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☨ ロレートの聖母 ☨

フランス南部に、トゥールーズという街があります。煉瓦から成る家々の色合いから薔薇色の街として知られ、「星の王子様」のテグジュベリの所縁の地であり、世界遺産のサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路でもあります。僕にとっては、ブルゴーニュでは無くトゥールーズ風エスカルゴと、フランスきってのラグビーの街、という印象が強いですねえ。さて此のフランス、藤田嗣治画伯や永井荷風散人を筆頭に、多くの文人墨客が憧れた地ですよね。ルウブルは われには無限の 感ふかし ボチツエリひとつに 相対しとも、此れは斎藤茂吉の句ですけれど、先のトゥールーズ郊外の民家の屋根裏から、古ぼけた絵画が出て来たそうなんですよ。埃を払って調べてみた処、何と、カラバッジオの作品らしいんですね。カラバッジオと謂えば、イタリアのバロック期を代表する画家でありまして、明暗のコントラストと、正確無比な写実主義で知られた大家であります。どうも此の絵には、150億円の値が付くのでは、という事でして、もう僕なら腰を抜かして泡を吹く処でありましょう。真贋は未だはっきりしないそうなんですが、僕、其の画像を見ましたけれど、何だかカラバッジョ風のタッチでありまして、持ち主は暫くの間、落ち着かないでしょうね~。

さて、其のカラバッジョが牽引したバロック絵画ですけれど、色合いは濃い目、先に触れた様に明暗がはっきりしているのが特徴でありましょう。ルーベンスにベラスケス、ヴァン・ダイクにレンブラントが有名ですけれど、最も人口に膾炙しているのはやはり、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」でしょうか。僕、此の絵は数年前に東京国立博物館で観ましたけれど、連日の猛暑が続く中、立錐の余地も無い大盛況、其の悪条件の下、少女の背景の漆黒が、強く印象に残っています。此れ、只の黒ではありませんで、恐らく重ね塗りしているのでしょう、ちらちらと赤や青や緑の点がちりばめられ、何だか星空の様でした。

さて、此のバロック絵画の大家達は、互いに影響を受け合ったのでしょう、皆さん殆ど同世代の人なんですね。1600年前後に生まれた人達ばかりなんです。本邦で謂えば、徳川幕府が成立するかしないかの頃、長い長い江戸時代の始まりの時期であります。日本は、謂わずと知れた鎖国政策を取った訳ですけれど、長崎の出島だけが、異国へと繋がる窓として、開いていました。此れがね、教科書ですと、シーボルトだ蘭学だ東インド会社だ、と詰まらなくなりますよね。拙ブログでは、そんな無粋は申しません。もっとアーティステイックに、芸術的なアプローチを致しましょう♪

其の出島に入国出来るのは、オランダ人だけでありまして、まァ、欧州最先端の、ありとあらゆる舶来品や技術や学問が、ドッと日本に入って来た訳です。僕、長崎は親友のMさんの故郷でもあり、食べ物が美味しく風光明媚、人情に厚く、とても好きな土地なのですけれど、兎に角、日本初の物が多いんですよね~。珈琲、麦酒、トマトにキャベツ、ビリヤードにバドミントン、枚挙に暇が無く、でもね、Mさん、「日本初のチョコレート飲料:ショコラッテ」と銘打って、小さな缶ジュースで500円は、幾ら何でもぼり過ぎかも!?其れはさておき、ありとあらゆる事が輸入された訳ですが、其の中に、美術、中でも絵画の画法もあったんですね。オランダと日本の貿易が始まりましたのが、1641年でありまして、もう既に欧州からの航路はあった訳です。当時の帆船の能力を考えると、オランダを出港して、2年前後で日本に到達した筈なんですよね。さて、其の当時の欧州画壇は、将にバロック芸術の全盛期でありまして、先のフェルメールやレンブラントはオランダ人ですから、間違い無く、彼らの明暗を際立たせるタッチや、写実主義は、確実に万里の波濤を越え、本邦に伝わった筈です。

そしてね、人の好奇心向学心って、貪欲だなあ、と感心するんですが、新しい画法が長崎にあるらしい、との噂が広がったのでしょう、日本中の画家達が、長崎に集結するんですね。竹田・玉堂・鉄斎のビッグ・ネームは勿論の事、7つの流派が出来る程でありまして、長崎には勿論、中国の人も居ましたから、将に百花繚乱、様々な画法が生まれたんですね。陰影が活かされた唐のスタイル。浮世絵。エッチング。版画。油絵。細密な彩色画、此れは間違い無く若沖にも影響を与えた筈です。日本画、洋画、中国画が入り混じり、日本画壇のルネッサンスとも言うべき文化が、長崎の地に生まれたと思います。そしてね、エレキテルで有名な天才平賀源内も、長崎に留学しているんですね。源内先生、兎に角才人ですから、語学医学は勿論習得、鉱山開発に電気に漢学と、貪欲に吸収するんですが、其の中に、洋画もあったんですね。さて、源内先生は、其の才を買われ、日本全国を飛び回る生活となります。源内先生が鉱山発掘で訪れた、秋田出羽藩で、中々の絵を描くお侍に出会うんですね。其の才を見込んだのでしょう、源内先生直々に、小田野という其のお侍に、オランダ~長崎経由の、陰影や遠近を活かした画法を伝授するのです。偶然の一致と申しますか、出羽藩主の殿様、佐竹義敦公も非常に絵心もある方でして、洋書を取り寄せ模写を繰り返したり、他藩との多くの絵師とも深い交流を持つなど、君臣一体となり、東北の地に、秋田蘭画という洋画の一大ムーブメントを造り上げるのです。

僕ね、文化の伝播って本当に趣深いと感嘆しますのは、此の秋田蘭画、お殿様が亡くなってからは、「馬鹿殿の道楽」として、一度は廃れてしまうんですね。ところが、時が下がりまして、浮世絵全盛の時代となり、秋田蘭画の遠近法が着目されるんですよ。此の遠近法を極端に強調しましたのが、広重や北斎なんですね。例えば其の好例が、「富嶽三十六景」や「東海道五十三次」な訳ですが、此れが欧米へと渡りまして、ピカソやゴッホ、ロートレックやマネ、クリムトやルノワールが浮世絵の多大な影響を受け、1800年代の欧州の地で、ジャポニスム、という大ムーブメントが世界を席巻します。つまり、オランダ→長崎→秋田→江戸在住の浮世絵師→パリの画家達、という流れで、進化を繰り返し、芸術が世界に伝播した、という事になります。

僕、拙ブログにおいて、ジャポニスムや秋田蘭画については、偶に触れてはいたのですけれど、先のカラバッジオの絵の発見から、漸く色々な事が結び付き、頭の中で整理する事が出来ました。しかしね、こうして絵画について書いていますと、無性に美術館に行きたくなりました。よおし、今度のGWは、思い切って、本当に久方振りに、倉敷の大原美術館でも行こうかな!?さて、明日の拙ブログなんですが、朝から色々と忙しく、其の日の夕方か、土日の更新になるかもしれません。ご了承下さいませm(__)m。
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