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箱根の坂

読者の皆様、おはようございますm(_)m。三連休の最終日の今朝、此処大分は台風接近中でありまして、生憎のお天気ですが、皆様は如何お過ごしでしょうか!?折角のお彼岸ですし、僕、墓参に行くべきか否か、空を睨みながら、とつおいつ悩みに悩んでいます。どうもね、大分は暴風圏内に入りそうですし、台風一過、晴天の下の墓参の方が、ご先祖様も喜ぶんですかねえ!?

さてさて、昨日一昨日と僕、ボクシング世界戦を堪能しました。WBCバンタム級は山中選手が、WBOスーパーウェルター級はアルバレス選手が、見事過ぎるKO勝利を収めました。予想の範囲内とは言え、共に難敵を下しまして、両者の更なるビッグ・マッチが期待出来そうです。山中選手は伝家の宝刀の左ストレート、アルバレス選手は弧を描く左のボディ・ブローが炸裂、将にリアル・ディール、ファンを喜ばせ、お金が取れる、真のプロ・ボクサーの仕事でありました。技術的には、山中選手はディフェンスが、アルバレス選手は連打が出ない点に、画竜点睛を欠きますけれど、豪快なKOを続けて欲しいものです。でね、僕、見ていて感心したのは、敗者の側だったんですね。山中選手の相手のモレノ選手は、技巧派のサウスポーでした。アルバレス選手の相手のリアム・スミス選手は、根性のあるファイターです。共に好選手でしたし、待てば海路の日和あり、グローブを壁に吊るす事無く、頑張って欲しいものです。そして、此れ、ボクシングの魅力の1つなんですが、国籍や経歴や戦歴なぞ全く関係無く、同じウェートで戦う訳で、限りなくフェアに近いですもんね。もう1つの楽しみは、選手達のバック・ボーンです。僕達日本人が思っているより、海外のボクサーは国や人種を背負って闘っていますから、より感情移入する訳ですね。モレノ選手はパナマの、スミス選手はアイリッシュの、アルバレス選手はメキシコの威信を賭けて戦っており、道理で国歌斉唱の時点から大歓声となる訳です。其れだけ皆、ご自身のルーツを大事にしている、という事でありましょう。面白い事に、国毎のボクサーのタイプもあるんですよ。ドイツは理詰めで常に距離を保ち堅実なボクシング、ちっとも面白くありません。中南米系は柔らかいボクシングで天才肌。メキシカンは勇敢な打ち合いでガードが堅く、ボディ・ブローが上手。韓国はラッシュ。タイはキックボクシング出身が多く、タフ。

閑話休題、お彼岸という事もあり、柄にも無く僕、連休中は来し方行く末を考え、ご先祖様に思いを馳せておりました。母方は蜷木--になぎと読みます--姓であり、代々宇佐神宮の神官を務め、越前守だったかな、官位を貰った古い家柄です。父方は大藤、おおふじと読むんですが、相模国を手始めに、関東一円に割拠した北条氏の家来でありました。どうやら山賊紛いのゲリラ戦を展開していた由、ホラ、上杉謙信の有名な逸話に、「敵に塩を送る」という諺がありますよね。決着は正々堂々、戦場で雌雄を決そう、塩を送らないなど兵糧攻めはしない、という男らしい格言であります。ところが其の塩を送る道中で待ち伏せ、其れを襲い、盗み出していたのが、我がご先祖様の大藤氏なんですよ、トホホ…。僕、文献で其れを読みまして、顔から火が出て参りました…。北条氏滅亡の後、ちゃっかり徳川側に付いた様でして、神奈川周辺に田原という小城を貰った時期もあった由、我がご先祖様も、其れなりに有能だったのかもしれませんね。僕の個人史になってしまい、大変恐縮なんですが、其の大藤氏、元を辿れば、紀伊国、現在の和歌山県の生臭坊主だった由、どうやら当時貴重だった鉄砲を北条氏にもたらした功績があり、其れで先の田原城を貰えたのかな?さて、其の田原城、神奈川県の厚木の先、秦野市にありまして、山賊らしく、山の中の小都市なんですね。僕、其の地名を知り、ハハアと思った事があります。

秦野市の秦、此れは渡来系の秦氏の人達が住んでいた事を意味します。大藤氏も和歌山から来た外様でしょ。北条氏の本拠地である小田原からは少々距離があり、大藤氏は、其の外様達をまとめる役割をさせられていた可能性大と言えましょう。こういう街の作り方、京都でも同様ですもんね。さて、其の秦野市から電車で20分程度の山中に、足柄峠があります。此の足柄峠に割拠し、北条家の家臣だったのが、彼の有名な忍者である、風魔小太郎であります。あくまで僕の想像ですけれど、秦氏はチベット或いは韓国をルーツに持ち、新田開発や土木、養蚕や治水に長けていたとか。大藤氏は先に触れた様に、鉄砲を持ち込み山賊働きをしたと。そして風魔一族なんですが、恐らく国境沿いに居て、敵の侵入を見張っていたんでしょうが、此れが興味深いんです。当時の文献に依れば、風魔小太郎の風体は、「身の丈七尺二寸--此れ、2㍍を優に超えます!--あり、筋骨逞しく、目広く大きく黒髭、頭大きく鼻高し。馬術に長け云々」とあるんですよ。僕、初めて此れを読んだ時、直ぐ思いましたのが、皆様も同様でしょうが、風魔一族は日本人じゃないな、という事でした。

ジャイアント馬場並の身長を持ち、筋骨隆々で鼻が高く、黒髪で目が大きい。此れ、どう見てもアジア系ではありません。僕、此の推測には自信がありますが、風魔一族、恐らくはペルシャ系のアーリア人、現在のイランの人達だった気がします。ならば、馬術に長けているのも納得なんですよ。誰もが1枚はお持ちであろう、ポロシャツ、此れはポロというスポーツの際に着ていた事から其の名が付きました。ポロというスポーツ、日本では余り馴染みがありませんが、馬の上に乗り、ボールを取り合うホッケーの様な物ですよね。実は此のポロ、紀元前のペルシャで生まれたスポーツなんです。ねッ、辻褄が合うでしょ。

実は中世の頃の中国は、シルクロードの存在で分かります様に、多くの人種が交易で行き来する、貿易大国でした。実際、商人達は、欧州や中近東から、酷暑の砂漠や険しい山脈を超えて行き来する訳です。飲食物の不足、得体の知れない病、追い剥ぎ等々、命に関わるトラブルも頻発した事でしょう。帰路を厭い、其のまま北京なり長安なり、住み着いてしまったペルシャ人も少なくなかった筈です。7世紀といいますから、日本の平安期には、広東省にペルシャ人の大居住区があったそうですもんね。実際、正倉院に来た遣唐使の中には、ペルシャ人が居た由、其れが奈良期の続日本紀に記録されているんです。当時の中国は離合集散に合従連衡の連続、果てしない内戦が続いていた訳でして、其れを嫌い、本国は遥か彼方ですから、其処で海を渡った新天地、日本を目指した人達も間違い無く居た筈で、其れが風魔一族だったのかもしれません。

僕、当時の戦国大名の懐の深さ、器の大きさに感心します。秦・大藤・風魔の諸氏が仕えた北条氏は、凡そ100年の間、関東一円を支配した大大名でありました。チベットや和歌山やペルシャにルーツを持とうと、有能で裏切らなければ、きちんと評価して信頼する訳でしょ。当時の北条氏の領地では、税金はMAXで40㌫まで、飢饉や天災の非常時には、減税や炊き出しもありました。かって大地震があった、京阪神や福島や熊本で、果たしてそんな援助をしてくれたでしょうか!?しかも、大藤氏の様に山賊も家来とし、彼らが市中を取り締まる訳ですから、治安も極めて良好だった由、何だか平成の日本よりも余程住み易い気がします。時の為政者は、大いに歴史に学ぶべし!声を大にして言いたい処ですよね~。

さて、今日は僕の個人史のお話となり、大変恐縮でありました。では皆様、天気予報にはどうぞお気を付けて、三連休最終日を引き続きお楽しみ下さいませ。明日又お会いしましょう( ´ ▽ ` )ノ
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