんですよね。そうしますと、親子揃って下町気質ですから、「アイツは頭の堅い野郎だ」「何を謂ってやがる、もう少し全体を考えたらどうだい」となってしまい、其の上、仲介役の母親は疾うに亡くしてましたからね、どう頑張っても上手く行かなかったなァ…。今の僕の世間知があり、半村先生の本に出会っていたら、もう少し上手に、父と関係を保てたかもしれませんねえ。だってね、半村先生がこう書かれてますもん。「私は他との衝突を未然に回避するセンスを、『粋』と呼ぶのだと思っている」ううん、親子揃って失格、大喧嘩をした訳で、ちっとも粋ではありませんね。しかしまァ、其れが分かっただけでも、あの世で親父が笑っているかもしれません。今日は一つ、仏壇にお線香をあげて献杯して、親父の大の好物だった、大根の千六本の味噌汁でも作ろうかな…。
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