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✾ 宵待草 ✾

何時もの様に早朝に目覚め、ニュースを見ていましたら、明日から日曜日にかけ、西日本は大雪の恐れだとか。雪女 ときに吹雪を 起こしけり、此処数日は、霙に暴風にうろこ雲、何でも大荒れのお天気だそうでして、皆様、どうぞお気を付け下さいませ。

さて、僕、昨晩はどうも寝付きが悪く輾転反側、仕方がありませんから、徒然なるままに枕頭の書を読んでいました。林芙美子の「放浪記」、久方振りの再読でしたが、矢張り巻を擱く能わず、すこぶる面白いですねえ。極貧の中で育った林先生は、幼い頃から夜逃げと転校を繰り返し、尽くし抜いた二枚目の男達には散々裏切られ、女工として、カフェーの女給として、行商人として、下足番までして、必死に働くんですね。其の数々の逆境に負けるかと思いきや、其れにも決してめげる事無く、明るく元気に逞しく生き抜くという、映画にも舞台にもなった、不朽の名作であります。「私は宿命的な放浪者である。私は故郷を持たない。従って旅が故郷であった。」が、冒頭の書き出しなんですが、いやあ、林先生、カッコ良過ぎます!

其の作中、「小さなバスケット一つに一切を託して、私は興津行きの汽車に乗っている。」とありまして、僕、ドキッとしたんです。此れ、正確には上総興津行きでありまして、千葉の外房線のルートなんですね。極めてパーソナルな話で恐縮ですが、僕の本籍は大分では無く千葉なんです。亡父の遺言に従い、彼の故郷である、千葉の大網白里市、という処から本籍を動かしていないんですね。でね、先の林先生が乗った外房線は、此の大網白里にも止まる訳でして、先の文章、今からちょうど90年間に書かれた物なんですが、何だか余計に、彼女に親しみが湧きました。さて、此の大網白里市、読んで字の如しで、何だかお魚が沢山獲れそうでしょ!?其れも其の筈、此の市は、九十九里浜に面していまして、穀倉地と住宅と海浜があるんですね。何とも鄙びた、おっとりして長閑な処でありまして、でもね、太平洋に面した九十九里浜は、一見の価値がありますよ~。そうそう、流石に父の実家がありますから、僕、大網白里には幾度と無く行きましたけれど、鰯と蛤、鯵に金目鯛、葱に大根が美味しいですよ。

江戸期は勿論の事、明治の御代から現代に到るまで、文人墨客が足繁く通ったのが、此の九十九里浜一帯でした。都心から近く、日帰りも可能ですし、海産物は多く、勿論泳げる訳で、多くの文士が足を運びました。先の林先生は、「房州白浜海岸」というエッセイを残していますし、森鴎外は同地に別荘を建て、夏目漱石は「こころ」「草枕」「門」に房総の描写があります。其の他、作家では徳富蘆花、高村光太郎、伊藤左千夫、島崎藤村、国木田独歩、芥川龍之介、山本有三。歌人の佐々木信綱に正岡子規、与謝野晶子に若山牧水らが房総で清遊、其の経験を夫々の作品に反映させています。何れ劣らぬ大物揃いなんですが、そうそう、もう1人思い出しました。待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の遣る瀬無さ、竹久夢二も、此の地で詩を書いていました。

まァ、此の地は温暖で物成りが良く、清遊するにはもってこいでありまして、先の人達が集まったのも分かる気がします。そして、日蓮上人を筆頭に、日本初の精密な地図を造った伊能忠敬、日本人初のハリウッド・スターの早川雪州も、此の九十九里沿いの偉人でありましょう。でね、僕の父がそうだったですし、自分もそうなんですが、人に対し、偏見が無く、フランクに平等に接するタイプなんですよ。国籍も性別も経歴も関係無いじゃん、其の人が性格が良く、優秀でやる気があるなら、幾らでも引き立てよう、というのが僕の生家の家風でして、ですから実家に集まる人達は多士済々、千客万来でした。

どうしてそういう家風だったのか、今になって思い当たるんですが、僕、此の房総の気風が我が家に受け継がれた様に思うんですね。母は宇佐神宮の神主の家でして、父とはしょっちゅう喧嘩をしてましたが、明るくフランクな処が気が合ったんでしょうね。さて、話を戻しまして、房総や九十九里の歴史を遡りますと、極めて公明正大な性格の人達を沢山輩出しています。今日の拙ブログでは、余り知られていない郷土の偉人を3人、ご紹介しましょう。

先ずは幕末に忽然と現れた、真忠組のリーダー、楠音次郎です。彼は、手塚治虫先生の漫画「陽だまりの樹」にも登場、悪役として描かれているんですが、僕の解釈は随分違うんです。と申しますのは、此の真忠組、富裕層である商人達から金銭を取り上げ、貧困層に配るという事をしていたんですね。当時の日本は、身分制度が極めて厳しく、名字を持たない人が殆どでした。ところが真忠組のメンバーは、名字の無い貧困層ばかりでしたが、全員に姓を付けさせ、差別を一切認めなかったそうです。此の自由な勢力を育て、差別の無い世界を造ろうとし、黒船も追っ払う、という運動でして、何だかフランス革命を思わせる様なムーブメントですよね。房総一帯を占拠するも、数か月後には幕府軍に敗れてしまうのですが、楠さん、よく頑張ったと思います。

お次は、海保漁村、という江戸期の学者です。此の先生、江戸期300年を通じて、最も優秀だったのでは、と謂われた儒学者でした。海保先生、元々はドクターでありまして、幕府の御典医--将軍の主治医ですね--の内弟子をしており、其処でも勿論認められていましたから、ご本人が望めば、立身出世は思うがままでした。ところが、幕府の職を擲ち、質素な私塾を開くんですね。其の塾は、身分の隔たりなく常にオープン、誰でも教育を受けられるというシステムでした。此の掃葉軒という私塾から出たのが、埼玉の農家の出身だった、渋沢栄一です。渋沢栄一と謂えば、日本最大の経営者でありまして、彼が造った会社は物凄いんですよ。其の数何と500、主な物では、第一勧銀、各地の地銀、東京証券取引所、東京ガス、キリンビールにサッポロビール、帝国ホテル、お菓子の明治…。此の大実業家の師匠なんですから、海保先生の偉大さが分かります。

最後は、大木市蔵という、日本人で初めてソーセージを造った人です。ドイツ人に習い、研鑽を重ね、全国各地に其の技術を惜しみなく伝え、社内や工場内はまるで、人材育成の学校の様だったとか。僕、感心しましたのは、明治の時代のソーセージですから、流通経路も良くなく、保存も効かないですよね。当時は既に、防腐剤や発色剤はあったそうですが、大木さんは決して其れを使わなかったとか。全てのソーセージは塩漬けにして燻製にし、つなぎも増量剤も添加物も使わず、素材其のままの味を提供していたそうです。どうやら、此のソーセージ、当時の製法のまま、今年復刻されるそうで、是非食べてみたいなァ。

さて、房総の偉大なる先人達の足元にも及びませんが、其れを見習い、生家の家風を守り、僕、当院においても、フランクに、明るく、分け隔て無く、人材育成を精一杯頑張る所存です!其れにしても、今日のお昼は何だかソーセージが食べたいな~。
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