FC2ブログ

✾ 救荒本草略説 ✾

船霊や 風吹けば来る 漢たち、其れにしてもオスプレイの墜落から直ぐの再飛行、吃驚しましたよね。事故後の検証は勿論の事、機体の回収すら未だ終わっていないのに、こんな危険な飛行機をもう飛ばしちゃうんですから、アメリカの野郎、ホントに舐めてます。大体ね、墜落後には、ケネディ駐日大使が、「日本の住民の安全が第一だ。事故原因を調査した上、速やかに情報提供する。」と言ってましたよね。アベや閣僚の面々も、「飛行上の安全確保が大前提」「原因を徹底的に究明する」「安全が確保されるまでオスプレイの飛行を停止する」云々、そう言ってたじゃありませんか。其れが、事故後僅か6日で、オスプレイを飛ばしている訳で、僕、こんな二枚舌、平気で大嘘を付く輩は、全く信用出来ません。戦国期に関東一円を支配した英雄、北条早雲公はこう仰っています。「万民に対し、一言半句にても虚言申すべからず」。自民党の皆さん、早雲公のお言葉を聞いて、如何思われますか?さて、卑近な例で恐縮ですが、昨日、年末のご挨拶に見えられた某社、何度お願いしても、ちっとも約束を守ってくれないんですよね。長いお付き合いではあるんですが、納期はちっとも守らない、随分前から発注したのに品切れ、「善処します」とは口先ばかり、此れが幾度と無く繰り返されまして、あ~、きっと僕が至らないんだろうけれど、うちが舐められてるんだなァと哀しくなりました。でももう良いんです。同業他社も沢山ありますしね、其処と仲良くしようっと!

話を戻しまして、先のオスプレイ、菅官房長官なぞ、再飛行に対し、「理解出来る」とか寝言言ってました。テメエ、妖怪みたいな不気味な面しやがって、何処の国の官房長官なんでしょうか!?日本の国民を守るのがアンタの仕事でしょ!百歩譲って、オスプレイが日本の防衛に必要としても、事故の原因をきちんと突き止めてから飛ばすのが筋でしょうに。本当に此の国は、アメリカ様の奴隷であり家畜なんだと再認識しますし、悲しいなァ…。♪オロオロと 何にも分からず 夢よ希望と同情を乞うて果てる 生まれたときからそう 何をして来た 生まれたときからそうさ 奴隷天国よ ああ無理を承知でまた 繰り返される 屍どもの言い訳 生まれたときからそう 言い訳ばかりさ 生まれたときからそうさ 奴隷天国よ おめえの天国 奴隷天国よ 奴隷天国よ♪現在の日本をあざ笑うかの様な強烈な歌詞ですけれど、此れ、エレファントカシマシの名曲、「奴隷天国」の一節であります。でも此の曲が入ったアルバム、どういう理由なのか、廃盤になったんですよね。アメリカ様の逆鱗に触れたのかしら!?

閑話休題、僕、先週末に、或る新書を読了しまして、感銘を受けました。「織田信長の城」 加藤理文著 講談社現代新書、でありまして、時系列に沿って、信長公が造った城について綴った物です。でね、皆様ご存じと思いますが、信長公が最後に築いたのが安土城であります。実は此の城、何者かの手によって焼失してしまい、文献や城跡で推測するしか無いんですが、先の書には極めて有力な新説が書かれていたんですよ。此の安土城、城だと謂うのに、防御的な機能って、殆ど無かったんですって。其れは僕も知っていたんですが、何故そんな事をするのかは想像もつきませんでした。では安土城の役割とは何かと申しますと、平和や天下統一の象徴であり、ランドマークだった、という事なんですね。つまり、此れだけの富が集中した、広大かつ広壮な城があるという事は、もう戦は無いのだ、という意味を表す訳でして、道理で、完成した際には、安土城は万人に開放されていたそうです。誰でも自由に見て良いよ~♡、そして、少しお金を出せば、信長様にも直接会えて声を掛けて貰えるよ~♡、という事だった由、こりゃねえ、凄い事と思いませんか!?日本全国から万を超す大観衆が集まった由、何だか信長公、今のアイドルの握手会みたいですよね。此の安土城は吹き抜けの6階建てのツイン・タワーであり、能舞台があり、金と朱をふんだんに使った屏風絵が沢山あり、夫々のテーマに沿った庭園も複数あり、夜間の行事の際には様々な色でライトアップ、黒人の召使が居て、信長公が特注の椅子に座り、マントを着て赤ワインを飲み、ヴァイオリン等の西洋音楽が流れてるんですから、其れが今から500年前の事でしょ、そりゃあねえ、圧倒されますよ~♪此れにより、戦乱の世が終わり、平和な世界が来たんだ、此れからは己の生業に精を出そうと民が安心出来るのならば、安土城の果たした役割は計り知れません。今の日本の公共事業の1億倍マシでしょう。

信長公は確かに天才で偉大でしたが、僕、地道に民の為に尽くした人達も又、決してひけを取らないと思えてなりません。今までの拙ブログで、福澤諭吉に広瀬淡窓や帆足万里等、郷土の有名人はご紹介しましたが、地元贔屓で恐縮ですけれど、余り知られていない大分の偉人を2人、今日は綴ってみましょう。

先ずは水郷日田に生まれた、江戸期の大蔵永常先生です。大蔵先生は日田の貧しい職人の子として生まれ、丁稚として働いていたんですね。先生が16歳、元服を迎えて間もない頃、天明の大飢饉が日本中を襲います。此の飢饉、日本の近世では最大の物と謂われていまして、全国の火山で噴火が続き、火山灰が降り、日射量が減り冷害となり、其れが数年続き、数万人の餓死者が出たという大被害でした。先生は一念発起、「皆に役立つ様、効率良く作物を育て、農民が豊かになる術を学ぼう」という事で、日本中を廻るんですね。其の土地土地のご老人から、様々なノウハウを聴き、其れを丹念に記録する事から始めました。奄美諸島に渡り砂糖の精製技術を学び、そして長崎で農業を学び大阪で苗木商人となりました。そして、先生は、自らが培ったノウハウを全国に広めようと、出版活動を始めるんですね。蝋の造り方、稲の干し方、樹皮から繊維を取る方法、そして農具を詳細に紹介、害虫駆除に特産物の育成等々、著した書物は何と79冊、しかもね、分かり易い様に、ご自身が書かれた丁寧な挿絵が、沢山挿入されているんですよ。僕、大蔵先生のお人柄が偲ばれるのが、本の最後に、「より詳しい事を知りたい人は、紹介者もお金も入りませんので、自分の処に来て下さい」とありまして、こういう方が、真の偉人と思いますよね。

お次は、賀来飛霞--かく・ひか、と読みます--先生でして、此の方は大分の豊後大野市のご出身、幕末期のお医者さんの家に生を受けました。賀来先生は、郷土の偉人である、帆足万里の私塾で学び、「人々の命を救うんだ」と医師を志すんですね。しかし、当時は抗生物質も解熱剤もありません。所謂薬草が薬だった訳で、其れを当時は本草学と呼びました。賀来先生は其の本草学を極めるべく、九州全域は勿論、東北や北陸まで足を伸ばし、大量の観察記録と緻密な写生画を残しました。其の詳細なスケッチの数、何と3000枚だそうで、僕、先生の写生画を見ましたけれど、其の精密さたるや、本当に驚きますよ。またね、正確な絵を残さねば、薬草では無く毒草を飲む恐れがあると、賀来先生は絵師に弟子入り、絵の勉強もしたんですね。日本全国の薬草を採取、標本とし、数十冊の著書を残しました。中でも、「救荒本草略説」は、飢饉の際に食用となる植物を紹介、其の料理法まで丁寧に解説し、此れに依り、多くの人が餓死から免れたそうです。因みに両先生とも、利殖や富貴や官位とは全くの無縁、清貧な人生を送られたそうでして、大蔵先生なぞ、付いた綽名が、「金無し大先生」ですって。何だか、多くの人達から親しまれ、尊敬され、慕われたという感じがしませんか!?

僕、此の両先生の様な方にこそ、国民栄誉賞でも差し上げたらと感じますし、現政権の薄汚い面々より余程、民の為に尽力されたと思いますよ~。アベ君には、両先生の爪の垢でも煎じて飲んで欲しいですよね!
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

しもごおり

Author:しもごおり
OSHブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR