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☀ マンデー・パ・リーグ ☽

恋の矢の 的はづしけり 秋の風、流石に鈴木真砂女は艶っぽい秀句を詠みますけれど、肌寒くなった朝まだき、愛犬を連れて散歩をしていますと、虫の音が随分と様変わりしました。ミンミンジャージャーと五月蠅い蝉の声だったのが、コロコロリーンリーンとコオロギの音になった様でして、これがホントの虫の知らせ、なんちゃって…。冗談はさておき、江戸期には、「虫聞」という風流な試みがしばしば行われていたそうで、これ、今の日暮里辺り、道灌山の麓で、鈴虫の音を楽しみながら夕涼みと洒落ていたんですね。当時は遮る物が何もありませんから、遥か日光や筑波の山麓まで見渡せたそうで、その「虫聞」の光景を、広重や豊国が浮世絵で活写しています。もっと時代が下がりますと、平安の頃、京は嵯峨野で鈴虫を捕えて宮中に献上、その虫の音を愛でながら、酒に菊を浮かべて嗜む訳でして、これがちょうど今時分、重陽の節句であります。とても風情があって素敵なんですが、日本史上で最も道楽者の1人と言えば、水戸光圀公と並んで、室町期の足利義政公でしょうか。この人、政治的には無能だったそうですが、数寄者として知られておりまして、銀閣寺を造った人なんですね。近年の研究では、この銀閣寺、月見の為にわざわざ造られた物なんですって。壁にはガラス質の白土が丹念に混ぜられ、月光を反射し、燦然と輝く様に造っていたとか。そしてね、ちょうど山から月が昇る絶好の位置に銀閣寺があるんですって。2階からは池に映る月を愛で、渡り廊下からは、月光に輝く銀閣寺を楽しむそうで、いやァ、大変な道楽者でありましょう。そして、銀閣寺には銀箔を張る予定は最初から無かったそうなんです。そりゃそうですよね、月光そのものが寺を銀色に輝かせるんですから、過度な装飾は全く不要ですもんね~。もう直ぐですが、仲秋の名月の頃の、当時の銀閣寺なぞ、そりゃあ身震いする程美しかったでしょうね。この八代将軍義政公、確かにずば抜けたセンスの持ち主とは思うんですが、彼の時代に応仁の乱が勃発、10年以上に渡って日本中が戦乱の世に巻き込まれるんですから、何ともはや、言いようがありません…。

こういう困った為政者が居ると、民の生活は困窮を極める訳なんですが、手前味噌で恐縮なんですが、大分は臼杵の市長さんは偉いですねえ。後藤國利さんという前市長さんが始められたのが、「町おこしと言っても、実際にやっているのは町を壊しているだけだ。私は町を残したい。」という事で、完全な有機農業をスタートするんです。何とまァ、堆肥の時点から見直すというコンセプトでして、化学物質を全く使わない、草木主体の肥料に全面的に転換する、という考えなんですね。そして有機野菜を作り、子供達の給食は全て地場で賄い、市・給食センター・教育委員会・農協等々が緊密に協力しあっている由、本当に素晴らしい事と思います。後藤前市長は、森林の保護や再生に取り組む林業家でもあり、「後藤散」の製薬会社の社長さんでもあります。こういう立派な篤志家が、日本全国津々浦々に点在されているので、この国は未だ何とか持っている、そういう気がしてなりません。

さて、臼杵と言えばフグにカボス、カニ醤油にフンドーキンが有名ですけれど、先の後藤さんの様に、篤志家・教育家を多く輩出している様に思えます。作家の野上弥生子は、以前の拙ブログでもご紹介しましたけれど、考古学の直良信夫、童謡の生みの親とも言える吉丸一昌、三菱財閥の大番頭として知られ社員教育を一手に引き受けた荘田平五郎、枚挙に暇がありません。そしてね、僕の大好きな野球界においても、和田博美さんがいらっしゃいます。和田さんは、日本一の右ピッチャー、鉄腕稲尾とバッテリーを組んだ名捕手なんですね。現役時代は俊足強肩好打、一時代を築いた名選手でしたが、引退後にこそ、和田さんの真価が現れた様に思います。西鉄・西武・阪神において、幾多の名選手を育て上げた訳ですが、何より凄いのは、彼の教え子から、8人ものプロ野球監督が生まれた事でしょう。ソフトバンクの秋山・工藤。西武の東尾・田辺・渡辺。ロッテの伊東。阪神の真弓。楽天の大久保。和田さんの薫陶を受けた人達が、これだけプロ野球に貢献している訳で、彼の育成能力が如何に優れていたかの証左と言えるでしょうし、野球殿堂に入るべき方と思います。また、大リーグとも深いコネクションがあり、和田さんの教え子のバークレオ選手は、クリーブランド・インディアンズの打撃コーチですもんね。

先日来から、スポーツのネタばかりで恐縮なんですが、昭和のプロ野球、特にパシフィック・リーグは、男臭くて不良の匂いがプンプンしていて、最高でした。近鉄の名監督、西本幸雄さんは元陸軍中尉、オーナーにも噛みつく程の硬骨漢、プロ野球史上、育成にかけてはNO1の方でしたねえ。それもね、当時の近鉄ナインって、皆さん非常に個性的なフォームでして、こんにゃくの様に身体をくねらす人、ファースト・ストライクを絶対打たない選手、バットのヘッドを必ず投手に向ける男、とんでもないガッツマン、彼らは皆パンチ・パーマでして、兎に角打ちまくって優勝をかっさらうんですから、痛快至極でした。日ハムの監督は勿論大沢親分、高校時代に審判の度重なる誤審に激昂、トイレに呼び出して鉄拳制裁なんですから堪りません!当時は米兵が進駐しており、日本全土は焼野原でありまして、皆飢えに苦しんでいました。義を見てせざるは勇無きなり、大沢親分は通訳のふりをして米軍基地に堂々と侵入、大量の食糧や衣服をかっぱらい、戦災孤児達に配っていたというんですから、最早義賊でありまして、鼠小僧次郎吉と言えましょう。親分の後は近藤監督だったのですが、米軍の車にはねられて指が不自由になるものの、掌を使った変化球のパーム・ボールを編み出し、一世を風靡した名投手でして、まァアイディアマンでした。バントは極力させず、「スーパーカートリオ」と呼ばれた俊足選手を3人並べたり、攻撃と守備で選手を大幅に入れ替えたり、そして、不正を許せない真っ正直さで60を過ぎても退場を喰らうんですから、とっても人気がありました。グラウンドを出ると大変なお洒落でして、アスコット・タイに中折れ帽、とても大正生まれには見えなかったですね。ダイエーを率いたのは根本監督、彼は謎めいた男でして、渋谷の愚連隊に籍がありながら法政大学を優秀な成績で卒業、何故かロシア正教で洗礼を受けています。ご自身は鉄鋼会社のオーナーでもあり、有望選手の獲得には大変な凄味を発揮しました。だってね、毎年の年賀状が1万通って、何だかスパイか違う稼業の方みたい…。

イチローと野茂を育てたのは仰木監督、彼もまた大変な豪傑でした。「ニュースステーション」の本番中に、小宮悦子アナウンサーの電話番号を聞いちゃうんですから、僕、それは生で見てましたが、大爆笑でした。飲みに出る時には毎回200万をポケットに入れて、スターティング・メンバーはビールの一気飲みの速さで決めるってんですから、当時の近鉄は、将に野武士集団でありました。優勝を決めた翌日、銀座で祝杯をあげたイチローを始めとするオリックス・ナインは皆朝帰り、そうしましたら、仰木監督が沢山のチワワを連れて散歩していた由、何処のママさんの愛犬なのか、いやはや何とも、豪快ですよね~♡尤も、こういう人達ばかりではありませんで、南海の野村監督や阪急の上田監督、そして西武の広岡監督は、データやセオリーを突き詰めて分析した、プロ野球きっての知性派でした。広岡監督なぞ、今考えれば成程と納得なんですが、先ずは食からという訳で、先の臼杵の話じゃありませんが、選手達には玄米や小魚や根菜を中心とする食事を摂れ、と指示したんですね。そうしましたら、大沢親分が激昂するんですよ。「あんなヤギさんチームに負けられるか!!」って、そりゃあ日本ハムからすれば、「肉は食うな」なんて許せなかったんでしょうが、この年のペナント・レースは盛り上がりましたねえ。

こういった昭和の侍監督達が幾ら頑張っても、パリーグの観客動員はちっとも増えなかったんです。でも、地域密着を掲げ、ありとあらゆるファン・サービスを徹底し、この10年間で150万人の観客増って、このデフレ下の日本において、とんでもなく凄い事と思います。僕、つくづく思うのですけれど、先に挙げた臼杵の篤志家の皆さんや、プロ野球の名将達に、この国の舵取りを任せた方が、様々な諸問題を一気に解決してくれる様な気がしてなりません。

週末は天気が回復模様の様子、皆さん、たっぷり楽しんで下さいね!それでは来週月曜日にまたお会いしましょう。ごきげんようさようなら(^_^)/~
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