八月の狂詩曲

「近代はやり唄集」、と謂う岩波文庫の本を眺めていましたら、明治時代に「海南民権踊唄」と謂う曲が大層流行ったとか。此の唄、♪それにひきかえ我が国は 民の権利は荒縄縛り 牛よ馬よと 追い使われて 生きて甲斐無し この有り様を 筆に書かれず口には言えず♪と、中々ロックな歌詞なんですよね。此れ、土佐の自由民権運動家が造った由ですが、平成の今、其の当時と余り変わりが無い気が致します。悪名高い共謀罪、国内外の批判を物ともせず、とうとう強行採決ですか…。僕、国民の言論の自由が奪われなければ良いがと思いますし、冤罪や微罪で捕まる人が激増するんじゃないかなァ。恐ろしいのは、現政権って、相当幼稚で感情的で短絡的だと思うんですが、権力者をちょっと批判しただけで、何やかやと小理屈を捏ね、いきなり問答無用で逮捕しそうでしょ。兎に角、先ずは総理を交代させ、そして政権交代後に廃案に持ち込むしかありませんね。ところで加計学園の問題、どうやら「文書は本物だが内容が間違っていた」と謂う子供の様な理屈で誤魔化す腹らしく、おまけに女性官僚1人がやったとして生贄にするシナリオですって。こんな猿芝居に国民が騙されると思ってるんですかねえ。テメエ馬鹿野郎この野郎、舐めるのもいい加減にしろ!僕、最後には正義が勝つと信じていますし、千万人と雖も吾往かん、政府の横暴には決して負けねえぞ!

閑話休題、ところで僕、高橋克典さんって俳優さん、嫌いじゃないんですよ。2枚目のクールな役が多いけれど、何処となく抜けていて、おまけに助平な感じがしまして、焼肉を鱈腹食べてはトレーニングをし、何だか憎めないんですよね。偶に僕、彼のブログを拝見するんですが、先日は日向から倉敷と、ロケをされていました。ふと気付いたのですけれど、日向には陣屋があり、倉敷は天領でありまして、何だか徳川幕府繋がりだなァと思ったんですね。実は僕、前々から天領に興味がありまして、以前から調べてはいたんです。大分の天領と謂えば日田なんですね。松本清張先生の傑作時代小説、「西海道談綺」では其の日田が舞台でありまして、隠し金山から山伏、幕府と犯罪、そして因縁に執念に、裏切りに色情も絡みましての大長編、将に巻を擱く能わず、非常に面白い本でした。未読の方は是非ご一読を。其れはさておき、其の作中もそうでしたが、日田は天候は厳しい処ですが、本当に文化的な街なんですよね。かっての日田は、「日田金」と謂う言葉があった様に、九州の金融センターでした。よって、豪商が増え、陶器や漆塗りの伝統工芸があり、古くからの酒造があり、雛祭りのコレクションでは日本有数の地であり、江戸期最大の私塾である咸宜園もありました。此れ、倉敷もそうですもんね。其の倉敷は中国地方の物流センターでして、其の為多くの蔵が必要となり、現在の美観地区となっている訳です。人口50万足らずの都市に、倉敷アイビースクエアがあり、博物館が4つ、ルネッサンス調の建築物もあり、そして何と謂っても大原美術館がありますもんね~♡大原美術館って、上野の森にある多くの国営美術館より上、僕、秘かにそう思っているんですよ。ルノワールにゴーギャン、モジリアーニにセザンヌ、ロートレックにモネ、ミレーにルオーにマティスにドガ。そしてピカソとロダンとエル・グレコ。本邦の画家ならば、梅原に棟方、小出楢重に佐伯祐三でしょ。綺羅星の如くと申しますか、画壇のビッグ・ネームは網羅している印象です。現代抽象画だって、ポロックにジャスパー・ジョーンズまできちんと押さえていまして、僕、1日此処に居ても飽きない自信があります。久しく行ってませんし、ママカリと謂う小魚や地蛸は絶品、地酒も美味しいですし、今度行こうかしらん…。

さて、僕が行った事のある天領と謂えば、長崎・日田・倉敷・京都大阪、そして琵琶湖の畔の大津ぐらいですけれど、どの都市も豊かで、文化的価値が非常に高い街、と謂う印象なんですね。此れ、どうしてなのか、天領は幕府の直轄地であり、其の領地の政治全般を任すべく、代官を派遣していた訳で、どうやら其れが原因の様なんですよ。どうもね、江戸時代と謂うと、身分は固定された感がありますよね。そして、代官と謂えば、「越後屋、お主も悪じゃのう…」と菓子箱の小判をせしめた上、可愛い娘さんの帯をクルクル解いて押し倒すイメージがありませんか?そりゃね、確かにそういう悪代官も居たとは思いますけれど、ところがどうして、善政を敷いた人の方が圧倒的に多いんですって。「代官の日常生活」 角川ソフィア文庫 西沢淳男著に依れば、全国各地に、代官を偲んで祀った神社が点在していまして、土地の人々は神として崇めていたんですねえ。此の代官、何とまァお侍の世襲制ではありませんで、商人がなったり、神主がなったり、茶人だったり、名主--村の村長さんですね--だったりと、要は能力があれば抜擢していた訳です。又、秘書役は代官が選んで良い由なんです。よって、猿楽師--此れは今ならば芸人さんでしょう--や、絵師、浪人が秘書を務めるケースもあったそうでした。

そしてね、何だかとっても感動しましたのは、江戸期も今に似て地震が頻発していた訳なんですが、被災地の代官達は東奔西走、泥まみれになって罹災者を見舞い、何百両のお金を供出、炊き出しも積極的に行い、震災後の便乗値上げにも目を光らせたとか。何だか、今の政府や官僚とは随分異なる気がするのは僕だけじゃありませんよね!?しかもね、今で謂う子供手当を創設し、成人すれば農家の道具をプレゼントし、人の生き方の心得を冊子で説き、各種補助金を整備、治水や殖産を推進、そして飢饉の際には9割減の大減税を行った陸奥の国の代官も居た由、彼が亡くなった時には、其の地の農民1万人が葬儀に訪れたそうです。税金を取る際も、「其の地域の諸事情をよく考え、農民が納得する形で納税させる様に、自分の家族同様に思いやる様に。」とのお達しが残っている由、僕、何だか江戸時代の方が今より優れている気がして来ました…。

三つ子の魂百までも、雀百まで踊り忘れずと申します。僕、此の優れたシステムを造った徳川家康公、畏敬の念を改めて持ちました。家康公のご先祖様は、元々は托鉢をしていた貧しい坊さんと謂います。其の坊主が愛知県の辺りに住みつき、段々とのし上がって来たと。家康公は3歳で母と死に別れ、6歳で今川家や織田家の人質となり、10歳で父を家臣に殺され、15歳で戦場に出て、其の後も重臣の裏切りや領内での一向一揆が起き、溺愛した長男を同盟国の要請により切腹させ、そして幾多の敗戦で挫折等々、聞くも涙語るも涙でありまして、大変な苦労をされた偉人であります。此れだけ、世の中の裏も表も知り尽くし、酸いも甘いも噛み分けた方の政治ですもん。そりゃあ民あってこその国家、と謂うのは身に染みて分かっていたでしょうし、またね、そうでなければ、徳川幕府が300年近く続く筈がありませんぜ。どうもね、歴史の教科書では江戸時代は暗黒だった、と謂う史観が通説の様ですけれど、上記の例を見れば、随分と誤解も多い気がしますねえ。

でね、僕、つくづく思いますのは、公務員試験ってありますよね。此れ、或る意味では全国一律でフェアとは思うのですけれど、現代社会って此れだけ多様化しているじゃありませんか。拙ブログでは再三再四指摘していますが、例えば、多くの外国人が住む六本木と、高知の山間部の過疎化の村々と、米軍基地のある沖縄の町と、海沿いの寒冷地の知床で、同じルールで地方自治を行うって、相当な無理があると思います。賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶでありまして、かっての江戸期の様に、もっと柔軟性を持たせたシステムに変えるべきじゃないかなァ!?例えば天領の象徴とも謂える、長崎を考えて下さいよ。幕末期には世界各国の船が寄港し、浪人が闊歩し、花街があり、隠れキリシタンが居た訳で、此れを統治するのは、並大抵の手腕や、前例主義ではとても無理ですよ。因みに、初代長崎奉行は小笠原一庵と謂う人物で、徳川家康公が任命しました。此の小笠原さん、非常に面白い経歴でして、元々は海賊でした。段々と出世していたのですけれど、一族間でいざこざが続きまして、すっかり嫌になっちゃったんですね。領地も持っていたのですけれど、其の座を投げ捨て京都に隠棲、美女達と暮らし、茶道に没頭していたとか。何と、家康公は此の人物に目を付け、長崎を任せたんですが此れが大成功するんです。隠れキリシタンを取り締まり、ポルトガル人や中国人や韓国人に地元の人達、そして隣接する他の藩とも上手くやり、長崎の基礎を造った名奉行でありました。

家康公程の人を見る目、果断な実行力、胆力に器を、現政権の面々に求めるのはとても無理でしょうねえ…。実行力があるのは、オトモダチへの利益供与と批判だらけの法案の強行採決ぐらいですもんね。あ~あ、タイムマシンに乗って江戸時代に行きたくなりましたよ、全く…。
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