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サウスポー

さて、今宵は当院の忘年会でして、スタッフ全員はとても無理にしても、其れでも200人ぐらいは来られるのかな。今年も何とか無事に、忘年会を迎える事が出来て何よりです。ところで僕、会の冒頭にご挨拶するんですが、今日は何を喋ろうかしら!?僕、挨拶は苦手ですし、ちっとも上手では無く、今でも下手なんですが、あんまりあがらなくなりました。僕、良く聞かれますのが、「挨拶の秘訣は?」、というご質問なんですよね。挨拶が不得手だった僕ですけれど、もしも以前よりは聴ける様になったとすれば、やっぱり場慣れした事でしょうか。結婚式やら式典やらで、随分スピーチしましたもんね。そしてね、此れ、あがらない秘訣として親友のMさんから教えて貰ったんですが、「第一声を大きく出す事」、らしいんですよ。試してみたら案の定、声を出す事によって途端に落ち着きますから、皆様、是非お試しあれ。そしてね、人前であがるのは、自分を良く見せようという心理から来るそうでして、普段着でスピーチする心算ならば、きっと上手く行くと思われます。そして、早口になりがちですから、ゆっくり喋る事ですかねえ。とか何とか、偉そうに言っている僕が、今日は滅茶苦茶にあがって、噛みまくったりして…。そうそう、高校の入学式の際、教頭先生だったかな、立派なご挨拶の後、緊張が解けたのか、演壇から降りる際、階段から滑り落ち、ひっくり返って館内大爆笑だった事がありましたね~。話を戻しまして、きちんとした挨拶をするには、やはり其の人の人生経験や学識に見識が出る物でしょうし、そこら辺を考えたら、辿り来て未だ山麓、僕のスピーチなぞ、稚拙で未熟で幼稚な物でして、赤面する思いです。

閑話休題、三浦長井の きはだまぐろは 肌こがね 目ん玉澄みて えら真っ赤っか、という秀句があります。此れを詠んだのは、明治の歌人、中島治太郎という方なんですね。カラフルでビビッドでべらんめえ口調、如何にも新鮮で、刺身で食べたくなる様な描写でして、将に其の人のオリジナルな句ですし、僕、どういう方か不思議に思ったんですよ。で、調べた処、此の中島さん、明治期の筑地市場の大旦那だった由、何十年もお魚の仕入れをしていたんでしょう、其の鋭い観察眼が短歌に活かされ、先の秀句となった訳でして、一芸に秀でたる者は百芸に通ずとは此の事ですよね。僕、成功する人って、2パターンある様に感じます。1つは、様々な分野を経験し、其れを自分の職業に活かす人。もう1つは、1つの分野だけを突き詰め、真理を掴む人。僕、方法論が異なるだけで、どちらのパターンも素晴らしいと思います。

僕、日本の産んだ喜劇役者の中で、ベスト5に入ると思いますのが、故三木のり平さんなんです。社長シリーズのギャグ、一世を風靡した、「パ~ッといきましょう」で有名ですけれど、のり平さん、喜劇役者として身を立てるまでは、もう本当に様々な仕事を経験されているんですね。のり平さんの生まれは都内の浜町ですから、今の明治座の裏手辺り、人形町に程近く、水天宮で産湯を使った下町育ち、お父さんは精神科医と謂いますから、僕達の大先達であります。当時の人形町や浜町は所謂花街、芸者衆の住む町で生まれ育った訳ですから、のり平少年、三味線やお琴の音を毎日の様に聴き、ご自身も楽器を扱う様になりました。又、映画館やお芝居小屋に日参、此れが後の役者業の基礎になったんでしょうね。そして、中高生の頃は、ボクサーとしてプロのリングに上がりながら実は画家志望、残念ながら美大を落ちて日大芸術科へ進学します。裏方から役者となり劇団を結成するんですが、東京大空襲で全て焼けてしまいます。其の後、食べる為に博徒の子分をし、そして食糧難ですからパン屋を開き、米軍相手の闇屋をし、世の中が漸く落ち着いた頃、落語家を経て喜劇役者として再デビューするんですね。其の後は快進撃でありまして、映画に舞台、そして演出家として八面六臂の大活躍でした。のり平さんの才能を端的に表しているのが、海苔の佃煮の桃屋のCMでしょうねえ。其の桃屋の広告ですけれど、CMから挿絵からコピーから、何十年ものり平さん自らが手掛け、未曽有のロング・セラー商品となりました。ううん、江戸むらさきの「ごはんですよ」、何だか食べたくなりました~。

そして、天才と謳われたレオナルド・ダ・ビンチ、ありとあらゆる芸術から、数学医学土木に天文、物理地学に気象に動植物に至るまで、全てに長けた超人でした。今から600年前に、ヘリコプターや戦車や太陽光発電の概念を理解、其のスケッチを描いてたってんですから、こりゃもう、超人間でありましょう。でね、大層乱暴な人もあったもので、幾ら天才のダ・ビンチでも、喧嘩は弱いだろうと、いきなり殴りかかったんですって。そうしましたら、ボクシングの心得でもあったのか、見事なパンチを喰らわして、相手をKOしてしまったとか。流石はダ・ビンチ、喧嘩も上等だったんですね!

さて、其のボクシング、ダ・ビンチが暴漢をKOしたよりもっともっと以前、遥か彼方の昔から行われて来ました。何と紀元前の古代ギリシャやエジプトで行われていまして、当時は体重制も無く時間は無制限、拳には革紐を巻き、リングも無くクリンチは不可だった由、近代ボクシングとは異なる、殺伐とした格闘技だったでしょうねえ。其れが、何十世紀もの時間を掛け、徐々に現在のルールが出来上がった訳です。ですから僕、ボクシングは最も洗練された格闘技と思いますし、世界チャンピオンとは、諸外国では格段の敬意を払われる存在なんですよ。どうもね、我が国では、其の世界的な常識が欠けていますから、世界チャンピオンの扱いが絶望的に軽いですもんね。かっての名チャンプの1人、輪島さんなんて、TVに出演した際、ご自身のお店が団子屋さんとは謂え、両手に団子を持たされ、コメディアン以下の扱いをされていまして、僕、相当憤慨しましたもん。

つい先日、グローブを壁に吊るし、引退を表明した長谷川選手、日本ボクシング史上に残る、名ボクサーでした。3階級制覇の偉業は勿論の事、常に相手と打ち合う勇敢なファイト・スタイル、勝負勘と度胸の良さ、素晴らしい連打とカウンター、誰をも魅了したと思います。僕、長谷川選手の凄味を感じましたのは、これまた名チャンプである山中選手の言葉でした。「長谷川さんは最近は怪我が多かったけど、其の理由が分かりました。本当に限界を超える練習をしていました。」ですって。一芸を極めるには、其処まで自分を追い込まねばならないのか、身が引き締まる思いがしました。結局、長谷川選手はチャンピオンのまま引退した訳で、最高の引き際かもしれません。最後の試合となったウーゴ・ルイス戦も、凄まじい激闘でしたもんね。でも僕、長谷川選手で最も印象に残るのは、タイの英雄、ウィラポン選手との試合でした。ウィラポン選手は、キック・ボクシングで名を馳せ、ボクシングに転向後、何と4戦目で世界チャンピオンになった、タイが産んだスーパー・スターでした。辰吉選手を2度に渡り失神させ、当時のホープであり後にチャンピオンになる西岡選手を子供扱い、14回連続防衛という大記録を残したんですね。ややスピードに欠けるものの、強烈なパンチと、基本に忠実なボクシング・スタイル、そして常に冷静沈着で練習熱心、だって、リングの横で寝泊まりしてまして、こりゃとても勝てないと思わせました。其の難攻不落のウィラポン選手を、見事倒したのが長谷川選手でして、KOパンチは、凄まじい切れ味の右フックのカウンターでした。此れを打つが為に、何万回と練習して来たのでしょう。強敵から決して逃げずに戦い、お客さんを沸かせ、そして見事に勝つ、僕、真のプロフェッショナルを見た思いがしました。亀の字が付く、名ばかりのチャンピオンの兄弟が居ましたけれど、彼らとは大違いでありました。希代の名チャンピオン、長谷川選手の第2の人生に幸あらん事を。

一芸を磨くにせよ、他分野の世界を広く知りつつ己の芸を確立するにせよ、どちらもプロと思います。でもね、今の日本って、政官財のどの分野にも、真のプロフェッショナルが欠けている気がするなァ…。よし、とりあえず今日は、ウコンを飲むのを忘れず、お酒は呑み過ぎない様、忘年会を楽しんで来ます♪
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