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読者の皆様、おはようございます!僕、昨夕に大分に戻りまして、佐賀方面に仕事で行っていたんですが、いや~、寒かったです。そりゃそうですよね、もう煤払いに事八日に柚子湯の時分ですから、冷たい木枯らしが吹いて当然なのですけれど、分かってはいるんですが、寒かったなァ。でね、僕、割と出張も多い方ですし、根っからの旅好き、日本全国津々浦々、そして世界各国のホテルに泊まり、色んな場所で朝食を摂って来ました。インドのデリーでのブリティシュ・スタイルのフル・ブレックファースト。ネパールのカトマンズでは朝からカレー。韓国釜山では朝から激辛クッパ。サンフランシスコのターキー・サンドイッチ。タスマニアのフィッシュ&チップス、バンコクや香港のお粥、台北の肉まん。メキシコのトルティーヤ、シドニーの焼売、ジャカルタのビーフン。旨い物も不味い物もありましたし、どれも鮮烈な印象が残っていますが、日本人はやっぱり和食ですよね~。前の晩の酔いを醒ます様に温泉に浸かり、新しい浴衣に着替えて部屋に戻れば、もう床は片付きご飯の用意が出来ていて、焼海苔に梅干し、干物に板わさ、烏賊刺しに湯豆腐、ご飯にお味噌汁に漬物、大根おろしに煮物に出し巻き、お浸しに酢の物、「お姉さん、先ず麦酒を1本、其の後にご酒を1本つけて…」と謂いたくなりますけれど、まァこんな豪華な朝餉なぞ、滅多な事では食べられません。

僕、画一化されたビュッフェ・スタイルは其処まで好きじゃありません。でもね、昨日泊まったビジネス・ホテル、感心したんですよ。僕、結構各地のビジネス・ホテルに泊まりましたが、民間の企業努力には毎回ほとほと頭が下がるんです。シングル1泊6000円の処でしたが、朝ご飯が無料でして、其の内容には吃驚しました。40品目も用意してありまして、ご飯にお味噌汁にパンにスープ、ひじきに煮物に鮭の塩焼き、各種卵料理にきんぴらごぼうにウインナー、色とりどりのサラダにジュースにヨーグルト、みかんに納豆に切り干し大根、もう、此れだけあって無料だなんて、ありがたいありがたいと、朝から感謝して頂きました。

閑話休題、75年前の今日、日本海軍の大艦隊は、洋上での朝食を沢庵と握り飯と番茶で済ませた後、ハワイを空襲、同地に停泊していた米軍艦船10隻に、多大な損害を与えました。此れにより米国は日本に宣戦布告、4年半に及ぶ太平洋戦争が始まりました。其の結果、ご存じの様に、日本側は300万人を超す病死傷者を出す大敗北となった訳です。僕、其れが悔しくて悔しくて、また、どうしてこんな悲惨な事になったのか、何故負けたのか、其の理由を知りたく、兎に角関連書を読み漁ったんです。恐らく、段ボール10箱ぐらいは優に読んだと思うんですが、其の結論は、「勝ち目無し!」でした…。

数字は嘘をつかないと申します。此れ、戦前のデータを見れば一目瞭然でして、ざっと拾ってみましょうね。最も分かり易いのが、日米両国が戦時中に造った、武器の数でしょう。前者が日本、後者がアメリカです。先ず戦車ですが、4524台と77247台の大差です。そして飛行機ですが、79123機と324750機となります。そして軍艦ですが、228隻と755隻でして、これまた圧倒的な差ですよね。戦車では17倍の、飛行機では4倍の、軍艦では凡そ3倍の差を付けられている計算です。おまけに、両国の石油の産出量なぞ、1対1000万ぐらいの差があります。此れ、要は国力の差が其れだけ大きかった、という厳然たる事実でして、此の数字の前には、当時の日本が選んだ、戦争と謂う選択は、無謀極まりないという事になりましょう。僕、どうなのかなァと思いますのが、アベ総理、真珠湾の平和式典に参加するそうですが、此のヒトの爺さん、岸信介は戦争中はずうっと大臣を務めた訳で、A級戦犯として、刑務所に入ってたでしょ。其の孫が真珠湾に行って歓迎されるのかしら!?

其れはさておき、上記の、甚だしい国力の差--当時の日米の経済力は、諸説入り乱れていますが、4~10倍と言われています。--に加え、日本は中国とも、泥沼の長期戦を戦っていました。となりますと、ただでさえ国力の差があるのに、日本は中国・米国両国と戦っていますから、乏しい戦力を二分する事になります。おまけに、日本の陸軍と海軍は犬猿の仲なんですね。田舎臭く野暮天で主観的な陸軍、ハイカラで洗練され客観的な海軍では、水と油でして、共同で作戦を立てても、ちっとも上手くいかないんですよ。例えば当時から国際都市だったシンガポールを日本が占領した時の事ですが、僕も泊まりましたけれど、同地にはラッフルズ、という超名門ホテルがあります。シンガポール・スリングというカクテルの発祥の地ですが、此処に、日本陸軍と海軍が同宿したんですね。夕食時に陸軍は、浴衣に草履姿、日本酒に酔って赤ら顔でウェイトレスにセクハラ、そしてレストランのバンドに炭坑節をリクエストする始末です。海軍さんは、純白の軍装にきちんと身を包み、クラシック音楽を演奏させ、正式のテーブル・マナーに法って、カクテルに始まり食後は葉巻とブランデーを嗜み、ウェイトレスにはさり気無くチップを渡したとか。僕、陸軍の様な体育会系で無神経で田舎者の、下司で下品なスタイル、大嫌いですし、でも、未だにこういう輩は沢山いますよね!?

そして、当時の日本を牛耳っていたのは、陸軍であり、そしてアベの爺さんの岸の様な高級官僚でした。僕、絶望的な思いがするんですが、彼らは、経済とはどういうものか、全く分かっていなかったんです。戦前の日本の経済構造は、今と全く変わっていません。即ち、原材料を輸入し、加工して輸出して儲ける訳です。尤も、当時の日本の重工業は発達していませんでしたから、綿製品関連の輸出入がメインだったんですね。日本の生糸をアメリカに輸出→其の利益でアメリカから綿花を輸入→綿花を綿製品に加工→インドや豪州に輸出、という大きな流れでした。ところが、戦争を起こしたもんですから、先のアメリカもインドも豪州も敵国となりまして、当然此の産業形態は壊滅です。其の代わり、占領した東南アジア各国から天然資源を持って来る、という発想でした。でもね、上記の飛行機や船舶の差を見て下さいよ。日本へ向かう輸送船の殆ど全ては皆、米国の爆撃機や潜水艦に沈められてしまうのでした…。

整理します。物資も国力も、人口も資源も、米国の何分の一でしか無い。国際情勢も経済も民心も理解せず、主観的で自我肥大な、そして夜郎自大な大馬鹿者の独裁者が、政府を動かしている。共同して戦うべき陸海軍は不和。こんな絶望的な状況で、山本五十六さんは連合艦隊司令長官となった訳です。其処で、ハワイ作戦を立案し実行するんですね。

実は山本長官、非常に魅力的かつ、国際情勢を熟知し、インテリジェンスに満ち溢れた、素晴らしい方でした。雪深い越後の長岡藩の、家老ですが貧乏な侍の家系に生を受け、海軍に入り頭角を現したんですが、大変な勉強家であり読書家だったとか。其の日々の努力が実りまして、ハーバード大に長期留学、米英両国での勤務経験も長かったんですね。休暇の際には、米英両国の国内は勿論、視察を兼ねて近隣国の旅行にも頻りに行っていましたから、明治生まれの人にしては、大変な国際人だったと思います。各艦の艦長を務め、海軍航空隊を大きく発展させた様に先見の明があり、将棋とスイーツをこよなく愛し、部下思いの熱血漢であり、お洒落でお茶目、軽妙洒脱でフランクな人柄であり冗談が大好き、芸者衆にも大層モテたそうですが、そりゃあ、こんな人なら、男女とも惚れちゃいますよ。実際、一度でも山本長官に接すれば、皆心服したそうです。誰よりもアメリカの強さを知り尽くし、日米戦争を避けるが故に右翼や陸軍に命を狙われた人が、真珠湾攻撃を指揮した訳で、神様って意地悪だと思いますけれど、僕、山本長官の絶望と孤独を思うと、涙が出ますよ…。国力で大差がある以上、アメリカに勝つには、大博打を打って、開戦早々、敵の根拠地のハワイを奇襲で叩く、という長官のお考えでした。戦前、山本長官が頻りに言われていたのが、「テキサスの油田と、デトロイトの自動車工場を見れば、アメリカ相手に戦争をすべきでない」です。そして、真珠湾攻撃、シンガポール陥落と、開戦半年間は海軍は連戦連勝、十万単位の国民から、山本長官を絶賛する手紙が届きました。でも、長官は何れ来る敗戦を予期していたのでしょう、「何れ、此の人達が、俺の家に石を投げに来るよ」と仰っていたとか。そして、長官が南太平洋の最前線を飛行機で視察中、アメリカ空軍の待ち伏せに遭い、戦死を遂げてしまいます。山本長官の戦死後、日本には勝機は1度も訪れませんでした。

今、此の国は、妙な為政者によって、如何にかして戦争をしようとしている様に思えます。僕、全面的に戦争を否定するものではありません。此の国の独立が侵されそうになった場合は、断固として立つべきですが、どこぞの総理の様に、無闇矢鱈と銃を振り回そうとするのは、大馬鹿者です。山本長官の様な優れた方ですら、真珠湾攻撃の直前まで、和平の道を探っていたんですよ。僕、アベ総理は、阿川弘之先生が書かれた名著、「山本五十六」を、100回読むべき、そう思えてなりません。
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