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❀ 敷島の 大和心を 人問わば 朝日ににほふ 山桜花 ❀

はてもなく 菜の花つづく 宵月夜 母がうまれし 国美しき、与謝野晶子の素晴らしい句と思いますけれど、皆様、今の日本って、如何思われますか!?いえね、僕、昨日、溜まりに溜まった本を当院に寄付すべく、豪雨の中、タクシーを使って運んでいたんですね。渋滞となり、自然と世間話をしていたんですが、大分のタクシーの運転手さん達は、様々な要請を受け、しょっちゅう熊本に行っているとか。「いやあ、熊本城も水前寺も酷いもんですよ。道路はひび割れたり陥没してるし…。倒壊した住宅は其処彼処に見ました。ありゃあ、完全に復興するには、数年掛かるんじゃないですかねえ。そうそう、駐車場には車がびっしり止まってまして、皆さん、其処で寝泊まりを続けているみたいですよ。本当に大変ですねえ…。」ですって。

実際ね、新聞各紙を見ましても、運転手さんのお話を裏付ける様な記事ばかりでした。大地震から1か月が過ぎたというのに、避難所には未だ、1万人を超す人が、極めて不自由な生活を強いられているそうです。仮設住宅の入居開始には、早くとも後1か月は掛かるとか。罹災証明書の発行も遅れに遅れ、行政は経験不足、熊本市長のコメントを読み、僕、天を仰ぎましたよ。「地域の方々と市の職員が、普段からもっと連携が出来ていたら…」ですって。あのねえ、市の職員が、いざという時の、住民のお役に立てずにどうするってんですか、日頃からボヤーッとして、何にもしてないんでしょうね、此の昼行燈!此のあんぽんたん!此の抜け作!そしてね、車中泊やテント泊の方々には殆どフォローが出来ていないそうですし、もう直ぐ梅雨が来ますけれど、其の対策は大丈夫なの!?ライフラインの復旧は当然として、持病を抱えた方の通院や、子供達の学習、そして被災者全員の心のケア等々、行政は右往左往するばかり、的確な手段を打てない様子です。今朝の産経新聞に依れば、全国のベテランのボランティアの方々がリーダーシップを取り、積極的に動いてらっしゃるとか。ボランティアの方々には、本当に頭が下がる思いですし、燃料や食材まで自分達で確保して、被災者に振舞っておられるそうです。素晴らしい方々ですし、当院では、今の所は募金しか出来ませんけれど、熊本方面に向かって、最敬礼でありましょう。またねえ、市側のコメントは何処と無く他人事でして、「ボランティアの方々は心強い」「早く来て欲しかった」「ボランティアがどれだけ居るかも把握出来ていない」「ボランティアの力を積極的に借り、ノウハウを共有すべきだ」って、何処まで上から目線なんですか!?本来ならば、熊本市民の血税で食べさせて貰っている、市の職員が主体となり、全力で復興に取り組むべきでしょう!コイツらの無為無策ぶりには、本当に腹が立ってなりませんよね。

僕、以前の拙ブログで、病院船の建造や、移動式食糧車や、3Dプリンターに依る仮設住宅造りを、と提言して来ましたけれど、所詮は蟷螂の斧、何も具体化してないんです…。欧州では、巨大3Dプリンターに依る仮設住宅建設は常識らしく、1日5軒ぐらいは直ぐに造れる筈ですよ。そしてね、各市町村は予算を割いて、プレハブとか、トレーラーハウスとか、備えあれば憂い無し、色々と用意しておくべきでしょう。でもなあ、此の国の政治の最高責任者が、あの無能ぶりじゃあねえ、現場の市の職員の皆さんが、幾ら頑張っても報われないのかもしれませんね…。公務員の皆さん、若輩者の暴言多謝で、どうかお許し下さいm(__)m。

と申しますのも、さっきネットで、安倍総理の大学時代の恩師である、成蹊大学法学部加藤節教授が、取材を受けている記事を見ました。「安倍晋三くんは、無知で無恥な、ずるい政治家です」というタイトルでして、まァ一刀両断に切り捨ててまして、僕、快哉を叫びました。「彼は歴史を知らない。本当に姑息で、過去への敬意が全く無い。ズルをする。自分の都合の良い解釈をして後の事は何も考えない。実に危険な考え方です。無恥で無知としか言いようがない。政治家のやる事ではありません。」とまァ、こんな塩梅でして、痛快至極でした。でもね、自分の場合に置き換えて、もし僕の院生時代の恩師のC教授やM先生に、こんな風に罵倒されたら、頭を丸めて護摩の火に焼かれ、雪中で滝に打たれるぐらいショックですよ、トホホ…。

其れにしても、安倍総理の地震対策、余りに too late 、後手後手を踏んでいる様に思えてなりません。と申しますのは、先の加藤教授のコメントにもありましたが、総理、日本史の勉強が些かというか随分足りないんじゃないでしょうか。ではでは、僕ですら知っている、日本のかっての地震対策について綴ってみましょう。とは言っても、地震そのものは、今でも防げない訳でして、震災の後の、為政者の政策ですね。

さて、我が国は謂わずと知れた地震国でありまして、数えきれない程の、幾多の震災に見舞われました。先ず、平安期に起きたのが貞観地震でありまして、あの福島と同じ三陸沖が震源地でした。朝廷は特使を派遣、報告を受け修理府を新設、当時の東北には、蝦夷--アイヌの人達のご先祖ですね--と日本人が混在していましたが、決して差別せず救護に当たる様、お触れが出たそうです。全ての犠牲者は出来うる限り丁寧に埋葬し、被災者に対しては、租税と労役を完全に免除したんですね。そして、京の都では、犠牲者の御霊を敬い鎮めるべく、大きな祭りを開きました。此れが、863年から連綿と今に続く、京都の祇園際であります。

そして戦国期、関東を統べるのは、北条氏康という大大名でした。昨日も埼玉を震源地として、大きな地震があった様ですが、当時の関東も同じだったんですね。氏康公が関東全域を治めていた其の時も、地震が頻発、民が土地を棄て、頻りと逃散する有り様でした。氏康公が執った政策は、大減税と簡素化だったんですね。今の日本もそうですけれど、固定資産税から消費税から、所得税から県民税から、まァ雑多な税金が沢山ありますよね。戦国期もそうだったのですが、氏康公は、「関東の民が苦しんでいる以上、従来の方法ではどうにもならぬ」と、全ての税金を一本化、収入の1割だけで宜しいと、大減税を行いました。又、壊れた家屋の再建の為に、徳政令を敷きました。此の徳政令、今までの借金は払わなくて結構、というものでして、大減税と税金の簡素化と借金を無くす事により、大地震後の関東地方は見事に復興、より豊かな街になったとか。

掉尾を飾るのは、江戸幕府の災害復興政策です。先ず、「お炊き出し」ですね。此れ、被害者1人につき、1日3合のお米を支給するというものでした。老人や子供には、お粥も焚いたそうでして、其れが3か月続いたとか。お次は「お救い小屋」です。此れ、仮設の避難所でありまして、1000坪以上の建物を、僅か数日で建てたそうです。此れね、用意周到だなァと感心しますのは、予め資材はストックしてあるんですって。其の地域内の建設会社、当時は土方と呼んだんでしょうが、天災時には「直ぐに避難所を建てる様に」と契約してたそうですよ~。最後に施されるのが、「お救い米」でありまして、此れは、米麦に味噌醤油といった生活必需品を支給する由でした。昔の人は偉いなあと感心しますけれど、此れ、被災者が元の職に復帰出来るまで続けたそうですよ。そして、奉行所の同心や与力が街中をくまなく調査、連日連夜、市民の前で直接、正確な被災状況を説明したとか。避難場所や焼失地域を記した瓦版も配られます。又、湯屋、今でいう銭湯は無料開放ですし、近郊からは髪結いまでもが集結、現在ならばそうですねえ、移動式美容院の様なものでしょうか。そして、震災が落ち着いてからの〆として、奉行所は肌理細やかな聞き込みをします。何処ぞのお婆ちゃんを救った、子供の手を引いて安全な処まで誘導した、お爺ちゃんを火事場から助けた等々、こういう善行には、ささやかですが、幕府から金一封と賞状を出したそうです。

袖振り合うも多生の縁、江戸期の日本には、相互扶助の精神がしっかりと根付いていた、という事でありましょう。僕、涙が出る思いですよ。此の当時の日本ならば、冒頭にご紹介した、母がうまれし 国美しき、の句が相応しいんですがねえ…。賢明なる読者の皆様には、かっての日本の為政者の姿と、平成の今と、どちらが優れているか、聞く事すら野暮の極みですよね~。アベ君、少しは日本史を勉強して頂戴ね、お分かり!?
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