FC2ブログ

✈ 虹の翼 ✈

今日は先ずはお礼から。昨日の午後でしたか、拙ブログの総拍手数が、52万を超えていました。早い物で、此のブログを始めて早6年目になるんですが、過大な評価と過分な褒め言葉を頂く事も多く、恐縮しきりです。何時も拙ブログをご訪問頂き、本当にありがとうございますm(__)m。心より感謝していますし、何処まで続くか分かりませんけれど、今後とも叱咤激励ご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。でね、僕、ブログをやっていて本当に良かったと思いますのは、読者の皆様って、多士済々でして、お知り合いになれて本当に光栄なんです。富士宮市のお蕎麦屋さん。都内のミュージシャンの方。新潟の主婦の方。占い師さん。愛犬家の皆様。北海道の学校の先生。大分の美人建築士さん。画家やパフォーマーやバンドマン。イラストレーターにアニメーターに京都の歴史研究家の方。ねっ、凄い方々でしょ!何時の日にか、皆さんにお会い出来ると嬉しいなァ。何れにせよ、僕の気力が続く限り、更新し続けます。今後とも何卒宜しくお願い致しますm(__)m。

さみだれや 澄みわたりたる 水の底、昨日の大分は激しい夕立と申しますか、些か冷えまして、ア・ハード・レインズ・ア・ゴナ・フォール、思わずボブ・ディランの曲を口ずさむ程でした。ゴールデン・ウィークは初夏の暑さだったのに、こんなに天気が不安定では、又体調を崩してしまうと僕、戦々恐々なんです。こういう季節になりますと、憧れるのは矢張り北海道ですよね。僕の生家は病院なんですが、其処の職員旅行で、北海道には3回は行った記憶があります。熱々の牛乳、何処までも続く直線道路、シャリシャリに凍ったルイベ、味噌ラーメンにジンギスカンに生ビール、何だか食べ物ばかりですけれど、僕、マリモをお土産に買うのが常なんですが、此れ、育ってるのか育ってないのか、ちっとも分からず、気付けば何時も真っ二つに割れており、悲しい思いをしました…。さてさて、小樽に札幌に函館、摩周湖阿寒湖屈斜路湖と、色々と思い出はありますけれど、確か道内で最後に訪れたのが網走でして、刑務所の記憶がおぼろげにあるんですが、最も印象に残ったのが、モヨロ遺跡でした。可愛らしい小さな市営の博物館に寄ったのですけれど、こんな最果ての地にも、文明があったのかと感無量でした。

でね、此のモヨロ遺跡、3世紀頃、樺太から来た少数民族によって造られたそうでして、日本の物とは微妙に異なるそうなんです。細かい差異については、門外漢の僕にはまるで分かりませんけれど、此の遺跡、実は一般人が見つけたものなんですね。発見者は米村喜男衛さん、明治生まれの方なんですが、此の人は津軽生まれの床屋さんでありました。でもね、只のバーバーではありませんで、幼い頃から考古学が大好き、勝手に色々掘り起こしていたそうですが、先ずは手に職を付けようと上京、高級理髪店で働くんですね。しかも、勤務先はわざわざ神田を選びまして、此処は日本一の古書街ですから、休みの日は、考古学の本を探し、熟読する日々でした。其処で、恩師となる東大教授に知り合い認められ、アイヌ研究に没頭するんです。理髪師としても頭角を現し、趣味と実益を兼ね、網走の地で床屋さんを開き、昼は散髪夜は発掘、寸暇を惜しんで動き廻ります。其処で発見したのが、巨大なモヨロ遺跡でありました。生業の理髪店も大繁盛、発掘も順調でして、お店を大改装、床屋さんでありながら、出土品を展示するスペースを造ります。此れが発展し、網走市立博物館になり、米村さんは国際博物館会議に日本代表として渡欧するんですから、好きこそものの上手なれ、素晴らしい生き方と思えてなりません。

其の米村さんを見出した東大教授が、鳥居龍蔵先生でありまして、日本の人類学の巨人と呼ばれた偉大な学者なんですが、彼も弟子に似て、元々は在野の独学の人でした。鳥居先生は学校が大の苦手、裕福な家柄なのに、7歳で小学校を退学します。独学で人類学--言語学・民俗学・芸能学・考古学等々、人の営み全般を研究する学問です--を学び、東大人類学教室の標本整理係として雇われるんですね。其処からは鳥居先生は八面六臂の大活躍でありまして、82歳で没するまで、アジア全域をフィールド・ワークで駆け回ります。日本全土はもとより、北はシベリアから西はシルク・ロード、南は台湾まで歩いた距離は数万㌔、30冊近い専門書を著したと謂う、学会の巨人でありましょう。東大・上智・国学院・ハーバード・モンゴル大で教授を歴任、フランスからも叙勲を受けたと謂う大学者が、小学校中退って、俄かには信じ難い話ですよね。しかも、学閥と謂う物を忌み嫌い、東大の職を辞してからは、自宅内に私営の人類学研究所を設立しました。

でもね、世紀の大発見って、偏見の無い方と申しますか、別の分野で活躍した人が多かったりするんですよ。ライト兄弟よりも10年以上早く、飛行機を着想した日本人が居まして、作家吉村昭先生の小説、「虹の翼」の主人公、二宮忠八さん其の人であります。忠八さんは江戸の末期、四国は愛媛の八幡浜で生まれました。蒲鉾が美味しい処ですけれど、彼は町の雑貨屋さんなんですね。趣味は物理や化学の本を読む事だったそうですが、カラスが飛んでいる処を見て、翼を固定する事を思い付きます。すぐさまプロペラ付きの、35㌢の模型飛行機を製作、36㍍の飛行に見事成功します。忠八さん、日本陸軍に其の模型を持ち込み、2度に渡り実用化を懇願するのですが、明治24年当時の人達には、余りに突飛で奇抜な発想だったのでしょう、全くの黙殺、却下されてしまいます。此処で諦めないのが素晴らしいんですが、忠八さん、ならば自分でお金を造るンだッ!と謂う訳で、雑貨屋さんを閉めまして、製薬会社に入社、10年足らずであっという間に支店長まで昇進します。此のヴァイタリティには感心しますけれど、何と其の間に、ライト兄弟が人類初の有人飛行に成功してしまうのでした…。晩年の忠八さんは、飛行機事故で亡くなった人達を弔う為神社を設立、自ら神主となって生涯を終えました。何だか僕、侍の生き方と謂う気がしてなりませんし、僕を含めて、平成の日本男児はもっともっと頑張りましょうね…。

そうそう、国民的作家で大ベストセラーを連発した松本清張先生も、元々は小卒の印刷工であり、40を超えてからの遅咲きのデビュー、取り立てて作家志望では無かったそうですもんね。日本初の地図を作製した伊能忠敬にしても、元々は鰯を収納する蔵の番人でした。其の働きを認められ、名家に養子入り、名主となり、50で隠居、上京して天体観測の勉強をし、日本地図の製作に掛かったのは56歳からであります。

僕、つくづく思うんです。大器晩成と謂う言葉がありますけれど、大業を成すには、前歴や年齢、ましてや学歴なぞ何の関係も無いと。大事な事は素直さであり熱意であり謙虚さ、そう感じますねえ。では最後に、鳥居先生のお言葉を1つご紹介しましょう。

私は学校卒業証書や肩書で生活しない。私は、私自身を作り出したので、私一個人は私のみである。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

しもごおり

Author:しもごおり
OSHブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR